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終わらない、このメロディー

17歳の時に聴いていた音楽は、その後の人生にずっと影響を与え続けるという。
これを読んでくれているあなたは、17歳の時どんな音楽を聴いていただろうか。或いはこれから17歳を迎えるとしたら、どんな音楽を聴いているのだろうか。
これは、僕が17歳の時に聴いていたアーティストの10年、そしてそれと共に歩ませてもらった自分自身の10年間の、取り留めもない物語だ。


2024年11月10日。
ClariSのメンバー・カレンが「卒業」という形で10年間の歌手活動に区切りを打った。

そう。ClariS、それが17歳の僕に、一番大きな影響を与えたアーティストだった。2010年にデビューし、数多くの名曲を生み出した、10年代のアニソン・サブカル音楽シーンを牽引したアーティストのひとり。
でも、僕が彼女たちを好きになったきっかけは、実はアニメではなかった。たまたまYouTubeを再生していた時に聴いた「irony」に、とてつもない衝撃を受けた、それがきっかけだった。今の10年間は、そんな、ほんの一瞬から生まれた。
それから他の曲を聴いていく中で、「明るい・清廉」という意味のユニット名が示す通りの真っ直ぐな友情、愛情を歌った純真無垢な歌詞、EDMをポップ調に落とし込んだ曲と、ピアノ、ストリングスを前面に出す器楽色の強い曲、2つの軸のサウンドメイキングに、どんどん惹かれ、気づけば完全にファンになっていた。

カレンは、そんなClariSに2014年から中途加入したメンバーだった。2014年に初代メンバーのアリスが卒業し、その後を継ぐ形で入って、今日までの10年間、それをやり遂げてくれた。

思い返せば、彼女の歌手活動は、クララとアリスがそれまでに生み出した、あまりにも眩しすぎる輝きと向き合うところからのスタートだったと思う。現役中学生としてデビューしてからの4年間で、瞬く間に当時のアニソンシーンに金字塔を打ち立てた。そんな大きな存在を前にしてどんな風にクララとカレンの新しいClariSの音楽性を作っていくか。最初のうちはずっと試行錯誤の連続だったと思う。自分の身でも聴いていてなかなか定まりきらないような気がした時期もあった。
そんな新生ClariSの音楽性に一つの決め手を見出したのが、「エロマンガ先生」のOPを飾った「ヒトリゴト」のシングルだったように思う。同じ伏見つかさ先生の俺妹の際のkz氏の音楽性を踏襲するわけではなく、今の2人だからこその新たな音楽性で作品を彩った。また、カップリングの「Butterfly Regret」はこれまでなかった和楽器×バンドサウンドのスタイルを打ち出した。もう一つのカップリング「イロドリ」は初めてカレン自身が作詞を手掛け、ここまでの2年半の自身の歩みを歌にした。また、この曲はコネクトを筆頭に数多くの曲の編曲を担当し、YUKI、乃木坂46などのアレンジでも知られる名アレンジャー、湯浅篤氏が「作曲」・メロディを手掛けた唯一の商業作品でもある。この歌詞に出てくる「ありがとうの輪」という言葉は彼女の口癖であり、歌手としての10年間、ずっと持ち続けていた思いだったような気がする。
そして最新アルバム「Iris(イーリス)」で、10年かけて築き上げたクララとカレンの音楽性は、完全に結実した。これまで大ヒットを作り上げたkz・渡辺翔両氏の名前はないが、Future Bassのテイストを取り入れた甘酸っぱいラブソング「Wonder Night」、最先鋭と言っても差し支えないエレクトロスウィングナンバー「Freaky Candy」など、従来の音楽性を大幅に拡張し、その全てを磨き上げてきた表現力で完璧にまとめ上げた。10年間の成長を感じずにはいられなかったし、もっともっと次のステージを見たいと思った。

そんなことを思った矢先だった。
2024年9月1日。カレンが、卒業するというニュースが飛び込んだ。

それはあまりにも唐突だった。自分を突き動かしていた大きなものが突然消えるような、言葉にできない喪失感だった。でも、結婚というポジティブな理由で、新たな幸せを追いかけるというなら、それを尊重するほかないし、今まで多くの人を幸せにしたのなら、この先の人生で、その何倍も幸せになる権利があるはずだ。

