『ピダハン』(ダニエル・エヴェレット)を読んで
どんなことがあってもよく笑う。あれこれ心配したり思い悩むことをしない。日々の暮らしを楽しみながら生き続ける。南米のアマゾン川流域で狩猟採集生活をしながら暮らす少数民族ピダハンの生活、文化、言語を記述したノンフィクションです。
ピダハンの人びとは物を所有することにはほとんど関心がなく、体を触れ合うコミュニケーションを好みます。人間の死も淡々と受けとめながら、ほとんどストレスを感じることなく生きています。
権威や権力といったものをつくらない小さな平和的な社会は、歌曲「イマジン」(ジョン・レノン)あるいは『老子』の「小国寡民」や「桃花源記」(陶淵明)を連想させます。東洋的ユートピアを熱帯地方に移植するとピダハンのような社会になりそうです。
文字もなければ貨幣もなく、数の概念もありません。学校制度もなく、集団の指導者もいません。それでも持続可能な生存様式が成り立っている社会に、現代の文明世界の課題とされているSDGsも不要です。
満月の夜、人びとは集まり、歌って踊る「出会い系イベント」を催します。浮気がばれた夫が妻に叱られている場面は半分「お笑い」の世界のようです。
日本社会の人びとがピダハンが生きている姿を外面的に見ると、「不潔で向上心がなく能天気な人びと」と目に映るかもしれません。しかしこの地球上を見渡しても、ピダハンの人びとの主観的な幸福感はかなり高いところにありそうです。うつ病患者や自死する人もほとんどいないようです。直接的な体験の世界を生きている人びとは、瞑想的、悟りの世界を生きているようにも感じられます。進歩や文明などとほとんど無縁であり続けることがピダハンの人びとを幸せにしているようにも思われます。
文明社会、近代社会の常識は揺さぶられ、くつがえされます。生き方、環境世界の受けとめ方、社会のあり方などについて根源的な再考をうながされます。文明社会をつくった圧倒的多数のヒトはどこまで本当に幸せになったのでしょうか。
著者であるダニエル・エヴェレットはキリスト教の布教とピダハンの言語の研究のため、家族と共に約30年、ピダハンの村で生活しました。そして次第に布教活動の無意味さを悟るようになります。さらには、著者は自らの信仰をも捨てるにいたります。
『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』 ダニエル・L・エヴェレット みすず書房