たかが壷されど壷
スッとした一輪挿しを夫は好んだが、私は両の手をふくらませて包み込めるような形状の壷に言いようもなく惹かれる。即断で購入し悔やんだものは、ありがたいことにひとつもない。歳を重ね手に余る重さから知り合いの寺に納めさせてもらったのはあるが、他のものたちは独りの空間をいまも彩ってくれている。
Aemilia Arsの図案が詰まった冊子をめくりながら「さぁ、次のステッチはどれにする?」とパオラに問われたとき、いいようもなく私好みのふっくらした壷が眼に飛び込んできた。百合が絢爛と咲き乱れるその図案を指さすと、いつもならばさっと冊子から図案を引き抜いてくれるパオラの手が動かない。
「これは教えるのにかなりの時間がかかる。今回はダメ」
それでも、と図案をもらい受け帰国した。一昨年の秋のことだ。「来年はこの壷へのステッチを教えてください」以来ことあるごとに願い続けた図案にステッチし始める直前に大きな怪我を負い、ボローニャ行も断念しなければならない恐怖を味わった。
退院直後の渡伊を術前から口にする私を若い医師が理解してくれたおかげで、昨年の教室では念願の「壷」と向き合うことができた。
予約していたアパートをキャンセルし、あらためて借りたフェリーチェ門近くのアパートは、陽光がたっぷり注ぐ申し分ない環境だったが、とにかく教室までに距離がある。この街のシンボル2本の斜塔の低い方が倒壊の危機にあると、教室方面に向かうバス路線はずっと交通止めされたままだから、とにかく徒歩で教室に通うしか術はなかった。
母語でない国に長く滞在することに加齢とともに疲れを覚えるのに加え、完全に回復したとは傍目にも見えない足のことで昨秋の滞在は最悪だった。滞在半ばのある日、既得のステッチの手順を間違えたまま針を進める私のぼんやりをパオラは見逃さなかった。
「止めなさい、止めなさい!!ストップ、ストップ!!」
立ち姿のまま生徒たちの作業に目を光らせるパオラが、私を名指し叫んだ。低く割れた大声に隣室の皆も縮みあがる気配が流れてきた。顔もあげずもくもくとステッチする誰もが次に起こる事態を固唾をのんで待っている。はりつめた空気の中パオラは、いつもそんな手順でそれらをステッチしてきたのか?と私に問うた。うつむいたまま首を横に振ると「連日早朝からステッチして、えっ!毎日何時間針を持っているというのだ、いい加減にしなさい、疲れているの、もう止めなさい」
その日限りの「止めなさい」だったのだろうが、私には「もうAemilia Arsを止めなさい」と宣告されたにも等しい心地するパオラの剣幕だった。
恥じて針入れを閉じ、教室を出ようかと思った。残る滞在日数が浮かんだ。ではと残った日々を観光にまわすほど脳天気ではないし、じっとアパートに閉じ籠り帰国を待つこともできない。荒ぶる気息をおさめ指摘された部分を解き出した。正常な手順で針運びを始めたか、私を鋭く見遣るパオラの視線が恐かった。
帰国日を1週間残し「壷」の図案は終わった。込み入ったステッチを3週間ほどで終わらせたことを教室の仲間は賞賛してくれた。パオラからも一定の評価をもらうが、私の結果を心から気に入っている風ではないのはよく理解できた。
brava、という仲間たちに「これはサンプルです。落ち着いてもう1度やり直すのが私の常ですから」と応えるうちに、なぜかパオラへの意地のようなものが募った。
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年が明けにステッチし始めた「壷と百合の花」が仕上がりパオラに送るその写真に、彼女への感謝の言葉を添えた。このレ-スに関わり始め7年になるが、納得できるものがやっとできたと思えたからだ。あの激しい叱責以来心の中で繰り返されたAemilia Arsへの問答でもあった。潤沢でない言語でそうしたことを綴る難儀さより、数ヶ月の澱を整理する喜びのほうが先行する半日だった。「これからもたくさん私を叱り、そしてたくさんのことを教えてください」と締めた。
「spero di essere ancora qui per fare altri lavori insieme」
教えるとか学ぶという関係性を越え「これからも一緒にステッチしよう」というパオラの姿勢に、心が揺れた。
「壷」へのこだわりが、再びパオラとAemilia Arsへの絆を深めてくれた。滞在中に教室仲間のMaria Graziaが2度もワインをくれた。部屋で飲みなさいといった類で渡されたが、レッスン後半は料理する気分も失せ、持ち込んだドライズフリーの養生粥などで済ませていたものだから、結果Mariaのワインは持ち帰ってきた。
ポー川流域で発見されたローマ時代の銀の水差しの名を冠するカンティーナのワインで、壺のステッチに執心する私への彼女のエールだったかもしれない。そう思うとイタリア人が、人に心寄せするときの絶妙な機微に脱帽した。
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壷への図案を終え、1週間が経つ。集中するあまりトランス状態になりもした時間が懐かしくなるのだから人は不可解だ。「あぁ、終わってしまった、、、」ひとつ図案を刺し終えるたびにフランチェスカがそうぼやくというのが、よくわかる。「壺と百合の花」を見て「世界樹」を想ったと、友人のひとりが述べてくれた。
おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を持って
いないだろうか。
特にもっと寛大で、感受性が強く、より賢明で、有用で、おまえよりもも
っと生きるに値するものに取って代わっていないか
プリーモ・レーヴィが私たちに投じたこの言葉を共有するという意味に限って同志である彼の応答が嬉しく、「世界樹、世界樹、宇宙樹、、、」と何度も繰り返す。
西安の碑林博物館で手に入れた慈禧太后の拓本は、季節外れの牡丹を「平安富貴」の証と愛でる。何本かの牡丹を庭に植え、夫はそれらを長く丁寧に手入れしていた。東洋の佇まいの壺と牡丹花を写し、これを図案化してみたいとパオラに打ち明けたら、どう反応するだろう。
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