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崇高な輝きの果てを見た ー務川慧悟氏のAプログラムを振り返る


⛄️四季のコンサート ~冬~ 務川慧悟ピアノリサイタル

・2023/12/14(木) 18:30〜 
・アクトシティ浜松 中ホール


充実のABプログラムを携えての秋・冬公演もこの日はいよいよ最終日、ラスト公演でした。しかも務川さんが〈思い入れのありすぎる街 浜松〉のアクトシティ中ホールでのリサイタル。このコンサートについて、そして改めてAプログラムを振り返りつつレポートしたいと思います。

✍️務川さんのプログラム解説動画



🎤まずはご挨拶から始まった

「こんばんは。本日はお越し頂きありがとうございます。
ここ浜松は、僕にとって特別な意味を持った場所です 2018年に開催された第10回浜松国際ピアノコンクールに出場し5位に入賞しました。その時は約1ヶ月の滞在期間があったので、今回浜松駅前に着いた時には色々なことが思い出されました。このホールで演奏するのもそれ以来でとても久し振りですし、個人的なフルリサイタルをさせていただくのは初めてです。そして実は本日のShigeru Kawaiは5年前と全く同じピアノなのです。

当時と同じ会場で同じSKを5年ぶりにリハーサルで弾いてみると、コンクールにまつわる思い出が色々と蘇ってきました。あの頃僕はまだピアノで食べていなくて、ただ真剣にピアノと向き合い取り組んでいました。
1ヶ月間浜松で過ごすことになったので僕は自分だけのルールを課すことにしました。敢えて1人で過ごすことにして、孤独の中からどんな音楽が出てくるのかを試してみようと思ったのです。
朝起きて練習を3-4時間して一旦ホテルに戻り休憩、その後また練習する。練習後はホテルに戻り食事を摂る。ほとんど携帯も触らないという謎ルールですが(笑)そんな思い出が色々と浮かんできました。

本日のプログラムはバッハのフランス風の舞曲が30分、その後のフランクが20分、前半だけで50分というちょっとハードな内容ですので、最初にお話しさせて頂きました。実は両方ともロ短調なのですが、ロ短調を連続して演奏したらどうなるのか、僕は長年やりたいと思っていたので今回のプログラムに組んでみました。
後半はレーガー、ブゾーニなどの作品からバッハが後世に与えた影響と、バッハの偉大さを感じて頂きたいと思います。心を込めて演奏しますので、お聴きください」


5年前と同じホール、SK



⭐︎ここでちょっと第10回浜松国際ピアノコンクールを振り返ると・・・

ご挨拶でも語られた浜松への思い。
前述したが、務川さんは2018年の第10回に参加し第5位入賞している。
第1次から第3次予選までは浜松アクトシティ中ホール、本選は大ホールでオーケストラとの協奏曲という形で実施された。
ちなみにその時に務川さんが演奏した曲は以下の通り。

🔸第1次予選:11/9(1次予選1日目)
・ラモー:新クラヴサン組曲集 第1番より「ガヴォットと6つのドゥーブル」
・C. ドビュッシー:練習曲 第6番「8本の指のための」
・F. リスト:「伝説」より 波を渉るパオラの聖フランチェスコ

🔸第2次予選:11/15(2次予選1日目)
・F. メンデルスゾーン:幻想曲 嬰ヘ短調 Op.28 「スコットランド・ソナタ」
・C. ドビュッシー:前奏曲 第1集 より 「雪の上の足あと」
・C. ドビュッシー:前奏曲 第1集 より 「さえぎられたセレナード」
・佐々木 冬彦:SACRIFICE
・A. スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第5番 Op.53

🔸第3次予選:11/19(3次予選1日目)
・W. A. モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第2番 変ホ長調 K.493
・J. S. バッハ/F. ブゾーニ:シャコンヌ ニ短調
・M. ラヴェル:鏡

🔸本選:11/23(本選1日目)
・S. プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 Op.26



1.J.S.バッハ/フランス風序曲 ロ短調 BWV831

今日でAプログラムはラストとなるが、今ツアー初のSK! 
ロ短調について務川さんは解説動画でこう語っている。

ロ短調作品は大変な傑作で、作曲者が決意を込めて書いた作品が多い。実は鍵盤楽器という面から見ると、ロ短調音階は個人的には最も手に馴染まない調性だと感じる。長い指で手前の鍵盤を弾き、短い指で奥の黒鍵を弾かなくてはいけないという、手にとって弾きにくい調性。そのことが音楽の流れがスラスラ行きづらいというロ短調の特徴を生み、鍵盤曲に深みのある曲が多く生まれたと思っています」。(動画4:20あたりから)