終わりを自分で引けるというのは、決して当たり前のことじゃない。その事実はその発表から1ヶ月も経たないうちに、あまりにも残酷な形で痛感させられたこともあったし、どんなにそれが幸せなことか言うまでもない。だから、来たる終わりに向けて、心の準備はしてきたつもりだった。

その日は、あっけなくやってきた。

最後の場所はZeppNambaだった。何の因果だろう。人生で初めてライブという空間に足を運んだ場所が、そこで初めて見たアーティストの、最後のステージを見届ける場所になった。

会場に向かうまで。会場に着いて。いろいろな思い出が蘇ってきた。
8年前、まだ高校生で、地方住みだったころ、家族や周りに相当無理を言って、日程の合った大阪に行った。初めての大阪、初めての夜行バス。初めてのライブ。開場してから始まるまでのあの高揚感。ライブが始まった時の全てが爆発するような感動。初めて経験したそれらは何事にも代えられない。
当時ヴァイオリンを習っていて、クラシックのコンサートに行くことはあったが、同じ音楽でも、ここまで違うんだと思った。空間の高鳴りに、心を、体を弾ませる、ライブという空間の虜になった。
それから8年、当時17歳だった僕は26歳になり、あの時初めて会った仲間も、みんな大人になった。こうやって8年経って帰ってこられるのも、その仲間たちが、ファンとしてずっとその空間を守ってきてくれたからだと思う。そんな彼らにまた会えて、自分という存在を覚えていてくれたことに、本当に感謝したいと思う。ありがとう。

そしてライブ自体は、今のDJを通して知り合った親友と臨んだ。DJという大雑把な括りの中で知り合った彼は、僕と同じようにClariSから、知り得る音楽の世界をどんどん拡張していったような人だった。自分以外にそんな人間がいるなんて、この出会いがなければきっと考えることもなかったと思う。こんな数奇の縁で、最後を共に見届けることができる、こんなに素敵なことがあるなんてと思うし、絶対に生涯大切にしないといけないものだと思う。

客入れのBGMが鳴り止み、ステージが照らされ、アーティストが現れる。今年だけでもう何度見たか分からないその光景は、同じ場所で初めて見た時と同じあの感動と共に瞳に映し出された。自分が知った時には顔出しはおろかメディア出演すら一切なく、ワンマンライブをやるなんて考えつかないような時期だった。そんな時期すらあったアーティストが、僕にライブという空間の楽しさを教えてくれて、今、たくさんのファンの前で、最後のステージを迎えている。ライブ中、これは夢じゃないかと何度思っただろう。
そして、そんな熱狂の時間はあっという間に過ぎ去り、いよいよ本当に最後の時を迎えた。最後のMCが終わり、最後の曲が終わり、本当に全てが終わった。でも、全てが終わった時、最初に発表を聞いた時に感じた喪失感は、もうどこにもなかった。何かが終わるというのはどうしたって悲しいことだけど、それ以上の充実感が、心の中を満たしていた。

最後のMCで、カレンが言っていたのは、「出会うことが好きだから、全ての出会いを大切にしたい」ということだった。僕はこの10年、どれだけの出会いを貰ったんだろう。そんなことを考えた。

カレンがいなかったら、アリスが卒業したその時にもうClariSは終わっていたのかもしれない。彗星のように現れて去った、ある種の神話の存在みたいな扱いだったかもしれない。でもそうはならなかった。カレンが新メンバーとして加入してくれて、アリスの夢を引き継ぎ10年もの間活動してくれた。そのおかげで知り合えた仲間がいっぱいいた。初めてのライブに行きたいと言ったとき、チケットを手配してくれた友人がいた。高校時代、人生に絶望しかけた時に、嫌な顔一つせず話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれた、感謝してもしきれないような恩人がいた。そんなかけがえのない出会いを経験できたのは、あの10年前に終わらず、今までこうして続いてきたからだ。

