まむしの子孫は行動において結局、神のことばを否定する
言葉で人が何を言おうと、その人の行動をみれば、彼らが神からの人か悪魔からの人かが分かります。耳触りのよいことを聞こうとして集まる人たちと耳に痛いことを聞いて、どうすればよいかと真剣に神に祈る人の違いが出るところです。神の国は、「毒入りの甘いお菓子」ではなく、神の命である「苦い薬」に例えられるからです。自分を十字架につけ、キリストの霊を持ち、新しく生まれていればいいのです。神の国へ入るにはその人が聖く、愛のある人になる必要があります。そういう人が、「イエスさまと会うことが出来る。」とはっきりと伝えなければなりません。つまり、「罪を行い続ける人は滅びるしかない。」と警告しなければならないのです。パウロは「肉の働きを殺すなら、あなた方は生きる。」と語りました。この話と反対のことを述べる人は、罪びとを慰めているのではなく、滅ぼしているのです。真理(イエス)に聞き従う人が救われます。しかし、まむしの子孫は行動において結局、神のことば(イエス)を否定します。理由は、御霊を持っていないからです。ペテロは、そうなる理由について「彼らが従わないからですが、そうなる運命に定められていました。」と手紙に書いています。アーメン。