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糸とともに生きることって

 月曜の夕方だった。沖縄からやってきた友人と私はまだAemilia Arsの図案と格闘していた。疲れてステッチも間違ってばかりだから、そろそろ今日の分は締めようかと話していた頃、ボローニャの教室仲間のグループメッセージの着信がドキリとするほど続いた。

   明日の教室はあるのですか?

   えっ!あるの?それって舟で行くということ?


 飛び交う会話の全容がよく理解できない。フィレンツェからボローニャに「舟で行く」とはどういうことなのだろう。しばらくして「明日の天候は異常事態を予測されるので教室はありません」というパオラからの報でボローニャというより、エミリア・ロマーニャほぼ全域が異常気象にさらされていることがわかった。
 翌朝目覚めて携帯を開けば、互いの安否を気遣う言葉であふれている。こんなとき部外者があれこれ言ってもと、直接会話には加わらなかったが、イモラのパオラとボローニャ市内に住むセネッラには連絡を入れた。

 

 私の家は高い位置にあるから大丈夫だけれど、いつ止むかわからないくらい雨は降り続いている。

 

 後で知ったが36時間とかに半年分の降雨があり、イモラのサーキット場も水没したそうだ。


 私の地域は大丈夫よ。まったく今年は嫌なことばかり。実は4月に乳癌の手術を受けてね、しばらく教室を休んでいるのよ。


 私が教室に通い始めた時から言葉も不十分な私の不便さを気遣ってくれるセネッラの近況を知りびっくりした。1,2年くらいは何事も変わりなくが当然だった若い頃と違い、もう数ヶ月、半年という短い時間に互いの状況が、特に健康についてがどんどん変化していく。私のアパートを訪ねてきてくれた彼女と、秋の陽射しの中で語り合ったひとときを思い返した。



 ボローニャからアドリア海に向け地形が低くなる、海に近づくごとに水害発生の割合は高まった。イモラより下るファエンツァ、より海に近いラヴェンナ。ロザアンジェラの住いはラヴェンナ郊外にある。昨秋伝統陶器を買いもとめに行ったファエンツァの町並みは記憶に新しい。
 ファエンツァは相当な被害を被ったが、ラヴェンナは、迫る洪水の危険の報を受けた農業組合が、運河を決壊させ、自らの田園地帯に水を引き入れビザンチンモザイクの町を救ったらしい。ラピスと黄金の色に彩られたラヴェンナに魅せられ幾度も通った町だ。鳥肌たつ思いでこの報を受け止めたが、雨が止んだいま農耕地の関係者たちは、また別な意味で新たな問題に直面しているかと考えると胸が痛む。


 

 パオラの安全を確かめたところで、明日は帰宅するという沖縄の彼女が仕上げたドングリの図案の写真を送ってみた。すぐに熱心な評が返ってきたものだから、「あちらが洪水被害に直面している時に申し訳ない言い方だけれど、便利な方法で私たちもイタリアにいるような気持ちになるよね」と友人が呟いた。

 

 水曜日、まだ鉄道もあちこちと寸断され雨も降り止んでいないというのに、80歳を越える先生たちはボローニャのシンボルの2本の斜塔内にある陶器店のウインドゥのひとつを借り受け、Aemilia Arsの手法のユネスコ文化無形文化登録申請に向けたデモストレーションの展示に勤しんだというので、驚いてしまった。
 いざAemilia Arsに関わることとなれば、あらゆる危惧を捨て置きパオラたちは出向いていく。恐ろしいほどの気力だ。


 続く週末にはイタリア全土を網羅したレースの展示会がボローニャ市庁舎で開かれ、パオラたちはメディアから取材を受けた。その夜彼女の労をねぎらう言葉を送ると、「siamo arrivate qui,siamo molto felici e orgogliose」昂揚去らぬパオラの言葉が即座に返ってきた。パオラの情熱に私までが熱くなった。「siamo arrivate qui」パオラを思いっきり抱きしめたかった。
 机と椅子だけの小さな空間で針と糸の綾なす細やかな世界と向き合う清々い生き方に深く共感する。命の最終期でこんな生き方を範に得た幸運に感謝する。

 


 クロアチアのパグ島にはレポグラヴァという伝統レースがある。最近すばらしい写真を見つけた。レポグラヴァレースを刺す老女を撮ったものだろう。糸とともに生きる厳ししくも美しい生き方を、この老女が表象していると思えてならなかった。あとどれだけの余生が与えられているのかわからないが、斯くありたしと願うばかりだ。


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