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親密さから抜け殻へ…魔法の時間最終夜〈務川慧悟2022年浜離宮第4夜〉
いよいよ最終日。
あれから日も流れましたね……。
きっと務川さんにとっても、そしてファンにとってもあの浜離宮4公演は忘れがたいコンサートの日々でした。というわけで、第4夜のレポートです。
プログラムは第3夜と同じなので、感想については新たに気づきがあった点のみ書いています。素人の感想ですが、よろしければご一読くださると嬉しいです。
🎹 務川慧悟 ピアノ・リサイタル
⚫️2022年12月21日(水)19時
⚫️浜離宮朝日ホール
⚫️プログラム
・ラモー : ガヴォットと6つのドゥーブル
・シューマン : クライスレリアーナ Op.16
・ラヴェル : ソナチネ
・ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ
・ラヴェル : 夜のガスパール
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🎹ラモー : ガヴォットと6つのドゥーブル
この日の席は、後方17列下手側。務川さんの表情はあまり見えないかもしれないが、音の響きや会場の雰囲気、遠景だからこそ見える全体像などが楽しめる席だ。
さて演奏開始です。
哀愁帯びたガヴォットのメロディ。後方まで届くその端正な響きが心に染みる。
務川さんの振り上げた左手、次に右手。反響を抑えたまま上行するスケール。今日は昨日よりもよりクラヴサンの響きに聴こえる。最初のフレーズが戻ってきて、曲は静かに終わった。
🎹シューマン : クライスレリアーナ Op.16
今回は特に第7曲と第8曲に注目して聴いた。
第3夜でも引用したが務川さんのツィッター をここでまた引用してみよう。
シューマンのクライスレリアーナ。それは確かに美しい、愛に満ちた音楽なのでありました。シューマン自身も言っているように「この曲ではクララとクララへの想いが主役を演じている。」
— 務川 慧悟 Keigo MUKAWA (@keigoop32) November 16, 2022
しかし一方で、シューマンが、この音楽を単なる美しき音楽物語のみに終わらせることはありませんでした。それこそ pic.twitter.com/f86Gy3wLah
第7曲。務川さんのピアノから繰り出される混乱と狂気の凄まじさは驚くほどだ。いや実はこれが後方席あるあるかもしれないのだが、ここまでの長く穏やかな前半で、後方ではすっかりはんなり、安らぎきった雰囲気が漂っていたのよ(微笑)、そこへ突然の激しい咆哮が!
ピアノに覆い被さるように一心不乱に演奏する務川さんの姿と音にのどかな気持ちは吹っ飛び、緊張が戻ってきた。
速いテンポでのたくさんの音数。様々なフレーズが現れ折り重なって行く。登場人物の錯乱。その情報量の多さに、聴いている私達の混乱の度合いも高まっていく。曲は時に呂律が回らないようにも聴こえる。ふらふらと行きつ戻りつしながら、分からないままに身も心も傷ついていく登場人物の姿が浮かぶ。
そこからさらなるスピードアップで混乱は頂点に!……
そして務川さんが〈なぜここにコラールが現れるのか、真剣に考えてみると、僕はそれを不気味に思う〉と言うコラールが。務川さんの示唆するものは非常に明確だ。私達はこの登場人物およびシューマンの行く末を知るのだった。
第8曲は、混乱の第7曲の後に次のフェイズに旅立とうとしているようにも聴こえる。
もう一切の感情を失ってしまったのでした。
亡霊。ある人の感情が、大変に豊かで、豊かであるあまりはち切れてしまって、そこに残されたものはただの無、なのだとしたら、それはなんと同情すべきことなのでしょうか。そして恐ろしいことなのでしょうか。
淡々と、全ての感情を排して歩み続ける登場人物。ガスパールの「絞首台」ではないが、延々と保続される音型。中間部の激しい熱量は、歩む人を止め再び愛を思い起こさせようと説得しているようではないか。切々と訴える声は、孤独に歩く人の深層に潜む残り火なのか。クララの愛にも似た大きな愛。歩む人も心を動かされたのかも知れない。
