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針しごと

 いつの頃からか手にした針をつかみ損ね、ポロリと落としてしまうことが頓に増えた。指先が効かなくなったのよね、友達に歳のせいかしらこぼせば、まだ細かな仕事ができているのにまさか、と一笑されるが、脳からの指令と動きのタイミングにけっこうなズレが起きている。

 先日も針から糸を抜き去ろうとした瞬間、膝あたりに針を転げ落とした。そろりと立ち上がり、着衣や敷物のどこかに銀色の細い光があるかと必死で探す。たいした空間でないから、たいがいはすぐに見つかるのに、今回は4、50分汗ばむ勢いで探しても見つからない。先端が磁石のペン型の棒を隈無く敷物の上に滑らせても、針は吸い付いてこない。


どうにも根切れて、立ち上がりざまに上衣の右ポケットに手を突っ込んだら、痛っ!指先に針がブスリと突き刺さった。膝から転げ、さした大きさでもないポケットにまるでコリントゲームのように、ストンと収まっていたのだった。


 ステッチ針の、針穴に通した糸にかかる、わずかな抵抗感が気になってしかたがない。そろそろとゆっくり引かないと、糸が毛羽立つ。ボローニャの教室でAemilia Arsの用具一式をそろえたときの針と、今使っている針はパッケージは同じドイツの会社だが、少し前に生産国が変ったと越前屋がいっていた。ステッチする土台の紙が三重なものだから、布のようにしなってくれないから、習いたての頃はポキポキと針を折ってしまった。ひとパックに20本もあるのだから当分使えたはずが、すぐに足りなくなり出向いたのが越前屋で、そこで生産先が変ってから取り扱いを止めた、という残念な話を聞かされたのだ。


 主に広島で作られている針を何種類も使ってみたが、コンマなんミリの太さや長さの違いで、手に馴染むものが見つからなかった。だから今は2年半まえの最期のボローニャ行きで持ち帰ったもので、さすがにもう針を折るようなことはしないが、今度は針穴の不都合に堪えながらステッチしなければならない。


 落とした針を懸命に探すのは、小さな子がその落ちていたもので大変なことになったらが一番の理由だが、実は半年くらい同じ針を使い続けると、糸の抵抗で針穴の内が滑らかになる。数ヶ月してやっと手に馴染む針になるのだから、落ちて見つからないからと簡単に交換できない私の都合も充分にある。


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 半年過ぎるとappoggio用の細い針もステッチする針もしなってきて、最期にポキリと折れてしまうのは、耐用限度を越えたからだ。もう力任せのステッチ時期は過ぎている。


いったんこだわってみると、世界の針しごとで使われる針が気になった。


 ずいぶん前だが、カシミヤ地で作ったオーバーコートにカシミール地方の刺繍の断片を大島の裂で囲み、ショールのように肩に縫い付けタッセルまでぶら下げてたものを着ていた時期がある。自分としては結構会心の出来で長く愛用していたが、裏に使った大島も古裂だったので、とうとう裾が引けてしまい着用できなくなり、肩を飾った刺繍の断片をコートから剥がし額におさめた。


 いくつものペイズリーが施されたパシュミナショールだったが、カシミヤより薄いパシュミナに刺された柄同士が、その重みで刺繍間が裂けいくつもの断片になり、断片だからこそありがたく入手できた経緯がある。


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 この小宇宙から放射する力に、マグマから蘇る火の鳥を想う。1枚でよいから、こうした力を宿す針しごとが出来たらと念じているのだが。


 カシミール刺繍のふた手ある技アーリとソズニの、これはニードル刺繍ソズニの方。インドとパキスタンの国境抗争は、刺繍の担い手の男性を激減させ技力の衰退も激しいと聞くが、元来針仕事という意のソズニで使われる針は、いったいどのくらいの細さなのだろう。おそらく極細の針を作る技も、争いにのみ込まれてしまっているはずだ。


 国境というカテゴリーに縛られずに自由に行き来してきた人たちが受け継いできた、素晴らしい手しごとのどれだけがその時その時代の「国」という線引き抗争で失われ、これからも失われていくのだろう。



 ひとつの針に難儀する話から、なんだかすいぶん遠くまで旅をしてしまった。


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