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デザイナー以前:なりたい&憧れの職業の変遷

資格や検定、今までしてきた勉強などについてデザイナー目線で書いてきましたが、ちょっと休憩。
今日は子どもの頃なりたかった、あるいは一瞬でも心惹かれた職業をピックアップしてみようと思います。

童話作家&旅行家

小学校で必ず書かされる定番の質問、「将来なりたいもの(夢)」。その問いへの人生最初の答えが「童話作家になって、世界を旅する」というもの。

童話作家と世界を旅するのがどう結びついたのか、あまり覚えていないけど、お話を書くのが好きなのと、旅への憧れを無理やりくっつけてのこの答え。ジュール・ヴェルヌ原作の「80日間世界一周」の映画がすごく好きで、とにかく遠くの知らない国を旅してみたかった。

ちなみに冒頭の写真は映画よりずっと後、高学年の頃に読んだ創元推理文庫(帆船マーク)。今見てみたら初版だった。同じヴェルヌでも、地底旅行のほうはSFマークで、こっちは11版。

忍者

家にはなにしろ本が多かったが、きょうだいが多かったため、子ども向けの読み物に触れることも多く、そのなかには当然、忍者の修行について書かれたものもあった。

たしか、雑誌の読み物付録か小さな記事。そこには忍者の並外れた跳躍力の秘密が簡単な挿絵入りで説明されていた。

成長の早い植物の種を蒔いて、芽が出たら毎日その上を飛び越える。毎日グングン大きくなるが、少しずつだから知らないうちに高く飛べるようになり、気がつくと背の高さを超えるような大きなジャンプができるようになっているらしい。

さすがに忍者になりたいわけではなかったけど、運動が苦手な私でもこれならできるかもと考えた。でも、この特別な植物の種の入手方法がわからずに諦めてしまった。

スパイ

当時の子ども向けの読み物は、スパイの世界の厳しさも私たちに教えてくれた。冷戦時代でリアリティもあったし、テレビでも映画でもスパイものは人気があった。

外国に潜入したスパイは、いくら語学が達者で周囲に溶け込んでいても、ちょっとした習慣の違いで正体がバレてしまうことがあるらしい。例えば、顔を洗う時も、手を動かして洗うのか、顔の方を動かして洗うか、そんなことも命取りになりかねない……。

これを読んでしばらく、密かに顔のほうを動かす洗顔を練習して、自己評価ではなかなか上手にできるようになった。

その後、大人になってヨーロッパを旅している時に、思い出してノスタルジーに浸っていたのだけど(時々やってみたりもした)、顔を洗う前に外国人と見破られてしまうのでどうしようもなかった。

探偵

物心ついた頃には家に揃っていた気がする江戸川乱歩、少年探偵団のシリーズ。物語の中の薄暗い雰囲気は、当時の家の周りとそう変わらない気がして、わりと身近な世界観だった。ご多分に漏れず、私立探偵というものに憧れ、あろうことか実践に移した。

仲良しの子たちと「あのおじさんが怪しい!」と目標を決めて、近所のおじさんを尾行。電柱の影に隠れたり、時にはブロック塀の上を歩いたりして(尾行にしては派手)、お互い合図を送りながら後をつける。小学校低学年のちっちゃな子どもが集団で後をつけるわけだから、絶対気づいていたと思うけど、怒られたりはしなかった。「あのうちに入って行ったぞ!」とか言ってたけど(今考えるとなかなかの大声で)、普通におじさんの自宅だったよね……(今更なんだが申し訳ない)。

探偵七つ道具も自分なりに揃えて、頭の中で話に出てくる危機的状況のイメージトレーニングみたいなこともしていた。結局探偵にはならなかったけど、この時のイメトレはちょっと役立ってるなあ、と思うことはある。旅行や仕事のハプニング時。何か道具を揃えるのもいまだに好きだ。

考えてみると、比較的どこでも目立たず馴染めるし(特技なの?これ)、特に尋ねなくても秘密をしゃべってくれる人は多いし、調べ物もまあまあ得意だし、意外と向いていたのかもしれない。

漫画家

少し大きくなると、手に職をつけないといけないと強迫観念に似たものを抱くようになり、漫画家になれたらなあと思った頃がある。私の良いところは(自分で言うけど)とりあえずなんでも試してみることで、8ページくらいの漫画(らしきもの)をなんとか描いて、どこかの漫画雑誌に送った。結果、みごとに玉砕。文章を書くのは好きだったし、絵を描くのも嫌いじゃなかったけど、合わせるのは向いてないのがよくわかった。

でも今にして思うと、子どもにもちゃんと厳しい批評をつけて送り返してくれた編集部の方はすごいと思う。よく恥ずかしげもなく送ったなあというのと、煩わせて申し訳なかったなあ、という気持ちが半分半分。

雑誌の編集者

で、そのあとだいぶたって、雑誌の編集の仕事はできないだろうか、と思った。漫画雑誌というわけではなく。姉の影響も大きかったかもしれない。

雑誌全盛の頃。ある漫画家のファンクラブで一緒の雑誌編集者と話すこともあって(そのファンクラブは出版社や劇団の人が多かった)、なんとなく親近感もあった。でも、これって大学行かないとダメなんだろうな、と気づき、一瞬で諦めることになった。

まとめ

こうして書いてみると、まずなることはないだろうと子どもでもわかる忍者とかスパイとか探偵(探偵はありか…)とかが並んでしまったけど、子どもなりの一種の現実逃避だったという気がしないでもない…。
でも皆一度は憧れたよね…違うかな。

大きくなるにつれてだんだん現実味を帯びてきたものの、その現実に負けて、結局、この中でまあまあ実現したのは、最初の「世界を旅する」という願望。
ただし、デザイナーの仕事には探偵要素が少しある気がするので(尾行はしないけど!)、妄想も捨てたものではないのかも。

ちなみに「(グラフィック)デザイナー」という職業は、専門学校のパンフレットを見るまで知らなかったし、あの頃はデザイナーと言われてイメージするのはファッションデザイナー。広告分野ではコピーライターが人気の職種だったのではないかと思います。

なりたかった職業ではなく、憧れの職業でもない(←何せ知らなかったので)デザイナーになぜなったのか、という話はそのうち書こうと思っています。


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藤原ユカ| L'escargot Design
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