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家族でも、「理解する」ことは難しい。「そこにいる、そう在る」ということを知っておくだけで、良いということ。

今回は私が孤独を感じた時に読む
心温まる漫画「夜廻り猫」さんをみなさまにご紹介したいと思います。(漫画はリンク先で読むことができます)→

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今回のお話は、コミュニティナーシングをやる上でも、よくある、よく見る、よく聞く話です。

ご家族の「良かれと思って」。
続きが気になりすぎます。

うちの実家も野良猫が居ついちゃってるらしくって。一人暮らしの父がたびたび追っ払ってるけれども、庭の大きな木の下でその猫ちゃんがこども5匹くらい産んじゃって。まったく大変だ〜、と怒っているわりには緩んでる父の顔。「一匹ずつくわえて移動してて、えらいよな、猫って。塀の上に、くわえたまま飛んでたよ」(すべてうちなーぐちです。訳しています)とも話してくれていました。

基本、何を考えているのかわからない父ですが、動物は昔から色々保護?してました。(怪我した鳥を拾ってきて、うまく飛べるようになるまでエサをあげたり、飛ぶリハビリさせたり。ライムという犬を飼っていましたが、彼も迷い犬で、死にかけていたところを保護してうちで暮らすようになりました。)

父のことは全くもって理解できませんが、会うたびに「こういうところあるよね」と思います。
向こうも同じだと思います。
私の生き方は、きっと父からすると理解不能だと思いますが、「へぇ」とか「ふーん」とか、ただそれだけです。理解しようとも思っていないと思います。

その点が母との距離感とは違う気もしたり。

お互いがお互いを理解しようとはしていませんが、なんとなく「ただいる」というか「在る」というか。
私が父に「理解してもらおう」と思うと大変だと思うし、父を「理解しよう」とは思わない、というか思えない、のです。

あまりにも違いすぎて。

ただ、その「違い」を否定するわけではなく、「そういうこともあるんだなぁ」くらいで、
お互いに思っている。

は?と思うこともあるけれど、
「そうなんだなぁ」と思うことにしています。
その考え方もある、ということを「理解する」というか「知る」ということ。それが相手を「尊重」する、ことにもつながるんじゃないかな、と最近では思ったりします。

今日は政治の世界でも
「LGBT理解増進法案」というすんごい名前の法案をめぐり、政治家さんたちからこんな意見が飛び出してきておりました。

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私的には
認めるも何もLGBTの方々は人類のはじめから「いる」し、別に誰かがとやかく言って、さらにそれを認めるとか認めないとか言ってること自体がもう「道徳的」でないように感じます。
種の保存に関しても政治家が気にするべきはそこではなくて、今生まれていているこどもたちや子育て世代にいかに子育てしやすい社会を作るか、暮らしやすい社会を作っていけるか、にチカラを注いでほしいんだけどなぁ。と思ってしまうのであります。

それから、多様性を認めること、差別的発言を堂々と言ってのけること、は似て非なるものである、というのも強く強く言っていきたいな、とも思います。

すべての人の基本的人権の尊重がされる社会になるといいな。みんなでしていけたらいいな。

長くなってしまいましたが(まだまだ書けますが、この辺で)
ここまで読んでくださりありがとうございます。基本的人権の尊重については実は公衆衛生とも深く関わっていると思うので、引き続き、また書いていきたいと思います。

相手のことをすべて「理解する」のは難しいけれど、看護の基本である「受容・傾聴・共感」のチカラを鍛えていく、ということは誰もができるんじゃないかな、とおもったり。

こちらのサポートはBlueCrossCoffeeの復活費用に使わせていただきます(^^)みんなでより良い社会をつくっていきましょ〜♪\(^^)/