人間が抱える問題は人間自身のもの
人間が遭遇する悪は、神には何の関係もありません。神が悪いのではなく、従わない人間が悪いのです。神がいるならどうして悪が存在するのか?その悪は神に従わない者たちと悪魔が引き起こしているのです。自然災害でさえそうです。人間の罪が自然界のバランスを狂わせた。楽園から追放された時からそれは始まりました。悪の存在は信者の信仰を純化するために必要なものです。悪魔も666も神はお用いになります。悪人たちも義人たちの身代金となるために必要なのです。すべての被造物はこうして試みられます。悪魔も同様に試みられました。いつ?エデンの園において。神が人間を創造された後その人間を見て自分が神のようになりたいと。かれは、真理のうちに固く立たず、その知性を腐らせました。ノアの時代、あるべきところを捨てた悪霊となった者たちも美しい女性をみて試みられました。彼らは信仰の敗北者です。イエスさまと一緒に十字架につけられた二人の犯罪人のうち、一人は「もし、おまえがキリストなら、お前自身と我々を救ってみろ。」と言い、救われませんでした。が、他の一人は、「主よ、あなたが王国に入られる時にわたしのことを思い出してください。」とイエスさまに信仰を告白して救われました。「主よ」という犯罪人の言葉はほとんどの聖書で削除されています。ここに、救われる人の特徴が描かれています。謙遜で自分を低くし主に信仰をもつ人は救いを得るということです。人類は二種類に分けられる。おれたちを救えという高慢な者たちと自分を低くして神の義を得る者とに。また神の知識を持っていても、その意味を知らない人たちが多くいます。神によって新しく創造された人たちが救いを得るのです。誰でも自分を高める者は低くされ、低める者は高くされる。神がおられるならなぜ助けてくれないのか。神も仏もいないと言ってはなりません。苦しみは本来、神が与えたものではないからです。神を信じて何かいいことがありますか?と言う人たちに言います。いいことはないと。こころが遠く離れているそういう人たちの祈りは聞かれず、その信仰は無駄だからです。しかし、このことを覚えておくがよい。神はご自分の聖徒が祈れば、その祈りは確かに聞かれると。神はすでにあなたを愛した。今度は、あなたがその神を愛する番だ。神が何かをしてくれるなどと考えてならない。なぜなら、もう、イエスさまの尊い犠牲である十字架における神の愛は完了しているからです。あなたはそのことを学びました。ですから、主イエスの名を信じ、あなたのために流された血の意味を理解し、神の戒め(互いに愛し合うこと)を守り、イエスのあかし(イエスが教えられたすべてのこと)を守りましょう。そして、これから来るあらゆる艱難から逃れ、人の子の前に立つことができるよう、絶えず祈っていましょう。神は決して忘れません。御名に示したあなたの愛を。アーメン。