love once upon a time⑨
1月に学校が始まるマレーシアでは12月に卒業式がある。Tenomの研修センターでも12月に卒業式がありそれに出席したくて渡馬した。
仲良くなったみんなは1年、または2年間の研修を終え、それぞれkampung 田舎に帰っていく。農業をする子もいるけどそれでは生活が成り立たないとセンターで習った日本語を生かして旅行業界で働く子もいた。Tenomは田舎だしすぐに結婚という子もいただろう。2年生はそのあと日本での研修が待っていた。学校みたいに楽しかったときは終わってそれぞれの現実に旅立っていく。
卒業式のあと、何人かの研修生のkampung 田舎を訪ねた。日本人が家に来る、とみんな喜んでくれた。
始めに行ったのがわたしが淡い恋をしたKadazan/Dusun族の青年の家だっただろうか。彼はこの民族らしくクリっとした大きい目をしていて、家に行ってみたら家族もみんなクリっとした大きい目をしていた。サバ州にある神山、Kinabalu山を家の後ろに抱くすてきなkampungだった。高床式だったかな。大家族でその家に住んでいた。家族は彼に似てとてもやさしくもてなしてくれた。ともだちがおなかが痛くなってしまってメンソレータムみたいな軟膏をお湯に溶いたものを飲め、飲めと言われて嫌だったけど飲んだら治った。マレーシア(と、おそらくインドネシアでも)よく頭痛とか、腹痛とか、どこか痛いと "masuk angin"(空気が入った)みたいな言い方をして色んな種類のあるスースーする軟膏を色んなところにぬる。飲むバージョンはこのとき初めて見た。
イスラム教徒の研修生の家にも行った。口数の少ない彼、ご両親はとてもおだやかな人で快くわたしたちを迎えてくれてごはんをごちそうになった。場所はBeaufortかな。うちは実家が殺伐としていたので暖かいご家族が印象的だった。
2年生だった研修生のおうちには泊めてもらった。ちょうどクリスマスでその日は教会でクリスマス礼拝があった。夜教会に集まってごはんを食べたり、讃美歌を歌ったりするんだけどその日はたまたま(いつもはこうじゃない、と村の人が言っていた)すごく虫がランプに集まる日だった。日本でもありますよね、羽蟻の日。網戸より小さい羽蟻が電気がついている家の中に入ってしまって気が付くと壁が虫だらけの日。日本だとそのサイズだけど、マレーシアのジャングルの中にある村のランプに集まる虫は小さくても3cmくらいはあり、火を使っているランプに飛び込んでは亡くなりランプの下にはこんもり死骸の山ができていた。壁は「模様かな?」と思うほど虫が止まって並んでいる。ごはんはビュッフェ方式なんだけどお皿に虫が入るので全部もう1枚のお皿が蓋になっていて取るときにサッと蓋を取って、盛って、またサッと蓋を戻す。食べるのもサッと。
わたしたちは大学生2人、短大生2人の4人だった。日本語で讃美歌を歌ってほしいと言われてステージに上がって歌った。そのときも口に小さい虫が入っちゃうけど、とにかく村の人はみんな優しくて、小さい子はわたしたちの耳についた虫を一生懸命払ってくれて、そんな中「虫嫌だな」みたいな態度は絶対にとりたくなくて「全然氣にしてません」みたいな感じでその晩を過ごした。結局いい思い出ばかりを覚えている。
翌日はまた別の研修生の家に行った。そのおうちはご両親のいる気配がなかったような。小さい弟や妹がいたのを覚えている。シャワーがなくて、みんなでサロンっていう布を巻いて川でシャワーした。初めてですごくたのしかった。ここもクンダサンというキナバル山の麓だったのかな、すこし涼しかったような氣がする。4人でひとつのダブルベッドに寝るのにひとりの子は「隣に顔があるのは苦手」と膝から下を折ってベッドの側面に沿わせてみんなより低い位置で寝てた。わたしは「エコノミー症候群大丈夫かな?」と思ったけど大丈夫だったみたい。それまで訪ねた他の研修生のおうちよりも貧しいのかな、という印象だったけど快く4人もてなしてくれて、朝ごはんには袋に入ったお菓子を出してくれた。彼は2年の研修を終えてから1年間日本で研修した。その成果で今は貧しい暮らしから抜け出せていたらいいなと思う。
旅の最後は空港のあるKota Kinabaluに戻り安宿に泊まった。淡い恋の相手はKota Kinabaluまで来てくれて、いっしょに手をつないで町を Jalan-jalan(お散歩)して、友達が氣をつかったのか2人でホテルの部屋でおしゃべりして、「じゃあもう行こうか」という時に部屋の外の廊下で「目をつぶって」と言われて頬にキスされた。淡い恋の思い出である。