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プロ野球再編問題から20年

はじめに

2004年にプロ野球再編問題が起きてから今年でちょうど20年経ちました。
当時私は小学校高学年だったのですが、今でも記憶に残っています。
なぜ今回この事について取り上げようと思ったのかというと、今年の日本シリーズ第6戦にてホークス応援団が頑張ろうパ・リーグという横断幕を出しながらパ・リーグ連盟歌『白いボールのファンタジー』を歌った際に、X上で「パ・リーグのチームから選手引き抜いておいて何が頑張ろうパ・リーグだ」というニュアンスの投稿があったからです。

私自身ホークスが好きかと問われればNOです。(理由はお察しください)しかし、『白いボールのファンタジー』という連盟歌はパ・リーグが1つになる大事な歌なのです。
そこにはチームの好き嫌いはありません。
再編問題から20年経過しているので当時を知らないファンも多いと思います。
今回はオリックスと近鉄の合併、パ・リーグ消滅の危機に直面したプロ野球再編問題を少しでも、当時を知らない方にも知っていただければと思います。

2004年プロ野球再編問題の時系列

①突然の合併報道

2004年6月13日の日本経済新聞朝刊にて「近鉄とオリックスの合併」が報じられました。
当時、小学校高学年だった私は全くもって理解していませんでしたが連日ニュースでこの話題が取り上げられていたと思います。
当時のパ・リーグは「人気のセ、実力のパ」と言われるくらい観客数は少なく、テレビ中継も巨人戦しか無くパ・リーグ各球団は赤字が膨らんでいた状態でした。
この合併報道が報じられてからパ・リーグの存続を願い、パ・リーグの試合会場で応援団が白いボールのファンタジーを演奏しファンが歌うという光景が徐々に始まっていくようになりました。

7月7日に行われたオーナー会議後、当時西武のオーナーだった堤オーナーから更なる衝撃的なコメントが発表されます。
「もう一つ合併が進んでいる。」「1リーグ構想の存在」
1球団減るだけでなくさらにもう1球団減り1リーグになる可能性が示唆されるコメントでした。
子供の私はこの時点でもことの重大さを理解出来ていませんでした。
当時は交流戦も無くオープン戦か日本シリーズでしかセ・リーグのチームとパ・リーグのチームが対戦する事が無かったので「高橋由伸とか生で見れるんだ!」くらいにしか思っていなかったかもしれません。

このオーナー会議を受けて、当時プロ野球選手会の会長だった古田敦也さんが報道陣から「選手会長としてオーナーと会って話しをする機会を持ちたいか」という質問を受けた際に「オーナーと会って話す機会があれば話したい」という趣旨のコメントをします。
しかし、古田さんのこのコメントを当時巨人のオーナーの渡邉さんに記者が伝えると「無礼な!たかが選手が!」と発言してしまいます。古田さんは「出来たらいいなぁ」くらいの感じでコメントしたはずが、渡邉オーナーにそのニュアンスが上手く伝わらなかったようでした。

②選手会が動き出す

しかしこの渡邉オーナーの発言から世間の風向きが一気に変わります。
7月16日に近鉄の選手たちが合併反対の署名活動を開始します。
翌週23日には中日選手会も署名活動を開始した事をキッカケに、全球団が次々と署名活動を始め選手とファンが敵味方関係なく一つになり始めました。

そんな中、8月10日にオリックスと近鉄が合併の調印を行ったと発表しました。
これを受けて12日に当時の日本労働組合総連合会(連合)笹森会長と選手会が面談を行いストライキ権の確立を行いました。
プロ野球の歴史上初めてのストライキが行われるかもしれないとなり、プロ野球ファンに限らず日本全体を巻き込んだニュースになってきました。

③ストライキ決行

9月6日に選手会の臨時運営委員会が行われストライキの実施が採択されましたが、8日に行われたオーナー会議で近鉄とオリックスの合併が承認されてしまいます。
9日と10日の2日間にわたって選手会による団体交渉が行われストライキの決行が一旦回避されることが決まりました。団体交渉後の会見で球団側の代表のロッテ 瀬戸山球団代表(当時)が古田選手会長に握手を求めましたが、古田さんはこれを拒否。
この握手を拒否したシーンは選手会側の強い意志を表すシーンとしてインパクトが強かったです。

1週間後の16日と17日に再度団体交渉が行われましたが交渉は決裂。選手会はプロ野球の歴史上初のストライキ決行を決断しました。
このストライキ決行の知らせはすぐに試合中の各球場に伝えられました。
私はちょうど試合中継を見ていたのでストライキ決行をリアルタイムで知りました。
その時の衝撃は今でも忘れることが出来ません。
この日の夜、各局のニュース番組に古田さんが生出演しストライキを決行する事を謝罪しました。
その時の映像がYouTubeにアップされていますが、今でもその映像を見ると胸が締め付けられる様な気持ちになります。

団体交渉翌日の18日と19日にストライキが決行され各球団の選手たちはサイン会などのファンサービスを行いました。
私も札幌ドームで行われたファイターズ選手のサイン会に参加しました。
子供心としては試合も楽しみではありましたが、サイン会はサイン会で選手と触れ合える数少ないチャンスだったので純粋に楽しんでいました。

④12球団維持へ

このストライキが明けた23日に再び団体交渉が行われ、12球団維持に向けて新規参入球団の審査を行うことで合意します。
ストライキ決行が決まった前回の交渉からたった1週間でオーナー側の態度が180度変わったと、古田さんがYouTube内で語っています。
恐らく選手会が本当にストライキを決行するとは思っていなかったり、ストライキ決行に対してファンの支持があった事が大きかったのだと思います。

10月に入ってから2度にわたって新規参入を表明していた楽天とライブドアに公開ヒアリングが行われ、11月2日のオーナー会議で楽天の2005年シーズンからの新規参入が正式に承認されました。

⑤その後のプロ野球

この球界再編問題がキッカケとなり、今では当たり前となったセ・パ交流戦も2005年シーズンからスタートしました。
2006年には第1回WBCが開催され日本が初代王者になるなど野球人気が復活し、
今は大谷翔平選手の活躍もあり野球のニュースはほぼ毎日報じられています。

さいごに

長々と書きましたが、「白いボールのファンタジー」はこの球界再編問題で消滅するかもしれないという危機に陥ったパ・リーグが一致団結をするのに歌われた大事な歌である事を皆さんに少しでも知っていただけたでしょうか?
今でも交流戦や日本シリーズでパ・リーグの各球団が歌っているのには、この様な背景があったことを知っていただけると幸いです。

当時、プロ野球選手会会長だった古田敦也さんのYouTubeチャンネルで当時の様子が語られています。
当事者として12球団維持の為に動いてくださった張本人が語っているのでぜひ皆様ご覧ください。


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