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奇跡の瞬間ができるまで/務川慧悟さん「グリーグ:ピアノ協奏曲」を弾く ー②公演当日ー


🎹東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第361回定期演奏会

▪️2023/6/9 (金) 19:00開演 [18:15開場]
▪️会場:東京オペラシティ コンサートホール
▪️出演:高関 健(前半指揮※2)、山上紘生(後半指揮※2)務川慧悟(ピアノ)、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
▪️曲目:シベリウス:悲しきワルツ 作品44
     グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
              吉松隆:交響曲第3番 作品75

※1:敬称略
※2:藤岡幸夫さん急病のため変更

マエストロの変更が


⭐︎前日リハーサルの記事はこちら


昼頃上がった雨のせいで、夕刻になってもまだ空気には強い湿気が混じっている。
東京オペラシティ。
京王新線・初台駅から真っ直ぐエスカレーターで上がってくると、まず目に入るのは、巨大な人型モニュメントのある中庭的な広場だ。周囲には英国パブやパスタ店などがあり、広場の緑や行き交う人々を眺めながら飲食できるテラス席がいくつか設置されている。こんな夕暮れにはちょっとビールなど飲みたいところ……いやしかし今は推しの演奏会に行くという大仕事が控えている。後ろ髪を引かれながらもとにかくホールへと向かうことにする。 
おお! これがあの写真などでよく見るオペラシティのホールへ続く屋外通路か! なんと豪華な巨大空間なのだろうか。これは気分高まる。エスカレーターで最上階へ。

広場とホールまで続く屋外通路


コンサートの開演前は、いつも期待に満ちた華やかな雰囲気が漂っているものだが、今回はまた別の意味が込められている。期待と不安と。藤岡幸夫マエストロが急病によりドクターストップとなってしまったため、指揮者が前半高関健氏、後半山上紘生氏へと変更されたのだ。
その経緯は、開演前の高関マエストロによるプレトークで説明されたのがそれは後述するとして、まずはプログラム前半から振り返りたい。

🎵シベリウス:悲しきワルツ 作品44

タキシード姿の高関健マエストロの指揮による美しきワルツ。2曲目のグリーグと北欧繋がりになる。
この曲は戯曲「クオレマ」の第1曲を編曲した作品だそうで、プログラムノートに情景が説明されていた。

死を前にした婦人が、夢うつつの中で、幻の客と憑かれたようにワルツを踊り、それが止むとパートナーは消え、戸口に死の影が立っている

柴田克彦<プログラム・ノート>東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第361回定期演奏会冊子P.3

〈悲しき〉とはいえ、悲しみに打ちひしがれているばかりではない。時に喜びがあり、安らぎもある。モザイクのような美しさに満ちた演奏だった。


🎵グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

まずは当日の務川さんのインタビューを見てみましょう。

グリーグピアノ協奏曲について抜粋

「北欧の作曲家グリーグが20代半ばで書き上げ、亡くなる寸前まで何度も、一説によると300回くらい改訂を加えていた、彼にとっても思い入れのある、そして気に入っていた作品。北欧の響きが大変する音楽だと言われている。プロコフィエフやラフマニノフの非常に複雑な協奏曲に比べると、音が少なく演奏難易度としては実はそれほど高くないのだが、1つの和音をとってみても、グリーグらしさが凄く滲み出ている。非常にシンプルながら、自然への思い、感性を研ぎ澄ませて弾きたいような作品で、また違った難しさがある。とにかくシンプルで効果的に書かれており美しい。僕自身弾くのは久しぶりで、とても楽しみ」

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団Twitterより


スタインウェイが運び込まれる。おや、スタインウェイのサイドピッタリにマイクが……。こ、これは後日放映される可能性が大なのではと期待が高まる。(※BSテレ東「エンター・ザ・ミュージック」で放映されるかも?)
東京シティフィルの皆さんも着席し、チューニングを終える。
しばらくして拍手とともに務川さん、高関マエストロの順にお2人がご登場。務川さんは燕尾服だ〜! 四方に笑顔を浮かべなからご挨拶ののち着席。椅子を調整した後に指揮台の高関マエストロと合図を交わす。


