麦と毒麦
毒麦は悪魔が種をまいた。特徴は悪を行い続ける。良い木は良い実しか生み出せないとイエスさまは言われた。
さて、わたしは人は変化出来ると思っている。悔い改められれば。しかし、悪魔がそうさせない場合もある。罪がそうだ。人間が神に信頼するかどうかは分からない。
罪を犯す者は悪魔から出ていると聖書に書かれている以上、もし、新しく生まれていない者は悪魔のものとなっている。
あなたが、もしそうなら、戦うのはあなただ。わたしではない。このブログは救いの手掛かりを示している。
しかし、悪魔に捕らわれている人がどうなるかは、本人と神と悪魔の問題になる。
人には定まった生き方があるように思える。わたしとは何の関係もない。
わたしはイエスさまについて行く。あなたはどうしますか?
聖書をよく読み、神によく祈って神に助けてもらうようにお勧めします。
アーメン。
自分の命をイエスさまに預ける信仰を持つ人は、イエスさまを捕まえている。この信仰を持つ者が罪を犯すとは思えない。なぜなら、いつも、その人はイエスさまの目の前にいるからです。目の前にイエスさまがいるのに、その前で悪を行えるだろうか?悪を行う人は神を知りながら、神に背を向ける時ではないのか?この信仰が、真の信仰だという所以である。このイエスを信じる信仰によって人は救われる。アーメン。