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太陽より遠い月

ずっと私を『私』と呼ぶというか、認識することに違和感がありました。
いわゆる自己分析といった探ることもしたけれど、『私』という存在を客観視すらできないままでした。

単純に「私ってなに?」って誰しもが思うことがあったと思います。

例えば将来の夢は何か聞かれたら、ほとんどの子どもたちは「パテシェ~」とか「お花屋さーん」のようななりたい職業か、「お嫁さん!」とか「お姫様っ」なんて夢の王道のようなことを答えてたと思うんです。

もちろんそれぞれ、本気だったり憧れ程度だったり、即答か迷いながらかといった違いはあるんですけど、それでも答えきれるみんなが、私には不思議で羨ましく思ってました。

小学校入学前の幼いころ、ご近所さんの奥様に「夢」を聞かれて、明確な答えがない私に痺れを切らして「やっぱりお嫁さんかな?」って言われたとき、心の中になにか…電気が走ったような氷水をかけられたような、どう表していいかわからない何かを感じました。

それはまさに直観の瞬間。

ご近所さんは子ども相手に井戸端会議的ありふれた質問をしただけで、真剣に答えなきゃいけないものじゃなかったけれど、生真面目なのか私は真剣になりたいものサーチをぐるぐるしたものの、なりたいものがない、でも嘘でも「お嫁さん」って言えなかったことに気づいてしまいました。

そのうちなりたいものが見つかるだろうくらいに軽く思ってましたが一向にピンとくる何かと出会わず、何十年にもわたって、私がなりたい『私』のビジョンがないことに苦しみ続けました。

小学校で定番の「将来の夢」が心の底からこれだと思えるものを見つけられず、友達との会話や高校での進路相談、大学のゼミ選びに就職活動、なんなら仕事の中で何を担当したいかなんてことまで、人生は常に『私』と向き合って何かを選択していくものだけど、いつもその場しのぎで進んでました。

平たく言えば器用貧乏な私は、ありとあらゆる選択をしなきゃいけない人生において『私』のないまま、だらだらと生きてきてしまったと思います。

さらにやっかいなことに、私は12歳で不治の病にかかりました。
家庭環境と元々の性格も災いしてるのかもですが、そんな大病になってしまったことに素直に泣きわめいてたら少し違ってたかもしれません。
でも周りの大人の顔を気にするような子どもになっていたので、嫌なことを嫌と言えない殻を被る人間として成長してしまいました。

いえ、そもそも大病とか不治の病とか言われても、ピンときてなかったんですね。
ただ頭が弱いだけだったのかもしれません。
でも感受性が高かったから、無邪気な子ども時代を素直に過ごしてこなかったんだとも思います。

考えてるようで考えてなく、わかってたのに見落としてました。
本当は出会ってたのに気づけませんでした。

年齢を重ね社会人とか大人とか言われるようになっても、心が成長できてない私はどんどん好機を逃していたと思います。
ねじれたりせず綺麗なものは綺麗、違うものは違うって表現できる素直さを持って行動できていれば、病気と素直に向き合ってもっと健やかに今を過ごせたと思います。

といっても、どうでもいい我儘とか言い争いとかをしまくって、ある意味素直に歩んできたつもりでいたんですが、それがねじれだということに気づくまで相当かかりました。
そのねじれは元々は無邪気な性格らしい私のストレスとなって、倍速で身体を傷つけてたと思います。

きっとこういうのって、私よりもっと若い年齢で気づくものだと思います。
そこが私の不運というかなんというか、とにかくなんでも遅めなんですよね。
余談ですが、このnoteだって始めた後からわからないこと調べるという効率の悪さです。

だけど、こんな私を本気で心配してくれたり叱ってくれたり助けてくれたり離れていった人たちがいて、手遅れなこともいっぱいあるけれど私は全部それを受け入れないと本気でダメ人間だと思いました。
そして思うだけじゃだめだとも。

私みたいな人がもし他にいるとしたらですが、誰に何をどう言われても、読んでも、出会っても、頭で理解したとしても、心で気づくことがどれほど難しいかを私は実感しています。

きれいごとかもしれないけれど、夢見物語かもしれないけれど、理想論からはじめるのがわたしなんだと思います。
こんな私ができることが何か、手探りにもほどがあるけど、もし誰かのためになるなら多少の経験を活かして伝えていけたらって思います。

ここまで長く拙い文章に御付き合いいただき、ありがとうございました。

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三日月
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