love once upon a time④
彼は大学で学びながらKLのBerlitzでバイトを始めた。わたしは勤め始めた日系の会社で事務仕事をしていてそこでworking permitを取得しようと何度か申請してもらったけど結局visaはおりなかった。もう無理そうだね~ごめんね~というタイミング。わたしは別の仕事を探そうとしていた。わたしは短大出身、学位としてはassociate degreeになるのかな。その学歴と仕事の経歴もない状態ではvisaはおりなかった。ある日その会社のインド系の事務の人が新聞を読んでいて(マレーシアの人はめっちゃ新聞読む)「前のホテルで求人が出てるよ」と教えてくれた。その会社はUBS towerというKLタワー横の建物に入っていて、Jalan Sultan Ismailという一昔前に栄えたエリアだった。同じ建物のもうひとつのtowerにはアジアで有名なShangri-La hotel、その前にあったのがConcorde hotel Kuala Lumpur。洋服のブランド、ArmaniとHard Rock Cafeが入っていた。後から知ったが社長のLeeさんがHard Rock Cafeを、奥さまがArmaniをマレーシアに呼んだそう。そこで "Japanese guest services"のポジションを募集していた。早速申し込み翌日には面接。人事のNge managerと面接し(マレーシアで初めて出会ったNで始まるお名前の人。しばらく発音がむずかしかった)すぐ雇われ、visaもすぐおりた :)あんなにvisaで悩んだのにあっけないほど。今はどうだか分からないけど、当時visaはコネがあれば取れたと思う。
Concorde hotel KLはKLの中でも昔からある方のホテルだと思う。多分まだそんなにホテルがなかった時代。マイケルジャクソンもこのホテルに泊まった。Hard Rock Cafeもあって、遊ぶならここ、という時代もあっただろう。わたしが入った当時は建物も古くて、周囲では新しいホテルやKLCC(ペトロナスツインタワー)の建設も始まり過渡期という感じだった。まだmain buildingには古い部屋が残っていて、あまりきれいじゃなくて、それをマレーシア人、シンガポール人、インドネシア人限定で安く売っていた。ホテルとしてもリノベーションを予定していて、サービスも向上していきたいタイミングだった。わたしは海外で学位を取ったばかりの6人かな、の女の子たちと同時入社だった。社長の肝いりという感じの女性たち。全員マレー系の美しい子たち。guest serviceのグループだけはホテルの2階に入っていたブティック、Edmundserで制服を仕立ててもらった。みんな働くのは初めて。わたしも含めだいぶ世間知らずだった。まず研修で全ての部署をまわり、カクテルをつくる研修もあった。仕事はVIPゲストのお部屋のチェック、お迎えやチェックイン、special packageで泊るゲストはフロントデスクではなくguest servicesのカウンターに来てもらいお部屋に案内してお部屋でチェックインしていた。当時まだやっていた航空券のリコンファーム、旅行会社が開催するツアーの予約、タクシー手配などなど。わたしは日本人ゲスト担当として雇われたけど日本人ゲストはほとんど来なくてみんなと同じ仕事をした。ホテルには世界中から人が訪れた。多いのはマレーシア、シンガポール、インドネシア、インド、中国、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスをはじめとするヨーロッパ、アラブからの人も多い。とにかくみんな主張してなんぼのお国柄の人が多くて、チェックイン時間前にやってきて入りたいと主張する人も多く、ホテルも「入れられるなら入れてしまえ」というスタンスだったのでいつもhouse keepingのおばちゃんに連絡して、「入りたいゲストがいるけど部屋ある?」「ない lah、まだ時間じゃない!」(KLのマレー語はさいごに lahをつけることがある。)「どれくらいかかりそう?」「~~分で仕上げるから待ってもらって」「ohhh terima kasih (ありがとう)ya!」なんてやりとりを日々マレー語でしていた。シフトは7am~3pmと3pm~11pm。夜9時を過ぎるとロビーはだいぶ静かになる。お隣ではHard Rock Cafeの演奏が聴こえる中わたしたちはDoor manとかporterやguest servicesの同僚たちとめっちゃおしゃべりしていた。Assistant managerと恋をしていたguest servicesの女の子の悩みの話し、ドアマンの彼女との話し、みんなの生活やこれからの展望、みんな若かった。