聖い者たちだけが天に引き上げられる

1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押さえ、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。

2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。

3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、

12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。

14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

(黙示録7:1~3、9~17)

1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

(黙示録21:1~7)
聖くなければ、神の国、新しい天と新しい地に入ることは出来ないのです。イエスさまに会うことが出来る人は「勝利を得る者」だけです。

そこで、あなたが、まだ、罪からの解放(勝利)をしておらず、世の汚れにいるなら、生きているうちに、イエスさまとつながるようにしてください。それが、最も価値ある生きる目標です。

聖書の黙示録で携挙に関して書かれていると指摘できる個所は、(黙示録7:9,14)です。大きな艱難から出てくる者たちです。この「二度と起きないような大艱難が短くされなければ、肉なる者は誰も救われない」とイエスさまが言われたものです。選ばれた者たちのために短くされるのは、携挙によって、彼らを救うことが神の目的だからです。多くのクリスチャンが信じている艱難前の秘密携挙は、残念でしょうがありません。誰も特別扱いはされません。神の御性質からそれは明らかです。大艱難は信仰を試すために誰もが体験しなければならないものです。

多くの自称クリスチャンたちは罪を犯し続けていても救われると考えており、いかに、神の御考えから逸脱しているかが分かります。

しかし、いずれ真実を体験するでしょう。やはり、イエスさまの羊だけが、救われるからです。

アーメン。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?