強くありたい、ではなく、強くなければならなかったし、そっちの方がたやすいことだという話。
結局、選ばれない。
理由はだいたい
「自分でやっていける」から。
「ひとりでやっていける」から。
頑張れば頑張るほど、そう言われてしまう。
手を伸ばして「助けて」と言うことの方が、ハードルが高い人もいる。
「助けて」と言うことができるまで、人を信頼すること、「仲間」をつくる方がハードルが高い人がいる。
支援とは「できるから、大丈夫」でいいのか。
「必要であれば申請しにきてください。」でいいのか。
私からすると、人に相談できたり、その行動を移せる人は全然大丈夫だと思ってしまう。周りのチカラを借りることができたり、つながることができたり。
それって強みだし、うらやましいな、と思う。
声に出して、助けを求める。その行為が一番難しい。
泣いて、泥だらけになって、もう死にたい。と思った時に
「助けを求める」よりも「死ぬこと」の方がたやすい人たちがいる。
他人に助けを求めることより、自分自身の判断で行動することの方がたやすい人がいる。
「なんでも自分でできてすごいね」
「行動力がハンパないね」
なんでも自分でするしか方法がなかったのだ、人を頼ることができないから。
行動するしかなかったんだ。生きていくためには。誰にも相談できずに。
ひとりで行動し、ひとりで解決し、ひとりでなんでもできてしまう。
できてしまう、までの道のりも、本当はものすごく長いけれど。
調べて調べて行動して。あれこれやって、失敗して。
それでも、誰にも助けを求めることができないから。
苦しくても苦しくても自分で長いトンネルを進んで、やっと外に出てこれた、と思ったら「すごいね」「こんな近道あったのに。まあでも、この道を進んでこれたんだから、いらない情報か。」って毎回言われる。「近道」の情報はもちろん知っていた。トンネルが長くて暗くて怖くて危険なことも。でも、その「近道」に進めない人がいる。近道の方が怖い。と感じる人がいる。近道を作った人を信用していないか、近道でもたどり着けないかもしれない自分を見るのが怖いのだ。だから、きっとその近道の方が楽なことはわかっているけど、泥まみれになりながら、怖くて泣きながら、やっとの思いでトンネルを進んでいる。
「あなただからできる」でもなく「やったらできる人」でもない。とてもしんどい思いをして、「やって」「奇跡的にできた!」人。だいたいのことはうまくいってない。10やっても、うまくできたことは1くらい。10全部、必死でやって1なので、達成感も何もない。「ああ、よかったひとつは報われて!」な感じ。
「大丈夫」でも、ホントはない。常に頑張っている。頑張らないと、行動しないと生きていけないのだ。
「本当に困ってないんだよ」でもない。ほんとに困っているし、だけど、わかりやすく「助けて」が言えない人がいる。という話。
そんな人の、チカラにもなれたらいいな。
きっと困ってるし、常に限界だけど、助けを求められない人。
助けをいちいち求めなくてもいいくらい、住み良い社会になるといいな。
困ってること、言えなくてもいいし、言わなくてもいいよ。
お医者さんの診断があるとか、手帳持ってるとか、女であるとか、外国籍だ、とか、そんなのホントにどうでもよくて、どうでもよくなる世の中になって、みんながみんなであること、その人がその人であることだけで、生きやすい世の中になるといいなと思う。