〈序曲〉の最初の音が煌めきながら中ホールの空気に散っていった。複付点リズムのメロディとフーガのパートが交互に表れるフランス風序曲。SKの心踊る美音が中ホールの高い天井に響き、立体的な音達が雨のように降り注いでくる。しらかわでは「祈り」のように聞こえた序曲が、ここでは華やかな祝祭の幕開けのように聴こえるから不思議だ。続く各舞曲もより生き生きと、まるで踊り手の姿が見えるように感じられた。
〈エコー〉各声部が務川さんの手によりオーケストラのように多彩で肉厚に表現され、音の奔流となって飛び出てくる。その躍動感は目がくらむほどだ。それもそのはずで、エコーはめちゃ盛り上がるように書かれているらしい。

ジーグのあとに置かれたエコーでは、鍵盤の切替を表す「forte」と「piano」の指定が多数書き込まれており、ここに至ってようやく二段鍵盤の特性を活かす楽章が登場する。

バッハ :フランス風序曲(パルティータ) ロ短調/ピティナ・ピアノ曲事典 https://enc.piano.or.jp/musics/396


務川さんも動画でこう話している。

説明をする務川さん(動画より)


「(エコーは)フォルテとピアノの交代が非常に激しい曲になっています。当時チェンバロの上の鍵盤がピアノ、下の鍵盤がフォルテと、鍵盤で音量を変えていました。チェンバロの技法を駆使した素晴らしい曲です」。(動画8:28あたり)


最初は確かに30分という長さに戸惑いもあった〈フランス風序曲〉だが、務川さんの真摯な演奏からは時に祈りのように、時に内なる声が聞こえてきた。ラストの日にSKによって舞曲の魅力を存分に感じられたのは嬉しかった。


2.フランク/プレリュード、コラールとフーガ ロ短調

Wikipediaによると「はじめフランクはバッハに倣った「前奏曲とフーガ」の形式で作品を構想していたが、のちにコラールを挿入することを思いついたという」。〈前奏曲〉の第1主題はBACH主題に類似している。そしてロ短調。

心の痛みを切々と訴えるような〈プレリュード〉。激しい慟哭が胸に迫るが、すぐに靄の中に紛れてしまう。しかし靄の中でもp音がその存在を確かに伝えてくる。務川さんがp音を「作者の強い思いが込められた音」と表現していたのを思い出す。
〈コラール〉苦悩しながら祈りを捧げるような前半。祈りを重ね次第に露わになった心はそのまま〈フーガ〉へと駆り立てられる。
行きつ戻りつしながら精密に描写されるメロディがうず高く上り詰めていく。務川さんは一瞬の間を取り、息とともに強くペダルを踏み込み頂点を極める。そしてその刹那、今度は一気に奈落へと落ちていく。積み上げられた音達はあっけなく崩れ散り、落差の激しさに茫然となる聴衆の頭上に細かな残像の粒子がパラパラとスローモションのように舞い落ちる。
再びコラールの主題が救いのように降りてきて、そこから怒涛の大団円。ラストは煌めきの中のフィニッシュ。

しかし務川さんのフランクって、なんて素敵なんでしょうね。


3.レーガー/6つのプレリュードとフーガ Op.99より 第2番 ニ長調

4.J.S.バッハ=ブゾーニ/10のコラール前奏曲より 第4番 ト長調『今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ』

後半はバッハのヴィルトゥオジティの側面と後世への影響をテーマとした華やかで技巧的な曲が並ぶ。
レーガーは短い小品だが、超高速かつ上品なプレリュードと、印象的なフレーズのフーガで耳を惹きつける。
続くバッハ=ブゾーニ、務川さんの演奏は胸のすくような超高速の演奏! 鮮やかな印象で一気に会場を静かな歓喜の興奮で沸かせた。

5.J.S.バッハ/半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903


鍵盤を激しくスケールが上下行すると、それに合わせて光線が走り、強いエネルギーが舞台から一気に放たれるよう。

「(この曲は)当時最大の鍵盤弾きであったバッハの、鍵盤を駆け巡る技巧の喜びに満ちている」と務川さんはしらかわホールでのプログラムノーツに記している。

拍子の枠を超えて溢れ出る音階・アルペジオや、楽譜上に和声進行のみが記され自由に「アルペジオせよ」と指示のある、音遣いの選択が奏者に委ねられた即興的な部分、またレチタティーヴォと書かれた語りの部分、等々、バロック時代の音楽が自由と即興的要素に溢れたものであったことを、再認識させてくれる

