霧と綿菓子 #シロクマ文芸部
霧の朝は半透明のグラフィン紙に包まれているようで、清子さんは少し朝寝坊してしまった。午前七時、いつもより少し遅い朝食をいただき、食後の熱々のコーヒーをふーっとしながら外を眺める。霧が漂っている庭を見てふとつぶやいていた。
綿菓子って作れるのかな
夏祭りになるとお小遣いをもらって従姉妹たちと露店を覗くのが楽しみだった。ピンク色のアイスボンボンを買って金魚掬いをする、それがいつものパターンだった。決まって一匹だけビニール袋の中を泳ぐ金魚を連れて帰った。その後、従姉妹たちと花火をして、線香花火を見つめながらなんだか寂しくてたまらなかった。非日常が終わることは、現実を取り戻すことは、寂しいことなんだとシュンとした。
従姉妹たちはこぞって綿菓子を買っていた。清子さんもキャンディキャンディの袋に釣られて一度だけ買ってみたことがある。ふわふわの綿菓子をそっと摘んで食べてみると、それは拍子抜けするほどにただ甘いだけで、口の中に溶けていった。そして翌朝、どうしちゃったの?というくらい小さく縮んでいた。
幼い頃から食いしん坊だった清子さんにとってそれは由々しき事態だった。それから、綿菓子が嫌いになった。つまらない理由だと思いながら、あれ以来買ったことがない。
歳を重ねていくと、嫌いなものは減らしたくなる。これは清子さんが最近知ったことだ。それがニンジンであろうとピーマンであろうと幽霊であろうと、嫌いなものは減らした方が楽になる、それが清子さんの最近のモットーなのだ。例えそれが綿菓子だろうと。そして霧が晴れた午後には100均で買った茶こしとミルクフォーマーを使って綿菓子機が完成した。
「わあ、ふわっふわ」
清子さんの目の前にはちょっと不格好だけれど正真正銘の綿菓子がある。そうっとつまんで口に入れてみた。あの時と同じ。甘い甘い。でもなんだか美味しい。
たぶん幸せな夏祭りの時間が巻き戻って一緒に溶けていったから。
☕️
小牧部長、今週は提出できました。よろしくお願いします。
英国に暮らしていると、霧の朝というのは結構あります。けれど、大抵はfoggyというよりmistyです。これは濃さによって変わってきます。日本でいうところの霧はどちらかというとmistyかなと思っています。清子さんが眺めていたのもそれじゃないかしら。久しぶりに、清子さんに登場していただきました。カフェかわうそにもそろそろいってほしいですね。