第1楽章

遠雷が次第に近づいてくるようなティンパニのロールに引き続き、ジャン! からのピアノソロ。ラーソ♯ーミ ミードーラ……
込められた思い! 最初の三和音から胸突かれる。性急に下行しつつ音量を上げていく。重なり合う音。気持ちの高まりを抑えるような出だしだ
オーケストラが第1主題を奏で、ピアノが引き継ぐ。明確な打鍵のピアノが、グイグイと音楽を推進していく。素朴ながら厳しい北欧の自然を思わせるパートだ。

やがて弦楽器が優しい旋律の第2主題を奏でる。心に静かに沁み入るようなそのメロディを、今度はピアノがふわっと受け取る。<ヒュッゲ>という言葉を想起した。最近よく聞かれる、北欧の心温まる居心地の良い空間を表す言葉だ。しかし後から調べたところこれはデンマーク語だそうで、グリーグはノルウェー人だからちょっと違いますね。ということで似た概念を表すノルウェー語を探したところ、<koselig(コーシェリ)>という言葉を知った。温かで仄暗く、親密で安らげる空間<コーシェリ>。厳しい外界から帰ってきて、ようやく寛げる時間が過ぎていく。
華々しく一旦盛り上がった後、今度は第1主題が遠慮がちに現れる。フルートやホルンが思い出のかけらをすくうように第1主題を歌い、ピアノがキラキラ輝く水面のような分散和音で伴奏をつける。分散和音のラストの音は左手を交差してポンと、務川さんは時に水が跳ねるように時に水に溶け込むように奏でていた。とても繊細な表現だ。

カデンツァ直前のピアノ、大きく跳躍してダイナミックにアンサンブルを展開する場面では、とりわけ務川さんの緻密さを強く感じた。音の変化、音量の変化にはどれも丁寧に、意味が持たせられているのだろう。下行しつつクレシェンドしていく左手が心に響く。トリルからの右手ラスト3音、その決然とした音色で完全に場面は変わった。
カデンツァに入る時、押し溜めていた息を深く吐く音が客席にまで伝わってきた。務川さんのピアノに向かう真剣な眼差し。しかし流れてきた音は優しく、心のひだをそっと撫でるようだ。煌めくトリルを境に、内省的な響きは次第に激しく高まっていく。テンポの変化やペダル使いによって表現されるのは、あるときはゆったりと悲しげに、あるいは昔を振り返るような遠い音。そして激しい咆哮。吐露と諦めと、相反する「だけど構ってちゃん」な感じがビシバシ伝わってくる。心の揺らぎのような務川さんの表現、そこには現代的な香りも感じられた。奏者のセンスや感性がきっと大きく影響するのだろう。素人意見で申し訳ないが(全てだろう、というツッコミは置いておいて)、この現代的なニュアンスが、務川さんの魅力の一つだと思うのだ。
ラストのトリルを奏でつつ、高関マエストロやオーケストラへと音楽を受け渡す。第1楽章は終わった時、務川さんの顔にホッとした笑みが浮かんだ。



第2楽章

まずオーケストラだけで夢のように儚く、美しい旋律が奏でられる。この部分は、前日のリハーサルで高関マエストロが指摘して演奏が変化した部分でもある。まさに天上の調べともいうようなメロディ。特に密やかに上行した音楽が、今度は静かに霧の中に溶けていくように下降していき、急にG♭音で少し浮上して作り出す音型の美しさ!(語彙…汗)ここはもう自分比で言えば、ベスト10に入るくらいの美しさだ。高関マエストロのお顔は神々しく、オーケストラの皆さんもどことなくウットリとした表情、中には恍惚の面持ちの方もいらっしゃった。……分かる!
読んでくださってる方もよろしければ是非、他のYouTube動画など見ていただきたい。色んなオーケストラで第2楽章にウットリしている奏者のお顔を多数発見できますよ。まさに天上の音楽をそのまま写したような曲を書いたグリーグ、骨に染み入る尊敬だわ。
チェロがソロで受け取り、ホルンが遠くで光る。
このオーケストラだけで最高にみんなが恍惚となった中に、少し遅れて分け入ってくるピアノ、考えてみると究極に難しくないか。協奏曲とはいえ、やっぱりオケの親和な世界とは多少異質な音であるというか、最初の入りから夢の世界ぶち壊したら、こらどうしてくれるんだということになるでしょう。いや、嘘です(すみません)。
そんな大切なピアノの入りは、羽根が1枚風で舞い降りたかのようなタッチ。
心を開きながら優しく、オケが作り出した世界に入っていきつつ、同時に自らの息吹を吹き込んでいくような務川さんのピアノ。ピアノが入ると天上の世界に人間が迷い込んできたというか、<ピアノ君>の物語が入ってくるのだね。物語が動き始める。静かなパートなのにピアニストによって、個性の違いが感じられるのが面白い。抑えながらもほとばしる思い。前に向かう若者。そんなことを感じさせてくれる務川さんのピアノだった。