務川慧悟:Program Notes/2023/12/12務川慧悟ピアノ・リサイタルより
「アルペジオせよ」と「レチタティーヴォ」


続く半音階の〈フーガ〉。バッハの半音階はキリストがゴルゴダの丘へ歩む様を表していると、以前務川さんが話していた。半音階のフーガの重なりが、終わりのない責め苦のループのように聞こえてくる。足掻く様な、思うようにならない前進。務川さんは勤勉に実直に、ひたすら苦行を続ける。果てしない道行きのラストで、ようやく心は報われる。

しらかわでのコンサートで務川さんはバッハについて「最初は論理明晰なところが気に入っていたのですが、だんだん人間的な部分に着目するようになり、改めて好きになりました」と語っている。
鍵盤の端から端まで指を走らせ、技巧的な喜びに浸る〈幻想曲〉のバッハと、辛抱強く音を一つ一つ積み重ねていく〈フーガ〉のバッハ。務川さんの演奏から感じられたバッハの両面。まさにバッハの人間味を感じられる一曲だと感じた。


6.J.S.バッハ=ブゾーニ/シャコンヌ ニ短調

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌを、1866年生まれのイタリアの作曲家かつヴィルトゥオーゾ・ピアニストのブゾーニがピアノ用に編曲した。没年は1924年。現代の音楽家なのですね、と今更に。

アルトゥール・ルービンシュタインは、ブゾーニ自身が弾く《シャコンヌ》をパリで聴いたときのことを、次のように回想録に記している。「ヴァイオリンのために書かれたシンプルな旋律とハーモニーに見事な伴奏声部を寄り添わせ、彼は作品に豊かな衣を着せてみせた。これはピアノ音楽の傑作である。バッハ自身も容認したに違いないと、私は思う」。

ピティナ・ピアノ曲事典 https://enc.piano.or.jp/musics/5054


務川さんはこの編曲について「現代ピアノの端から端まで最大限駆使した編曲となっていて、原曲のヴァイオリンより非常に華やかなものとなっている」と仰っている(動画14:20あたり)。
以前の説明で短調→長調→短調という盛り上がりがあると仰っていたと記憶するが、天に向かい懺悔を告白するような出だしから、重厚感溢れる変奏が続いていく。
シャコンヌは「17世紀から18世紀にかけて流行した3拍子の舞踊形式」(音楽中辞典p.291)なので、そこに宗教的なものを見るのは違うのかもしれないが、重みのあるメロディとドラマティックな展開が、どうしても崇高な内容を感じさせる。しかもブゾーニが書いた超絶テクニック満載の難曲。息を詰め一心不乱に演奏する務川さんを見ていると、務川慧悟のヴィルトゥオージティこそが明確に心に刻まれていく。手に汗握る。長調での感動的な盛り上がりからラストに至るまで、聴衆は色々な光景を見、感情を揺さぶられる。

このアクトシティ浜松 中ホールで5年前、同じShigeru Kawaiで、務川さんはこの曲を演奏した。コンクールという特殊な環境の中でも、きっと自分の世界に没頭しながら演奏したに違いない。この日も自分の放つ音に集中しつつも、SKやホールの響きによって5年前の記憶がふと浮かんだりしなかっただろうか。もしそうだとしたら5年前の音と共鳴し合っていると言えなくもない……。

圧倒的迫力の音楽がホールに鳴り響き、荘厳な空気が会場を満たす。音を鳴らしているのは務川慧悟という1人の音楽家。音楽の渦の真ん中で一心不乱に尚も音を作り出し続けている。

演奏が終わると、今までの会場がそうであった様に、聴衆はあまりの衝撃に心を奪われながらも、茫然自失の拍手を送る。凄いものを見たのだ。聞いたのだ。今の瞬間を信じられようか。一旦舞台を去る、精力を尽くしたスリムな音楽家にただひたすら手を叩く。

ほぼ満席の会場


7.ショスタコーヴィチ:24のプレリュードとフーガより 第15番 変ニ長調

ところが我らが推しときたら、やや早足で再び舞台に現れたかと思いきや、さっさと次の曲を弾き始めた。鋭い警告音のようなスタッカートの四分音符。ユニークな香りもする風変わりなメロディのプレリュードが、聴衆の心をまた新たに務川さんに惹きつける。強い印象の打鍵が神がかった雰囲気を一掃する。
ショスタコーヴィチがバッハの「平均律クラヴィーア」に倣い、1951年に作曲した前奏曲とフーガ全24曲の第15番。2021年のエリザベート王妃国際音楽コンクール、セミファイナルでの務川さんの演奏が心に残るが、実は日本でこの曲を演奏するのはそれ以来、久しぶりのプログラム登場だ。
圧巻のフーガ。ffで始まる不可思議なリズム、変拍子に転調の嵐(笑)。

変拍子凄い!


