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とりとめなき雑感

誰が言ったことばかは忘れてしまったのだけど、

「不器用だから」と言ってしまえる器用さ、というものがある。

という言葉が、なぜかとても印象に残っている。

そんなことを踏まえてみると、「偽善者」とか呼ばれてしまう瞬間のひとは、ある意味ですごくまっすぐで不器用であるがゆえに、人々にそういった印象を与えてしまうのではないか、と唐突にそんなことを思ってしまった。

結局のところ、どんなに頑張っても清濁併せ呑まないことなどできなくて、併せ呑んでいないひとなどもいなくて、変化しないこともできなくて、どの側面をその瞬間に表に強く見せているかだけなのかな、などと、ふと思ってしまった。

『不器用だと言える器用さ』の類義語として、
『布石を打てる賢さ』があると思う。

いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、正しいとか間違いとかでもなくて、なんというのかな、この布石を打つ感じには、なんだかわからないけども、長きに渡った「ことば」による印象操作というか感情操作のパターンというものを感じるのです。すごく穿った書き方だけども。

そして、自分も布石を打とうとする時があるような気がするし、打っている時もある気がする。


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