第3楽章

最初のちょっと油断ならない、一筋縄でいかないリズム。こういうフレーズは、務川さんが最も輝くものの一つではないだろうか。主張し、ずらし、次第にリズム全体を支配していくピアノ。その存在感はますます増していく。
前日のリハーサルでも感じたが、基本的に務川さんが譜読みし解釈した世界に、高関マエストロもオーケストラも寄り添い、それを実現しようとしてくれている。歯切れの良い打鍵からは、自らの曲想を構築しようという思いが表れていた。時には高らかに手を上げ、あるいはそっと優しく手渡すように、ピアノ、マエストロ、オーケストラが手を携えて曲が進んで行く。これこそ務川さんが考え、構想したグリーグのピアノ協奏曲だ。
明日に向かうメッセージを含むような第2主題が訪れ、曲は華やかに明るく展開する。ラスト近くの第2主題の合奏は鳥肌が立つほど感動的だ。
終盤のピアノソロ。思いの丈を湛え高らかに鳴り響く務川さんの音楽。最後までくっきりと明確に聞こえてくるピアノの存在感が大きい。オーケストラとともにフィニッシュ。

拍手喝采。高関マエストロ、そして戸澤コンマスと握手し、東京シティフィルの皆さんに挨拶をしてから振り返った務川さん。一身に拍手を浴びるその顔に汗が光る。彼のグリーグ・ピアノ協奏曲を聴くのは初めてだったが、すっかり魅了された。

アンコール

何度かの出入りの後のアンコールはビゼー作曲(ホロヴィッツ編)カルメン幻想曲。とにかく超絶技巧と迫力に圧倒された。務川さんは表情変えずにピアノに向かい、体全体で音楽を響かせる。素早い手の動きとペダル捌き。後半のさらにスピードアップする場面などは、何度聴いてもあまりの凄さに言葉を失う。それでいて一音一音はしっかり聴く者の心を奪い、夢中にさせていく。まさに乗りに乗り切ったピアニスト務川慧悟ならではの演奏に、客席もすっかり高揚しスタオベが起きた。


🎵吉松隆:交響曲第3番


この日最も注目を集めたのが後半プログラムなのは間違いない。そこで素人の私なりに聞くことのできた情報や実際の演奏の感想などを記しておこうと思う。


プレトーク

開演前のプレトークには、前半指揮を務めることになった、東京シティ・フィルハーモック管弦楽団常任指揮者の高関健氏と作曲者の吉松隆氏が登壇した。

吉松氏は交響曲第3番について「藤岡幸夫氏に献呈しているし、そもそも彼がいたから書かれたという、藤岡さんに大変因縁深い曲。循環型で4楽章構成で、こういういかにも真面目な交響曲を書きたかった。最終楽章は、梅雨を追い払うような明るい気分になれます」と語った。
高関氏は「私の指揮者人生で初めてギャラをもらった演奏会の曲というのが、実は日本フィル定期での吉松さんの作品なのです」と吉松作品との出会いを披露した。

その後高関氏は「私から、今回の経緯をお話しします」と指揮者交代についての説明がされた。以下、私の汚メモからの書き起こしです。

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藤岡さんは少し前から体調を崩されていた。1日目の練習には参加されたのだが、その後発熱し、その後の練習にも参加ができず、本番の出演もドクターストップがかかったために叶わなくなってしまった。
代演については前半は僕(高関氏)が指揮をすることは決まったのだが、では後半はということになった。もちろん僕がそのまま指揮をしても良いのだが、それでは単に指揮が僕に変更になったというだけになってしまう。山上紘生さんは東京シティ・フィルハーモニックの指揮研究員で(交響曲第3番の)指揮の準備をしていたし、練習にも初日から参加していたので彼ではどうかという案が出て、しばらく様子を見ることになった。
山上さんは僕が東京藝大にいる時の教え子で、僕は彼の担当教師だったという関係。とはいえ僕はよく言うのだが、指揮というのは教えられるものじゃない。指揮者になる人は勝手に上手くなって、自然に指揮者になっていく。山上さんは非常に真面目で内気そうに見えるが、実は面白い人。鉄ちゃんでもある。課題なども最初はうまくいかなくても、2回目からは上手く仕上げてくる人だ。
2日目以降の練習からは僕も見ていたが、山上さんは非常に頑張って(指揮を)振っている。3日目に「これは振れるな」となって、吉松さんやコンマスの戸澤さんも同意見だった。オーケストラメンバーも協力的だった。

