罪は生まれた時のわたしたちの命が継承している

聖書を読んで、罪に関して、体が購われていないことを知り、御霊の存在を知識として知り、思いを作り直して、神に変えていただきたく神に祈っても、すぐには罪から解放されることはないのです。なぜか?わたしたちの命が罪だからです。これが、クリスチャンをはじめとするすべての人が罪を犯す理由です。

一方、罪から本当に解放されて生きた人たちがいます。それは御霊を受けた一世紀当時の使徒たちです。彼らは上からの力である御霊を受けてから、激変しました。御霊は神の命であり、再創造する神の力です。その力が信者と共存したとき、罪は支配できないのです。

御霊による罪からの解放は神の恵みによるもので、罪が無力となるため、その人は罪と戦うことはありません。御霊は神の力で、神が信者に与える特別な贈り物です。御霊を受けた人は、その人の中に神の命が入ったのです。ですから、ヨハネはイエスの信者は罪を犯すことは出来ない、そしてその人は永遠の命をもっていると、一世紀当時の信者たちに手紙を書き送ったのです。しかし、そう書かれているからと言って、自分もそうだといくら思い込んでも無駄なのです。

現代のクリスチャンたちがこの恵み受けたいと思っているのは分かっています。異言、預言等は廃れました。「愛と神聖」を身につけることです。しかし、御霊の働きがなければ不可能です。

パウロやペテロ、ヨハネは、肉の業について書き残しています。しかし、彼ら自身はすでに罪から解放されていたので、肉の業については無関係でした。当時の信徒たちや現代の信徒、これから信徒になる人たちのために、それらは書かれました。

神の恵みである「水と霊によって新しく生まれ変わる」方法を以前から書いてきましたが、それは、神によく祈り、み言葉を実行し続け、聖くされて行く過程の中で、与えられるものと思います。肉の業を殺すために、自分を十字架につけることは、必要です。狭い門から入るためです。しかし、けがれたものからどうしても離れない人には、御霊は与えられません。本人が御霊を望んでいないからです。アーメン。


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