ショスタコらしい、クレイジーなフレーズ。別のクレイジーなフレーズがさらに追いかける。それを翻弄する様な務川さんのクレイジーなまでのスピード! ジェットコースターの様な浮遊感を、どこか威厳を持つフレーズが制御する。スピードが再び上がる。激しく流れていく音楽を、務川さんは体全体でコントロールして行くが、聴く者は目の前に次々現れる新たな音を受け止めるので精一杯だ。
凄まじいスピードと迫力。自身の限界への挑戦の様なパフォーマンスは、バッハとその後継者という歴史的なヴィルトゥオーゾ達への最高の敬意の表明に他ならない。
放出される音は次から次へと積み重なり、次第に重みを増して行く。息詰まる緊張感の中、務川さんのパフォーマンスはますます熱を帯び、汗が散る狂乱の踊りの如くフィニッシュ!

爆発的に起こった拍手とスタンディングオベーション! 立ち上がり拍手を受ける推しの額にも汗が光る。
あー神がかった崇高なるAプログラムが終わってしまったーー。
音楽は時間芸術とはいえ、永遠に記憶に留めておきたい貴重な時が終わってしまったという悲しさは、やはりどうしようもない。でも今は、満足そうに拍手を受ける偉大な音楽家、務川慧悟に盛大な賛辞を送ることに集中したかった。

バッハのヴィルトゥオージティを辿る旅は、偉大な後継者達の作品を経て、現代の務川慧悟というヴィルトゥオーゾに至った。

浜松出身・夏目麻衣さんのクリスマスアート


♫アンコール

1曲目:ドビュッシー  2つのアラベスク 第1番 ホ長調
2曲目:ショパン  ポロネーズ第6番 「英雄」 変イ長調 Op.53

熱狂のAプログラム&今冬ツアーのラスト公演、そして2023年の仕事納め(だそうです)を飾るラスト2曲。いずれも務川さんの思い入れある作曲家2名のもしかしたら最も有名な曲、非常にキャッチーでポピュラーな曲達だ。神々しいばかりのAプログラムの後にこういう選曲をするところが務川慧悟の良いところだよねえ、とかそういうのは置いておいて(笑)。

止まない拍手に指一本で「あと一曲ね」と示してから弾いてくれた〈英雄ポロネーズ〉。務川さんは以前からこの曲をアンコールで演奏する時には「元気で帰っていただきたいから」と仰ることが多かった。英ポロといえば、華やかで高らかに歌い上げるメロディや、騎馬を思わせる疾走感がピアニストの鮮やかなテクニックによって華麗に披露される一曲。
しかし務川さんの英ポロは少し異なる。勝利への道、雄々しく鼓舞する様なメロディの間にのぞく陰影、迷いや躊躇い。そしてそれを乗り越えて、ゆっくり歩み始める務川さんの〈英雄〉。

浜離宮最終夜のスピーチで務川さんは、この曲が生まれた1842年がショパンにとって困難な時代であったことを説明し「〈英雄ポロネーズ〉ではそれを乗り超えた強さが感じられ、僕はそこが大好きなのです」と語った。
そのお言葉通り、務川さんの奏でるポロネーズリズムに身を委ねていると、〈英雄〉の人間性が伝わり、体内に明日への希望や可能性がじわじわと広がっていくのを感じる。崇高な神プロの最後は推しの人間味溢れる演奏によって、温かい気持ちでのクロージングとなったのだった。



うっわ! 書けば書くほど長くなる……汗。崇高なAプログラムの感動を書き連ねていたらこんなことに。
務川慧悟さんの最終公演からだいぶ日数も経ちました。今振り返ってもため息しか出ない、本当に凄いプログラムでした……。


ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。

⭐︎おまけ⭐︎ 務川さん、ありがとうございました!

熱演後のサイン会😊


音楽の街、浜松







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