その人間らしい感情はすぐに消えてしまう。感情はすっかり断ち切られているようだ。もう一度、今度はもっと大きく愛の存在を叫ぶ魂の底からの声。かつて愛し愛されていた時があったことを思い起こさせようと、激情的に叫ぶ声は聴くものの心を打つ。しかしこれが最後のチャンスだったのだ。歩みは止まらず、そのまま淡々とラストへ。
指を鍵盤から離してからも、その視線を前方少し上空に向けたまま、しばらくその体勢でいた務川さん。
少ししてから立ち上がり、客席に向き合ったがその表情はまだ硬く、シューマンの幻想の世界に身も心もとらわれているようだった。やがて務川さんはいつもの温和な表情に戻り、丁寧に挨拶をした。
🎹ラヴェル : ソナチネ
🎹ラヴェル : 亡き王女のためのパヴァーヌ
弱音の響きさえ、最後部の席まで確実に届く。くすみを帯びたような、遠い昔を振り返るような親しい調べ。完成された美しさが与えてくれるのは、上質なものに包まれた心地よい時間。
何度も聴きたい務川さんの珠玉の曲達。
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🎹ラヴェル : 夜のガスパール
オンディーヌの水の表現の素晴らしさにまたもや驚嘆した。唯一無二ですね……。
絞首台の鐘の音は、もはやピアノの音色には聴こえなかった。風に揺れて鳴るのだが、風が止まってもなぜか音を響かせる。この世のものではない鐘の音。
スカルボは、甲高い声や飛び回る姿、音の1つ1つに意味があり動きが見えるような演奏だった。今回思ったのが、活き活きと動き回る部分もそうだが、陰で蠢く部分がとても丁寧に表現されていたということ。それがまた不気味さと恐怖心を煽る。例えてみると、部屋に虫が出たら「ひえぇ〜」と思いますよね。部屋を動き回る姿は不気味で怖い。だけどその虫を見失ってしまったら。姿は見えないのにその羽音だけがカサカサ聞こえる……恐怖心はさらにアップじゃないです? 得体の知れないものがモゾモゾとどこかで動く恐怖。務川さんのスカルボの怖さはそれだと感じた(お分かりいただけただろうか)。
🎤トーク
さてトークです。
語句はなるたけ活かしながら、自分の記憶力をフル活動して頑張ってみます。
「本日はお越しいただき、ありがとうございました。今回はここ浜離宮朝日ホールで4回という、少し無茶な公演をやらせていただきました。というのも僕はこのホールが大好きなので、この場所で是非4回にわたる公演をしたいという、僕の思いから今回の公演が実現したのです。
公演中、僕はこの近くに泊まっていたのですが、もう寝ても覚めてもこの(ホールの)光景が浮かぶという感じでした。
公演が終わると僕は毎回まさに抜け殻でした。精神的にも疲れがあったのか、10時間くらい寝ていました。目が覚めたらもうリハーサルの時間で、公演があって、終わったらまた寝て。もう寝ているか、弾いているかという状態でした(笑)。でもこれは演奏家の職業的な特質であるのですが、50時間練習してその成果をたった2時間に全て出し切らなければいけないのです。ということで10時間眠ることも許していただきたいなと(笑)。
さて公演も4日目ということで、もう4回目になるのですが、またお伝えさせてください。僕のラヴェルの2枚組CDがこの度リリースされました。ラヴェルは僕にとって最も大切な作曲家の一人ですので、そのラヴェルのピアノ曲全集をCD発売することができ、とても嬉しく思っています。僕の希望で、ご購入いただいた方を対象に、久々にサイン会を行っていますので、ぜひご購入ください。すみません、宣伝でした(笑)。
今日演奏した曲についてですが、ラヴェルについては、いろいろなインタビュー等でお話ししていますので、そちらをご参照ください(笑)。
シューマンについて、実は最初弾くか弾かないか迷ったのですが、今回演奏することが叶いました。
コロナ禍で演奏会がほぼ無くなった時、僕は実家に2、3ヶ月篭っていました。田舎で、その生活は心地良かったのですが、人前で弾けないという辛い思いもありました。そんな中で僕を支えてくれた音楽は、シューマンの歌曲達であり、ブラームスのOp.116であり、そしてこのクライスレリアーナだったのです。それからクライスレリアーナはいつか演奏会で取り上げたいと、ずっと思ってきました」
🎹アンコール
