love once upon a time⑤

ホテルに勤め始めたときはホテルのお部屋を1部屋もらいそこに住んだ。食事はホテル内のレストランで食べてサインすればよかった。ホテルのmianのレストラン、"Melting pot"は今もあると思うけど当時からとっても人気でいつも大勢の人で賑わっていた。わたしはここの海南チキンライスが好きでよく食べていて、chefに作り方を教えてもらったこともあった。チキンのfat(皮かな?脂肪)をいっしょに入れて炊いてたよ。
若い同僚たちは彼との秘密のデートのためとかによくわたしの部屋を利用していた。こういうときにお国柄、文化の違いを感じることがある。わたしはここの前に大学の寮に住んでいたので慣れていたけど、泊った子が生理だったときは血のついた生理パッドがバスルームの壁に貼ってあってパかっと開いていて床にも血が点々とついていたり、、。これ、大学のシャワールームでも経験しました。最初はビックリしたけどこれも慣れる。マレーシアではメイドさんを雇うおうちが多くて、ホテルの同僚だった外国で学位を取った女性たちのおうちにはほぼいたと思う。つまり自分で掃除をしたことがあまりない。海外ではどうしていたのか知らないけど。髪をとかして髪を床に捨てるとか(これは日本でもよく見る)、汚いけど明日メイドさんが来るから掃除しないとかは普通なおうちもある。もちろんこれも様々で、このあと働いた日系の工場ではみんな自分で掃除するかんじで、あるチャイニーズの男性のおうちでは妹やお母さんが食事の度に床とかテーブルをものすごくきれいに掃除していた。
ホテル暮らしは通勤も楽だし、ごはんもおいしいし、家賃もかからないし便利だったけどわたしは彼と過ごせる場所がほしかった。そんなとき当時KLのIsetanで現地採用で働いていた日本人女性とそのマレーシア人の彼に偶然3回街で会った。3回目くらいにその女性はコンドミニアム(日本で言うマンションみたいなもの)を借りようと思っていて、1部屋貸し出そうと思ってるけど興味ある?と聞いてきてくれた。月RM500(1万5千円くらい)。喜んで借りることにした。当時わたしのお給料はRM1900(5万7千円くらい)。決して安くはないけど節約生活をしていたし生活することはできた。今もGoogle mapで調べると出てくるけど、Citi one condo、最寄り駅はLRTという電車のDang Wangi駅。今調べてみるとこの駅の開業は1999年6月。わたしがホテルで働き始めたのは多分1999年1月くらいだったからちょうどいいタイミングだった。この駅をホテルと反対方面にひとつ乗るとMasjid Jamek駅。川の三角州にあるモスク。ここがKLの始まりだと言われている。
わたしが住んだCiti one condoはいわゆるインド人街にあった。帰ってくるとお香の香りとBollywood映画の音楽が騒がしく聞こえてくる。多く見るのはインド系の人と、おそらくバングラディッシュから働きに来ている人たち。金 (gold)のお店や布屋さん、それを縫ってくれるお店が多い。いつも人でごったがえしていた。近くにはMyden(マイデン)っていう安いスーパーがあっていつもそこで買い物していた。
ホテルまではタクシーでワンメータ (RM2、60円くらい)だったのでタクシーで行くか、歩いて通った。朝6時過ぎに家を出るのでタクシーがつかまらないことも多い。早朝、街ではカラスの駆除をしていて、誰かが銃でカラスを撃って、その死骸が路に山盛りになっていた。仕事から帰るとそれはなくなっている。
初めて自分で借りた部屋。16階だったかなぁ。彼も大学やバイトのスケジュールを見て半分くらいはそこに住んだ。Home sweet home💙彼も大学の寮生活が長かったから安心できる場所がやっとできたという感じだった。今わたしはNVC(非暴力コミュニケーション)を学んで活用しているけど、人が普遍的に大切にするニーズのなかに「スペース」がある。これが満たされた。

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