愛しきトビウオ
水を得た魚ってこういうことを言うのでしょうか。
最近やりたいことが溢れていて幸せです。
もちろん世界は今新型コロナウィルスによって苦しまされていますが、もとが引きこもりになるんじゃないかぐらいのインドアで、そこそこ長い入院も数回、子どもの時から在宅医療で育ってきた私には多少の外出自粛はそんなに苦じゃないし、なんなら数か月だって平気ーーーって思ってたんですが。
これ地獄だよねって思ってます。
全然平気じゃない。
去年泣く泣く仕事を辞めてからの半年ほど、いろいろ考えこんだり吹っ切れたりそしたらまた落ち込んだりと、ジェットコースターどころかコントロール失ったドローンかっていうくらい心が浮き沈みしていました。
もしかしたら幼少期から、不安や愛情不足や挫折感をため込んでしまってて、いよいよ爆発したってことだったのかもしれません。
アドラーもびっくり、承認欲求も甚だしいですね。
それがいつからか徐々に、「感情の自覚」とでも言ったら良いのかわからないけれど、これまで経験してきたいくつもの点がつながったような、すっごく素直な私が目覚めたような感じがあったんです。
きっかけはひとつじゃないけれど、大きいのは志村けんさんがお亡くなりになったときで、こういったらなんですが、私より断然運のよさそうな園長さんが亡くなってこんなに悲しくて泣くんだから、これが身内や大事な人だったらもっともっと悲しいって思いました。
それでもちょっと前なら、落ち着いたら会えるだろうしと連絡しようとさえしないステイの姿勢でいたと思いますが、云いたいこと言えるうちに伝えないと後悔する!と、親友に長文のLINEを送信。
格別な意識をしたわけじゃないけれど、内弁慶張りな家族への態度を改めたり、半ば途絶えていた交流をどうにかできないかあがいてみたりしました。
もともと感受性は強いほうなんですが、それは周りにしか向かっていなかったというか、自己の感情には疎いなんて言葉じゃ全然足りない鈍感も鈍感だったようで、一応社会人としては紆余曲折を経て、見た目は大人中身は子ども、に気づかされたんです。
こうして私が私にびっくりしてるほど、謎の何かにイラついてたような負の心が吹っ切れ、あれしたいこれしたい、出かけたい話したいのオンパレードとなりました。
だから、外出自粛は今の私には大抵の人と同じように苦痛で地獄です。
新型コロナウィルスで思うこと。
私は基礎疾患者で、例えば体力弱いとか、医療費はやっぱり負担で経済的にきついとか、正直ごく普通のというのは語弊がありますが平均的な方よりは制限のあるライフを経てきているので、そういう意味ではやっぱりこの未曽有の異常事態の酷な環境には慣れているかもしれません。
数少ない長所として、精神面は強いほうらしいので。
強化プラスチックほどの心を持ってる私は、外出制限なら家の中見直すのにちょうどいいじゃんと楽しめちゃう能天気な性格です。
数十年、仕事が忙しいからなんてどこぞの殿が言いそうな理由を言い訳に、さんざん荒れて放置してきた部屋を片付けたり(まだまだ終わらない)、自己管理で維持しなきゃいけない身体を今頃の今更だけどちゃんと意識したり、ネットで調べものしまくったりして毎日忙しくしています。
子供のころからのインドア精神がここでフル活用されているのかも、って誰に言われることもなくポジティブ変換するのも長所ということにします。
そしてこのnoteとの出会いはかなり大きいものでした。
たまたま出会って、なんとなく手を付けて、大概三日坊主の私が続けてるしまだしていたいこと。
私は、幸せです。
だけどウィルスの心配がなくなって、街をぶらぶらしたり安心して病院に行ったり、会いたい人に無事会えることが、心から幸せと感じるに違いありません。
不幸です。
お世話になってる医師・看護師、同じ病気の仲間や薬を提供してくれるメーカーさん、入院で袖触れ合った人だって医療関係者だと思ってます。
ありきたりな言葉かもしれませんが、誰かの自己勝手な行動で誰かが傷つけられてないかと心配です。
もちろん私も病院に行かなければならないので、自己保身的な気持ちが全くないとは言いませんが、なんのスペックを持ってない私は現場にいる人たちが無事であることを祈るしかないんです。
身勝手は自身に返ってくるもの。
私が若いときに人生の先輩方がこう語る気持ちを、今身に染みてます。
素直に聞けなかった側なので、素直に聞かない人の気持ちもわかっちゃうけれど、だから言わないじゃなく、だから言うなんだなって思います。
少しでも早く、平穏が戻りますように。