・ラヴェル:ハイドンの名によるメヌエット
「僕は『ラヴェルの作品の中で1番好きなのは?』と尋ねられたら、これを言おうと思っている曲が2曲あります。
大曲部門では『鏡』、小曲部門では『ハイドンの名によるメヌエット』です。僕が何度も聴き、とても支えられてきたペルルミューレの演奏がとても素晴らしいのです」
美しいフレーズが胸を打つが転調に次ぐ転調、どこに転じていくのか、不思議な味わいのある曲だ。静かで優しい印象。
・ショパン:ポロネーズ第6番<英雄ポロネーズ>
「個人的にはこのまましっとりと終わりたいところですが、最終日なので盛り上げたい」
しらかわから始まる公演中、私は幸運にも3回英雄ポロネーズを聴くことができた。
今回は後方席から務川さんを見ていたが、腕を振り上げたり頭を振ったり、堂々と弾くお姿をじっくり見ることができた。壮麗な出だしから、中間部は思い切ってテンポを落とし、哀愁に満ちた表現で人生をしっかり語る。そんな人物像が語られるからこそ、英雄として立ち向かうラストはとても迫力があった。務川さんの英ポロ、クセになる。
ーーーーーーーー♪
演奏会終了後のサイン会は、昨日よりずっと長い列ができた。どの方も皆さん、感動と感謝の言葉を務川さんに一言二言伝えている。務川さんも慌ただしくディスクにサインをしながら、しっかりアイコンタクトして笑顔で応じている。僭越ながら、その表情も物腰も先週よりずっと柔和に思えたのだが、務川さんのこの日のトークからすれば納得。演奏後は〈抜け殻〉だったんですからね。特に先週なぞは、まだ公演始まったばかりだったし、もしかしたら緊張もあったのかもしれませんね。
では先週、私達ファンはどうであったかと思い返すと、すでに感動と興奮の真っ只中にいたような気がする(笑)。いつもテンション高めなのは許してほしい。
浜離宮朝日ホールでの4度のリサイタルが終了しました。それはまず何より僕にとって幸せな時間でした。時に訪れた、しーんと張り詰めた特別な静寂の中で(そんな空気を共に作って下さった皆様に感謝!)、偉大なそして親密な音楽を皆様と共有できたのではないかというあの感覚…今後も忘れないと思います。 pic.twitter.com/7surhdH12S
— 務川 慧悟 Keigo MUKAWA (@keigoop32) December 22, 2022
公演後の務川さんのツィートが嬉しい。
私達ファンは、今や激戦になりつつあるチケットをゲットし、期待と緊張にドキドキしながら会場へ足を運んできた。
音楽が始まれば、務川さんの繰り広げる世界にすっぽり包まれる。ある時は心を開放して身を委ね、ある時は込められたメッセージを聴き逃すまいと集中する。その気持ちはきっとみんな同じだ。
しんとした会場で感じた空気は、務川さんの音楽を聴きたいという思いとともに、務川さんが創り出す世界観を壊したくない、邪魔したくないという気持ちだったと思う。そしてその空気は確かに務川さんに伝わっていた。
16日第2夜のトークで、務川さんは前半二日のプログラムは「〈親密さ〉をテーマに選曲した」と仰っていた。その演奏がもたらした〈親密さ〉と、良い音楽を創り出そう&良い雰囲気を作ろうという演奏者と聴衆の共通の思いがもたらす〈親密さ〉。二つが融合し特別なひとときが生まれた。公演期間はまるで魔法をかけられたような数日間だった。
そんな雰囲気は、千穐楽となるこの日も会場を包んでいた。暖かで幸せな心地と、さらにお祭りの終焉の華やかな高揚感。
務川さんやスタッフの方々、観客の皆さん、どの顔にも笑顔が溢れていた。
そして今、あの会場にいた皆さんはどうされているでしょうか。務川さんが抜け殻になるほどに全身全霊で届けてくれた音楽は私達の心を一撃に砕き、圧倒し、えぐりましたよねえ(※めちゃくちゃ誉めてます笑)。あんな凄いの、聴いた方だって抜け殻になりますって! 終演後も数日、あるいはまだ抜け殻の方もいたりして。魔法の効力は長いのです……
というわけで浜離宮4公演のレポートはこれで終わりです。
務川慧悟さん、素晴らしい演奏会をありがとうございました!
読んでいただいた皆様もありがとうございました!
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