スピリチュアルについて思う事②
さて①の続きです。
またまた無職となってしまった私ですが、
現実世界を生きると決め、ただ毎日をこなし、いつか訪れるであろう死の時まで「ただただ生きる事をしていこう」と
本当は死んでしまっても構わないくらい自分の価値を見いだす事が出来ずにいたのです。
でも死ぬ勇気もない、
何ならただ存在しているだけでいいや(ネガティブな意味で)と
投げやりな気持ちでいたのです。
両手のリハビリが終わり、また就職活動を開始します。
今度は再発しない様に手の負担がかからないような仕事を探しました。
近所での軽作業のパート(私は派遣として在籍しました)に従事する事が出来ました。ここではフルタイム勤務でしたし、お給料も以前のパート収入よりも多かった事、休日も一般の社会人と同じくカレンダー通りお休みもありました。条件も良かったので、頑張ろう!定年まで働こう!と決めていました。
ですが、3年ほど経ち、有期雇用派遣から無期雇用派遣に契約更新した直後、その勤務先が数年後遠方に移転してしまう事が発覚します。
遠方な為、既存のパートさん、派遣社員は事実上解雇、解散となる予定です。
私は契約した派遣会社に所属してはいましたし、継続してそこからお仕事を斡旋してもらう事も出来ました。ですが、この事業所の仕事で、この場所で勤務し続ける事に意味があったので(そのために頑張って仕事を覚え、勤務を続けてきたので)これ以上この派遣会社との契約は続けない事を決意します。まだ数年はその事業所に勤務可能でしたので、その移転までは所属する事に決めます。
そしてここから様々な出来事が私に起こってきます。
まず、このお仕事の現場で私は自分への自信を取り戻してきていました。
私は大雑把なので、繊細な作業は苦手でしたが、担当ラインの責任を任され、後輩への指導を担ったり、自分の収入も目に見えるように上がっていった事もあり、本来の自分に近いエネルギーを徐々に取り戻す事に繋がりました。
そんな中、数年後には再び無職になってしまう状況に見舞われます。
ですが、今度の私は以前の私とは少し異なっていました。
もし、この仕事を終えた後、本当に自分に何が出来るのだろうか?
本当は自分は何がしたいのか?
そう思うようになっていったのです。
そんな中、ふと過去に好きだった事が蘇って来ました。
それはオーラソーマというカラーセラピです。
私は20代初めの頃にオーラソーマに出会っています。
それを知った時、スピリチュアルなんて知りませんでしたし、同僚に紹介してもらったエステサロンの経営者が趣味でお店に飾っていたもので
「きれいなボトルだな」位にしか思っていませんでしたし、オーナーのご厚意でリーディングをしてもらったのを記憶しています。
それから興味はありつつも、書籍を購入し、なんとなくその世界観を知っていましたが、当時の私はそれ以上その世界観に引き込まれる事はありませんでした。
その直後うつ病に罹り、その当時に持っていた全ての経験を投げ打って自分の世界に引きこもる生活が始まっていったのでした。
そんな嫌な記憶と共にこのオーラソーマセラピーについての記憶が蘇ります。当然その頃の記憶に良いイメージはありませんでしたので、奥底に眠っていた記憶でした。
でもその時は「私これがやってみたい、これをお仕事にしていきたい」と強く思ったのです。
再びスピリチュアルな世界へ引き戻されていきます。
それからは行動が早かったです。
オーラソーマセラピストを探し、先ずリーディングを受け
そこのスクールにも入学しプラクティショナーの資格も手に入れました。
またそのスクールのティーチャーはレイキマスターをしていたので、レイキの資格もレベル3まで取得しました。
ですがその時どうしてもマスターの資格を取る気持ちにはなれませんでした。
マスターの資格を取る4thディグリーの受講料はそのスクールでは7万円でした。7万円支払えばマスターを取れると言ったその師匠の言葉に私は戸惑ってしまいました。(その師匠は素晴らしい方で実力も大いにある方ですので、その言葉とその師匠の伝授法に疑いがあった訳ではありません)
マスターという称号は、数十年かけて取得すべきものであろう物という私の観念が主張します。
マスターは人を導く者でなければならない、であるならば、その人柄含め、その施術に対する確かな手ごたえと実績のもとマスターであるべきだと私の中の観念は主張し続けます。
私はここでレイキの伝授を止めました。
と共に、オーラソーマという商業形態の実態にも直面し一端この歩みを止める事になっていきます。
そして
ここに至るまで数々のワークショップに参加するなど多額の費用がかかっていました。
ですが、この時の私はある「大きな間違い」にはまだ気付いていなかったのです。
③に続きます