雄鶏が語るヨーロッパ―1羽の鳥に背負わされた運命
……1789年7月14日、
武器を手にしたパリ市民が、大挙してバスティーユ牢獄に殺到した。
いわゆるフランス革命の始まりである。
「自由・平等・博愛」を謳った革命政府であったが、彼らが理想とした国家の実現は、まさに苦難への道であった。
なかでも当時の民衆の多くは、相応の教育すら受けたことがなく、文字の読み書きさえできなかった。
知識人たちを中心とした革命政府の理想が、肝心の人民に共有されず、両者の間には明らかな溝ががあったのである。
こうしてフランス革命は、この理想と現実に振り回され、ついにはヨーロッパ全土を巻き込む大戦乱を引き起こすことになる。
革命の明日は一体どこに向かおうとしているのか、
フランスの、そしてヨーロッパの人々は、まさに歴史の岐路に立たされたのである……。
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はい、世界史講師のいとうびんです。
おいおい、いつもと違ってなに真面目ぶっこいてるんだ? と思われるかもしれませんが、すみません。やってみたかったんです。
さてさて、今回のテーマはフランス革命そのものではなく、雄鶏という鳥をめぐるものです。
この雄鶏には、私たちが思ってもみなかったような様々な背景があるのです。
ここでは、雄鶏という表象に込められたメッセージを読み取ることで、まだ見ぬヨーロッパ史の一面に迫ります。
それでは、はじまりはじまり~
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革命で生じたシンボル問題
みなさんは「フランスのシンボル」という言葉から何をイメージしますか?
おそらく多くの方にとって比較的思い浮かびやすいのが、
三色旗(トリコロール)ではないかと思います。
名前の通り青、白、赤の三色からなる、今日のフランス国旗の図案として有名ですね。
このトリコロールが制定されたのは1789年7月とされ、
冒頭のバスティーユ襲撃と前後して発案されたといいます。
トリコロール採用以前のフランスでは、百合紋fleur-de-lisが使用されていました。百合(ここでいう百合はアヤメ科のキショウブの花)は聖母マリアを象徴する図案であり、フランスでは中世のカペー朝期に王家の紋章として採用され、ブルボン朝にも継承されました。
革命以前は、「フランスといえば百合紋」が広く定着していたのです。
……さて、フランス革命が勃発した当初は、様々な政策が展開されましたが、なかにはいささか急進的すぎるものも少なくはありませんでした。
例えば、1790年に憲法制定議会でフランス全土における紋章の廃止が決議されました。
革命直後のフランスでは、地方での農民の暴動(「大恐怖」)や復権を目指す王党派貴族の策謀などにより、政情不安の只中にありました。
こうした情勢を受けて、当時の革命政府は、王権の象徴というべきものの排除を進めようとします。
とはいえ、この紋章の廃止決議は、革命政府があまりに神経質になっていたがために出された法案ともいうべきもので、
なんとなれば、当時のフランスで使用された紋章の3分の2以上が、王権や貴族と何ら関係のないものだったからです(現在でいえば道路標識やお店の看板のような用法が圧倒的に多かったとされます)。
いずれにせよ、紋章廃止の決議により、それまでのフランスのシンボルであった百合紋も使用できなくなります。
このため革命政府は、百合紋に代わる新たなフランスのシンボルを必要としたのです。
その一つがトリコロールですが、もう一つ国家のシンボルとして見出された表象があります。
それこそが雄鶏、いわゆる「ガリアの雄鶏」だったのです。
ヨーロッパにおける雄鶏
では、なぜ雄鶏がフランスのシンボルとして見出されたのでしょうか?
ヒントは古代にあります。
フランスの一帯は、古代にはローマ人より「ガリアGallia」と呼ばれていました。
このラテン語(古代ローマの公用語)のGalliaという名称は、雄鶏を意味するgallusより派生した語であると広く信じられていました。
伝承によれば、初めてローマ人がガリア人と接した際に、ガリア人が雄鶏の像を旗印に掲げていたことに由来するものといいます。
ガリア人は勇猛な民族でしたが、
最終的に紀元前1世紀にローマのガイウス・ユリウス・カエサルによって全土が征服されます。
このガリアの故事にもとづき、雄鶏はフランスの象徴としてその後も一定の地位を占めていました。
そこに目を付けたのが、1790年の革命政府であったというわけですね。
……さて、紋章の図案には何らかの意味が込められていますが、
雄鶏は「警戒心」や「戦の覚悟」を意味します。
君主の紋章や勇猛さの象徴に使用される動物といえば、
獅子紋(イングランド王家など)や鷲紋(ローマ皇帝の象徴)などが代表として挙げられます。
では、猛獣のライオンや猛禽のワシならともかく、なぜ雄鶏(ニワトリ)にもこれらの動物と引けを取らない意味が付されているのでしょうか。
最後にその謎に迫ってみましょう……。
ガリア≠雄鶏……???
前節のコラムで、「ガリアの語源はラテン語で雄鶏を意味するgallusではない」と述べました。
とはいえ、果たしてガリアと雄鶏は、本当に、まったく関係ないと言い切れるでしょうか……?
まず、古代のガリア人をはじめ、ケルト系諸民族が旗印に雄鶏の像を掲げていたのは事実です。
ケルト人は雄鶏を神聖な動物と見なし、神の使いとして崇めていたようです。これに関しては、ギリシア人やローマ人も同様だったといいます。
さて、ケルト人が雄鶏を崇めていた理由とは何か。
雄鶏、といえば朝に鳴き声を上げ、夜明けを告げることで知られていますね。
このため古代ヨーロッパで雄鶏は、「再生」や「生命」などの象徴とされていたようです。
……しかし、ここで注目したい点がもう一つあります。
それは、雄鶏の鳴き声そのものです。
雄鶏の鳴き声は甲高く、遠くまでよく響きますね。
ケルト人の社会でも、このような大声はかなり重視されていました。
とくに、ケルト人は戦場でけたたましい喊声(かんせい、ときの声のことです)を上げることでよく知られています。
「ガリア」という地名の語源として有力視されている、ウェールズ語のgalluやコーンウォール語のgalloesなどは、古アイルランド語のgairと共通しているとされます。
gairは「叫び声をあげる人」という意味と「隣の人」という意味があります。
このgairの原型となった言葉から派生したのが、ラテン語のGermaniであり、これが「ゲルマン人」という民族名の由来となるのです。
ケルト人にとってゲルマン人は「隣人(あるいはよそ者)」でしたが、一方でゲルマン人もまた、戦場で喊声を上げて戦いました。
戦場での大声を重視したケルト人が、よく響く声の持ち主である雄鶏を崇めていたと考えるのも、あながち突飛ではないように思われます。
そしてこの雄鶏、というよりその声に関連して、「ガリア」や「ゲルマン」といった地名・民族名が派生するわけです。
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フランス革命期に国家のシンボルとして見出された雄鶏でしたが、
それ以前からも雄鶏には様々な由来を背負ってきました。
一見すると地味ですが、
雄鶏にはヨーロッパ文化の源流を窺わせる、象徴としての意味が込められているのです。
象徴としての雄鶏は、歴史の多面性を雄弁に物語る、
そんな一例なのかもしれません。