生まれて、死ぬまで。
なぜ人は生まれ、死ぬのか。
時々考える。
生まれた頃の記憶は、当然なくって、息子に聞いたら3歳頃の記憶が限界だという。前のアパートで私がにんじんしりしり(料理)を作ってくれて、それを食べたことを覚えていると。
私の最古の記憶はなんだろう。
実は、私の同級生だった人は知っているかもしれないが、私はだいぶ記憶力がない。小学校どころか、中学校、高校生の頃の記憶も曖昧で、大学生の頃もあんまり覚えていない。それは大人になってからもで、ホントに申し訳ない話なんだけど、イベントごともほとんど覚えていない。記憶障害かと思うくらい覚えてない。なので、もう去年の出来事も細かいことはほぼほぼ覚えていない。未来のことも特に考えないから不安もない。ただ、体があんまり丈夫ではないので、毎日死ぬのはイヤだなぁ。とは考える。
死ぬことを考える時、この「恐怖」さえも、なくなる。「私」が消滅するというのはどういうことなのか?悲しいこわいツラいもなくなるというのはどういうことなのか。私が「なくなる」。それがとても「わからなさすぎて」こわい。
一度、全身麻酔から覚めた時、私は完全に「無」の状態だったと思った。全身麻酔の間、私は「死んでいた」と等しかったと思う。そう感じた。
目が覚めた時、あ、この世がはじまった感じがした。なるほど、あの状態が続くということが「死」という状態なんだな、と思った。麻酔から永遠と冷めない状態が「死」。そこは「無」だった。間違いなく、何もなかった。
人は「無」から生まれ、また「無」になる。
「私」が「私」である事の不思議を考える。
そう考えると何にでもなれる気がする。なんでもできる気がする。「生きている」という「体験」をしている。生まれてから死ぬまで。
そう考えると、「生きる」とは「出逢う」こと、「経験すること」なんだと思う。ふとそんなことを考えた「立春」。もうすぐ春が来るなぁ。