コイハネコ #シロクマ文芸部
恋は猫、これは葉子のユーザーネームだ。
小稲葉子、48歳、会社員、独身。とある企業の企画部で長年バリバリと働いている。短大の英文科を卒業し、ここに入社した当時は、世の中、結婚して退職するのが主流だった。葉子も当然そうするんだろうと何の疑問もなかったのに、何の因果か、いまでは会社の事業計画を立てるチームの主任だ。そう、恋に落ちずに生きてきて、気づけばこの年。人並みに結婚に憧れはあったのかと聞かれれば、それほどでも、と答えることにしているが、本心は、それ聞くの?と思っている。転機はあった。
あれは20年前、ときめいていた同僚の原田と夜明けの東京タワーを見たことがあった。翌日使う資料を2人で作っていたのだが、大幅な内容変更があり、気づけば朝になっていた。もちろんオフィスで。ようやく目処がついたことにほっとして、目を眇めて大きな窓の外を見たら、朝日を浴びた東京タワーがすっくと立っていて、ぼんやりと眺めていた。その時、原田の手が肩に触れた。そこでその手にそっと自分の手を重ねたら今とは違った世界が広がっていたのだろうか。結局その時葉子は「さあ、もうひとふんどし!」とふんばりを言い間違えてムードをぶち壊したのだ。その後、お決まりのように、原田はアメリカ勤務となった。その時のことは忘れようとしても忘れられない、でも多分ちょっとだけ美化されてる。まあ思い出なんてそんなもの。
恋は猫、が葉子のユーザーネームになったのは3年ほど前から。実は葉子はこっそりと覆面ユーニャーバーをやっている。ふとしたイタズラ心から、唯一の楽しみである和菓子の食べ歩きを、ユーニャーブで食レポとして流してみたところ、たまたま朝の情報番組で取り上げられた和菓子が同じもので、視聴数がうなぎのぼりになった。それがきっかけでちょっと注目されるようになったのだ。
先日も、「月兎耳|《つきとじ》」という知る人ぞ知る和菓子店の「猫の耳」を紹介したところ、これが売り切れでなかなか買えないらしい。「猫の耳」は虎焼きの皮を半分に切って、そこにこし餡をのせたうえにいちごがのる。それを皮で左右からくるりと花束のように巻いたお菓子だ。一個100円という手軽な値段なのに、イチゴと餡のハーモニーに虎焼きの皮の安定感が加わった珠玉の一品だ。
ユーザーネームは和菓子に恋しているの恋、そしてユーニャーブのニャーだから猫、を合わせた。なんと言っても、葉子の名前はコイネハコだもの。
今日も新しい和菓子屋が東京タワーの近くにあると聞いて、葉子はいそいそと出かけてきた。通りかかった増上寺でおみくじを引いた。大吉だ!とほくほくしながら、それでもこの東京タワーが見える場所に結ぶべきかなとおみくじかけの高いところに手を伸ばしてモタモタしていたところ、誰かの手が肩に触れた。「もうひとふんどし」というささやきと一緒に。
葉子は振り返った。「エ!!」とまたしてもムードのない声を出しながら。
🐻❄️
週末はシロクマ文芸部♪
小牧さん、いつもありがとうございます♪
今回のお題みたとき、
鬼は外 福は内
を思い出し、そのゴロで行きたかったのですが、書き出しを書いてるうちに、コロっと気持ちが変わってしまいました。🐈にゃーお。