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ベクトルの向きを支配する!
私の友人が口癖のように言っているある言葉をふと思い出したので、今日はそのことについて書き残します。
「何事にも、ベクトルの向きと大きさを考えろよ。」
このセリフを聞き始めた頃は何のことを言ってるのか全くわからなかったが、
最近はその意味がなんとなくわかってきた気がする。
大学卒業まであと半年か3ヶ月かの頃だったか、
進路も決まり、卒業後の新生活に向けて準備ができる時間の余裕を感じ始めた頃、
インターンシップや学生で行うプロジェクトをいくつも掛け持ちし、
時間の余裕を感じ始めたのにもかかわらず、その時間を活動で埋め尽くすかのように動いていた。
(全部、自分が決めたことなので、その時間の使い方を悔いているわけではない)
その時に友人と話していた時にも、同じことを言っていた。
「何事にも、ベクトルの向きと大きさを考えろよ。」
その口癖の言うまでの会話は正直覚えてないが、
会話を終えて一人になった時になぜかわからないけど、自分の時間の使い方について考えてみた。
その時にふと思った、
「私の時間の使い方って、ちゃんと自分の身になるような時間の使い方をしているのだろうか。」
・良い経験を得られると始めた、インターンシップ。
・人のために活動できるとやりがいを感じれる、ボランティア。
・お金を得られる、アルバイト。
どれもこれも、自分の身のためになると思えるけれど、
時間の使い方という観点で見ると少し違う考え方ができるかもしれない。
「インターンシップも、ボランティアも、アルバイトも、自分の時間を使う先は、自分自身ではなく第三者。」
これに気づいた時、当時の自分の時間の使い方が本当に自分の身のためになっているのかどうか、わからなくなってしまった。
仕事をし始めると、自分のために時間を使うと言うよりは、
チームのためや会社のため、お客さんのために使う時間がほとんどで、
その対価として学びや経験、お金などの報酬を受け取るようになっていると感じる。
それ自体が悪いと言いたいのではなく、
その仕組みを肌で感じることによって、
人間は自分以外の何か・誰かのために価値を発揮できるように時間を使い、
それぞれの努力をしていて、とても素敵なことだと感じている。
ただ、私が言いたいのは、
「自分にもベクトルを向けて、
それなりに大きく働きかけることも大事だということ。
身の回りの環境や人まだ出会えてない人に対して、
それなりの大きさのベクトルを向けるように。」
ベクトルには大きさと向きがあるというが、
自分とそれ以外に向けるベクトルの大きさのバランスを保ち、
自分自身が自分の成長を直接的に促せるような時間の使い方をしながら、
外へ自分の力を発揮することを心がけたい。