金持ちとラザロの話はパリサイ人への批判

神は貧しい人に対しては信仰に富ませ、イエスは、金持ちの人が神の国へ入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと教えられました。イエスさまが教えられるときはいつもたとえを使って語られました。ラザロという名前を使っていてもたとえです。パリサイ人たちはアブラハムの子孫だと誇っていました。また自分たちは律法を守っていると。しかし、イエスさまは彼らの偽善を徹底的に非難されました。彼らは律法を守っていないと。パリサイ人たちはゲヘナに行くともイエスさまは言われました。理由はイエスさまを信じなかったからです。さて、多くの牧師たちは神学校で教えられたことを疑いもせず、みな一様に同じことを教えています。悪人はハデスで苦しみ、一方善人はアブラハムの懐にいて快適な生活をしていることなどです。全部たとえです。死者はハデスで神が義者と不義者を復活させる日まで眠っているのです。復活とは眠っている死者を起こすことです。話をもとに戻します。金持ちにアブラハムが言ったことは何か?たとえ、死人の中から行って証言しても、決して信じない。あなた方には、モーセの律法がある。それを守ればいいということです。つまり、律法を守っていないパリサイ人への批判です。しかし、613ある律法を守って救われる人はだれもいません。救い主であるイエスさまへの養育係として、律法は存在していました。真の救いはイエスを信じて御霊を受け、律法を成就することです。アーメン。

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