love once upon a time⑬
話しはまたまた飛んでCanadaへ🛫
短大のとき語学研修で4か月Canadaにいた。これが目当てで入った学校。
British Columbia州Vancouver island ブリティッシュコロンビア州、バンクーバー島
わたしは自分の親より若いご夫婦と3兄弟の家にお世話になった。兄弟は11才、10才、4才。パパは自宅地下室でIT関連の仕事をしていて、ママは当時専業主婦、地域の活動とか色々忙しくしていて、パパはそんなママを「色々やっていてすばらしい💙」と褒めるステキなカップルだった。パンやお菓子を焼くのはママ。朝はママの焼いたパンを食べ、ママのパンで昼のサンドイッチをつくり、ママのクッキーをおやつに持っていく。夕飯や休日の昼ご飯を作るのはパパ。カナダは西側ではフランス語を話す。公用語は英語、フランス語両方。パパはフランスの大学に行っていたそうでフランス語が堪能。食を楽しむところもフランス人っぽかった。(カナダ人です)パパと買い物に行くとスーパーではなく旧市街のお肉屋さんやチーズ屋さん、ワイン屋さんをまわる。そこでオーナーとお喋りしながら、試食させてもらいながら選んで買う。ものすごい料理上手でわたしはこのパパに太巻きの作り方を習った:)いつもキッチンに立っておいしいお料理を作ってくれた。こんなパパの娘に生まれたかったわ~と想う。
大晦日にはみんな厚着してホンビノス貝かな?潮干狩りに行き、それでクラムチャウダーを作ってくれた。そんな潮干狩りから作るクラムチャウダーは初めてで感動した。そして余ったのを地下の大きい冷凍庫に入れて、2か月後くらいのディナーに出てきた時はまた驚愕した。クリームっぽいスープをそんなに長く保管できるとは、、当時の日本(1995年?)我が家ではまだごはんも冷凍していなかった頃だと思う。
フランス語を学んだ経験のあるパパだったのでわたしの英語学習にも協力してくれて、映画を観て帰ってくると「どこがどんな風におもしろかったの?」と説明を求められたりした。
語学を教わった先生もthやf、rなど発音をしっかり教えてくれて、マイフェアレディに憧れていたわたしはものすごい興味を持って鏡の前で毎日練習した。Seatleとtheatreも始めは伝わらないと言われたけど発音できるようになった💙中2以降短大を卒業するまで英語を学ぶことはわたしの喜びだった。そのあとマレー語にはまることになる。
パパとママはヒッピーだったらしい。その時代の写真も見せてもらった。パパはピアノが上手で、こどもたちもみんな楽器をやっていて、4人でバンドが組めそうだった。わたしはこの家でキャロルキングの音楽に出会い、毎日、毎日お氣に入りのひとりソファに座って夢中で聴いた。2人はこの大きい古い家を自分たちでリノベーションしたと言っていて、ママが2階のバスルームの床が抜けて下に落ちたことをガハガハ笑いながら話していた。
学校が企画したイベントとかいろいろあったけど、この家の中で過ごしたことが一番印象に残っている。
まだいるかな、こないだ見たときハワイの双胴船、ホクレアがちょどブリティッシュコロンビア、バンクーバー島よりもう少し上の島に立ち寄っていた。ホクレアは太平洋の先住民の地を巡る旅の真っ最中。当時わたしたちも先住民族の居住区を見せていただいたり、スタンレーパークかな、でトーテムポールを見たりした。当時はまったく知識がなくてピンときていなかった。彼らは昔から彼らに伝えられてきた文化や知恵は必ず人類に必要だという確信や誇りをもって迫害されながらもそれらを受け継ぎ守ってきた。ボケっと生きてきたわたしも今はそれらから学びたいと感じている。ホクレアのような伝統航海技術も、先住民族が受け継いできた文化や知恵もまだ残っていることに感謝
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