相合傘(ショートエッセイ) #シロクマ文芸部
懐かしいという韓国語が、恋しいという韓国語と響きが同じなのかなと感じている。韓国語の勉強をしたわけではないので、全然違うかもしれないけれど、ドラマを見ていてもしかしたらこれは同じ言葉なのかしらと。
それがきっかけで、懐かしいことは恋しく思うこと、かもしれないと思うようになった。懐かしさは過去に対して起こる感情なのだけど、何かを恋しいと思うこともそれに似ている。布団が恋しい、のだって、布団の幸せさを知っているからこそだもの。
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高校生の頃、イギリスにホームステイしたことがあった。その家のお母さんが私の持参したもう名前は覚えていないが日本文化を英語で説明する本を読んでいて、この言葉がすごく好き、と言った言葉がある。それは、あいあい傘、だった。当時は気づかなかったけれど、ほとんど傘をささないイギリスの人が、そのあいあい傘という言葉や情景にふわりとした思いを描いたことに今は感じ入る。あの時にまだ幼かった私は、傘という漢字の成り立ちまで伝えることはなかったけれど、帰国するときに、枕の下にそっとその本を隠しておいてきた。お母さんがきっとずっと楽しんでくれるだろうと思ったから。
それ以来一度も会ったことなく、すでに他界されたお母さんの、顔はもう覚えていない。顔をおぼえていないというのに、時間を思い出す。家の構造やベットの様子、台所の形まで浮かんでくる。そしてそれを思い出すたびに、お母さんの笑顔のかけらのようなものがそっと心に落ちてくる。それは多分、恋しさのかけら、なのだろう。
ずっと消えないものがやっぱり世の中にはある。昔飼っていたてのり文鳥の感触とか、夕方真っ暗になるまで夢中で読んだ本の背表紙とか。いつか私がこの世から肉体ごと消えていく時、それらもまた消えていく。でもそれまではそうしたものを連れて歩いていくのだから、人は恋しさでできている、と思うのはちょっと飛躍しすぎかもしれない。秋だから、秋になるから、そんなこと思うのかもしれない。
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小牧部長、今週もよろしくお願いします。
夕方が来るのが早くなってきましたね。季節の変わり目だななんて思います。
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