貰った出会いは、ClariSとそのファンとだけじゃない。僕の何千、何万という数の音楽との出会いも、ここから始まった。

ClariSに出会い、僕は初めて、「作曲者」という存在を意識するようになった。好きな曲をピックアップしていく中で、この曲はこの人が作っていて、この人のこういう手癖が好きだ!というのを探すようになった。そこからその作曲家が作った他のアーティストの曲も聴くようになり、本当にたくさんの音楽・アーティストに出会った。
中でも特に好きだったのはやっぱりkz氏だった。kz先生の存在を知ったことで、それまで別段興味もなかったボーカロイドのシーンに噓のようにのめり込んだ。DJを始めたのだって、動画で見たニコニコ超会議2015のkz先生のDJがかっこよかったからだ。自由な解釈で曲を繋げていくという、今まで生きてきた世界と正反対の世界を目の当たりにして、それから大学生になり、クラブカルチャーへ飛び込んだ。
そして、そこでまた新たな仲間と出会った。彼らは自分が知らないような音楽をたくさん知っていて、今まで音楽に詳しいと思っていた自分が、音楽のことを何も知らなかったんだと分かった。そして、その中には今回一緒に行った友達もいる。彼もまた、自分の何倍も広い世界を知っていたし、そこから得た学びは大量にあった。
今では自分のことを「音楽に詳しい」と言ってくれる友達もいる。でも、その知識をくれているのはいつだって周りの仲間たちだ。彼らがいなかったら、こんなに果てしない音楽の世界に触れる機会は一生なかったと思うし、その出会いが生まれるきっかけがあるとしたら、10年前のあの瞬間だったんだと思う。

そうだ。カレンがClariSを守ってくれたおかげで出会えたものが、こんなにあった。ClariSというアーティストとそのファンだけじゃない。何百というアーティストに、何万という音楽に、そしてそれが存在しているカルチャーに、そしてその場所に存在している人に、この10年で出会ってきた。今の自分を形作っているもの、ほぼ全部だ。僕は17歳の時に聴いていた音楽に、人生の全てを変えてもらった人間だったんだ。それに気づいた時感じたのは、10年間応援させてもらえたことに対する誇りと感謝だった。

この10年という月日は、長かったのか、あっという間だったのか。正直どっちの感情もある。でも、その感情は両立しうる。あっという間だったと感じるなら、それはそれだけ楽しいと感じる瞬間がたくさんあったということ。長く感じたなら、それだけ苦難を乗り越え、変化を恐れず成長を続けた証だということ。これも、ここで出会った大切な仲間から教わった思考だ。
次の10年がどうなるかは誰にも分からない。でも、カレンは今回で卒業しても、幸いなことにClariSの歩みは終わらない。楽しいことも、辛いことも、もっと多くなる10年かもしれない。試行錯誤することだって、これから相当あると思う。ただ、これから生まれる音楽がより良いものになるように、一ファンとして応援し、見守っていけたらいいと思う。僕が17歳の時に彼女たちの音楽を必要としたように、これから17歳になる誰かにとって、必要な音楽になってくれるとしたら、これ以上嬉しいことはないと思う。

2024年11月10日をもって、僕の音楽ファンとしての人生は一つの区切りを迎えた。でも、だからといって、音楽は歩みを止めない。アーティストがいなくなる喪失感を他のアーティストで埋め合わせることは絶対に無理だが、だからといって、いつまでもその喪失感に囚われ続けることもできない。

魂が生き続ける限り、未来に目を向け続けること。
これが音楽ファンとして、あの日自分に課せられた使命だと思った。いや、元々そうだったのが、より強くなった、っていう方が正しい気がする。
過去というのは、月日を重ねるごとに美化されがちだ。人間誰しもがそうだと思う。でも、過去を美化するあまり、現在、そして未来に目を向けることを放棄した時、自分はそれを、魂の寿命だと思っている。
過去に囚われた時、出会いの輪はそこで途切れる。あの日人生を変えてもらったファンとして、その出会いの輪を自分が絶やしてしまうことは、裏切り以外の何物でもない。だから、今全力で音楽を作っているアーティスト、そしてこれから生まれてくるであろうアーティストにずっと目を向けたいし、好きなものを好きだと発信し続ける生き方も、絶対に曲げたくないと思う。曲がりなりにも子供の時から音楽に関わってきた身として、それを生業にする生き方を選んだ人たちの覚悟は、砂粒程度には分かるはずだ。だから、これからも、その想いを汲み取り、伝える人生を、命ある限り続けたい。自分の人生に意味を見出せるとしたら、きっとそれだろうと思うから。

最後に。
もし本人がこれを読んでくれてたら本当に驚くだろうけど、伝えないと伝わらないし書いておきます。

10年間、活動を続けてくれてありがとう。
夢を引き継いで、叶えてくれてありがとう。
たくさんの出会いを、本当にありがとう。


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