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後半開始、会場にはどこか高揚した雰囲気が漂っていた。その要因はもちろん後半の指揮者となった山上紘生さんの演奏への期待に他ならない。山上さんは今公演が定期公演初デビューだ。
時間となり、舞台に居並ぶ東京シティフィルメンバーを前に、山上さんが溌剌とした足取りで登場した。満場の拍手に、タキシード姿の山上さんが会場に向かってまず両腕を広げ、それから深く一礼した。両腕を広げたのはオーケストラメンバーへの敬意だったとは思うが、とても堂々としてらっしゃるなあと感じた。

演奏が始まる。
ここからは全体的な印象というか感想になることをご容赦願いたい(いつもそうだろうというツッコミは…以下略)。この曲を聴くのは初めてだったが、数日前からYouTubeで音源を探し予習をしてすっかり好きになっており、この日もお聴きするのを大変楽しみにしていた。
第1楽章からオーケストラ全体で盛り上がる音と、炸裂するリズムに圧倒される。山上さんはタクトを持たず、両手と全身を使って複雑なリズムをコントロールし、様々な形で現れる楽器にキューを出していく。
第2楽章はちょっとユーモラスで不思議。マリンバの音が、太古の森にこだまする野生の営みのように鳴り響く。生命の誕生と、それが脈々と受け継がれ永遠に繋がれていく力強さを感じさせる楽章だ。山上マエストロは、時には客席にまで顔が見えるほどに大きく体を動かしながら、しっかり演奏する楽器の方を見て指示をする。
第3楽章は2人のチェリストが大活躍。阿吽の呼吸でチェロを奏で、全身で音楽を表現するお2人はまさにセッションミュージシャンだった。第1楽章のリズムが回帰された? など、リズムやフレーズが意味ありげに微笑む。コンマス他1列目のヴァイオリン4人で奏する和風のメロディが神聖だ。
そしてとにかく楽しい第4楽章。スケールの大きい展開は時空を超え、宇宙を思わせる。重層的で複雑な音の洪水を、山上マエストロは例えば4本の指、次に3、2とカウントダウンするように示すなど、ヴィジュアル的にも楽しい指揮でまとめていく。ダ、ダ、ダダという耳につくリズムが繰り返されるうちに次第に熱狂が高まり、途轍もない多幸感が湧いてくる。ああなんて楽しい曲なのだろう。弦の弓が同じ形でダ、ダ、ダダと上下し、オーケストラ全体が畝る。中心にいるのは山上マエストロ。この音楽の山を体全体で動かしている。熱狂が最高潮に達し、曲は終わった。
待ちかねていたように、会場からは大きな拍手が起きる。山上マエストロはオーケストラに深々と一礼して客席に振り返った。そして最初と同じく両腕をいっぱいに広げてから一礼した。やり切ったという表情に客席の拍手はますます大きくなり、オーケストラメンバーも大きな笑顔で拍手を送る。
途中で吉松隆さんも客席から舞台に上がられ、吉松氏にも客席から盛大な拍手が送られた。聴いたばかりの素晴らしい曲がこの方から生まれたのかと思うと、作曲家への尊敬と感動の念がふつふつと湧いてくる。
拍手は止まない。途中山上さんが一瞬感極まって涙ぐむ瞬間もあったが、すぐにマエストロとしての姿に立ち戻り、落ち着いた笑顔を見せてくれていた。
第4楽章からずっと幸せいっぱいの終局。素晴らしい演奏会でした。
山上マエストロ、おめでとうございます。




というわけでファンの皆様に業務連絡です(笑)。今公演をもって<2023初夏のむかわ祭り>は終了しました。感動多い幸せな時間でしたね。次回は7月<2023むかわ夏祭り>でお会いしましょう。


⭐︎推し散歩⭐︎
推しのオススメ「マティス展」@東京都美術館

充実の展覧会でした











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