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師走と暖冬、、、トレンドの外読書

12月の初旬、連日の気温は15度前後の推移で薄手のニットで事足りる。

白菜が育たないだの異例のトウモロコシの大収穫など日本の変貌には憂う気持ちと罪悪感が募らせる。

11月の下旬に小石川後楽園に訪れた時全く紅葉の気配を感じず四季の終焉を感じたが観光客は全く気にすることなく写真を撮っているのには驚いた。

まあ私も最初のうちは気掛かりだったが三福団子を食べているうちに冷えない指先が暖冬も悪くないなと思わせてくる。

物事は流転するものと捉え適応するのが人間なのだろうか。。。。

まあ暖冬と言うくらいだからそれほど大きな問題として捉えているのは農家と小姑のような理解者だけなのかも知れない。

小説

これといって拘ってジャンルを決めているわけではないが、生粋の浅見光彦ファンであり内田康夫氏の読者な僕は小説は自然と浅見シリーズになることを断っておきたい。さらに言えば114作品読破まで何かとイベントがない限り村上春樹も東野圭吾も読まないと思う。

読書家の方々なら理解できると思うがシリーズものに一旦手を出してしまうと抜け出せないタチなのである。何かと興味が一つの方向に向いてしまう。こんなことを言うと名探偵に申し訳ないが。

平家伝説殺人事件 / 内田康夫

800年前、有名な治承・寿永の乱(源平合戦)で平家が敗北したのはご存知の通り。その後の平家落人は北は青森から南は熊本までと全国各地に残る。その中でも落人の伝説が色濃く残る四国の高知県土佐。

既に平家は過去の栄光を失い田舎で農作業に従事する始末。この時に生まれているのが「ひえつき節」と呼ばれる追討のため追いかけていた那須与一宗高の弟那須大八郎宗久が平家の末裔である鶴富姫と出会い恋に落ちるというロマンスである。

悲しい結末を迎えるのだが、ここでは詳しく解説しないので気になる方は別途資料を集めてほしい。

神戸殺人事件 / 内田康夫

日本一の高級住宅街で知られる兵庫県神戸市の芦屋・六麓荘。浅見シリーズといえば「旅情」だが、今作はサスペンスドラマという言葉が一番似合っていた。神戸の暴力団組員と繰り広げられる頁に引き込まれていく。

観光地として名を馳せる神戸の裏には闇が潜むことを印象的にさせる作品。

萩原朔太郎の亡霊 / 内田康夫

群馬県が産んだ詩人「萩原朔太郎」。彼の生涯は決して幸福なものとはいえず、幼少期から病床に伏せ、周りからも疎遠の状態。孤独の幼少期を過ごした人間の悪と善の抒情詩に心を打たれる。

中学校の時に萩原朔太郎の存在は『青猫』『月に吠える』でご存知の方も多いと思うが、決して知識に留めては勿体無い存在。

今作の中では萩原朔太郎が重要なキーになっているのと同時に荻原朔太郎の歩んできた人生を象徴するかのようなストーリーに自然と哀れな感情を抱く。

北の街物語 / 内田康夫

北の街と言われれば誰もが秋田や新潟といった山々に囲まれながら都市を形成しているような穏やかな情景を思い描いたと思うが、情景は間違っていない。場所は思いの外近く、浅見光彦ファンならご存知の北区。

梅雨は根津神社の紫陽花。少し歩けば上野の東京都美術館。この辺りは港区や新宿と違い静謐ながら歴史を感じる場所が多く、東京に住んでいる人ならば一緒に歩いた感覚になる方もいるのではないだろうか。

熊野古道殺人事件 / 内田康夫

和歌山県南部から三重県南部の潮岬ら辺の「熊野」地域。ここでは昔、仏教における往生を願う場所として知られていた。それが補陀落渡海である。

それは、観音菩薩の浄土であるインド南端にあるとされる補陀落山を目指し上人が船で流されるというものである。事実上の自殺行為に近しいが、当時の人々は往生を願い度々行われてきた。

結果はご想像の通り、途中で沈没するか食糧が尽きて餓死するのが普通であった。中には耐えられず逃げようとした者もいたが、補陀落渡海では伴走船と伴に計3船程度で行われるのが一般的であったため逃げられず無理に海中に沈められるケースもあった。

無宗教、無神論を持つ現代人から見たら全く理解の及ばない世界であることは間違いない。

鐘 / 内田康夫

文章の解像度が高いため現実の存在と架空の存在が混在していく。京都の極雲寺の国宝である梵鐘が重要なキーになるのだが、勿論そんなものは存在していない。だが読み進めると存在しているかのように頭の中で架空の寺と鐘がイメージアップされていく。

広島県の尾道、富山県の高岡、香川県高松を走る琴平電車そして京都と全国津々浦々の存在する地名が自分の想像を刺激してくる。

500頁に及ぶ旅情に引き込まれていく。

歌わない笛 / 内田康夫

倉敷に新たに建設される音楽大学を巡った利権争いのミステリーなのだが、実は倉敷には倉敷作陽大学という立派な音楽大学が存在している。

この事実を知るまでは架空の話だと思っていたがよくない話知ってからは色々と想像しながら読んでしまう。

多くの人は岡山県と聞くときび団子と倉敷美観地区の時代劇のようなセットを思い浮かべると思うが、実は世界各国の美術作品が収蔵されている場所でもある。

それが『大原美術館』である。実業家の大原孫三郎によって設立された日本初の私立美術館である。そして収蔵作品は誰もが知る、鮮やかでありながら静謐さを残すヴェネツィア派で知られるエル・グレコの『受胎告知』や印象派の巨匠クロード・モネの『睡蓮』などが収蔵されている。

風葬の城 / 内田康夫

福島県会津若松の地は明治維新の際、今にも残る悲惨な残虐があった地で知られる。

そしてその忌まわしい事件は今もなお会津の人々にとって許せない事実がある。それが「戊辰戦争」である。今から140年前、260年にも続く江戸幕府が崩壊し明治新政府が確立される。

新政府軍側であった薩摩と長州に対し会津は孤立してしまう。世間からは江戸時代に取り残された堅物程度に思われていたのかもしれない。慶応4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦いから上野戦争、越後戦争、会津戊辰戦争と続き、明治4年(1869)5月の箱館戦争で終わる。

もちろん、会津の人々は薩摩や長州に対し身内が殺される恨みはあった。しかしそれ以上に薩摩や長州には深い恨みがある。薩長軍は攻め込んだ地の土蔵を封印し略奪の限りをつくした。さらには女子供関係なく残虐し、その際の死体は戦争が終わった後も埋葬を許されなかった。道に捨てられた死体は動物に食べられ烏が突く始末。これほどにも残虐行為をした薩長軍はさらに会津の数千人の人々を極寒の下北半島に送った。

枚挙にいとまがない残酷な日々を送った会津の人々を世間は朝敵、逆賊とよんだ。

幕末の会津藩は京都守護職として孝明天皇から絶大な信頼を受け御所に攻め込んできた長州は勿論、朝敵であった。それが孝明天皇が奇禍に遭われたから、いつの間にか立場が逆転していた。そして合図戦争へと続くのである。

作中の中でも会津の末裔である者と薩長にゆかりがある人間と対立する場面が描かれている。全く罪意識のない薩長に対し恨みを持っている会津は対照的であり安倍晋三が会津の土地で遊説した時のような印象を受ける。

鞆の浦殺人事件 / 内田康夫

鞆の浦は広島県福山市鞆町鞆に位置する場所。福山市と聞くとデニムの印象が強い方が多いと思うが、僕も最初はデニムの街の印象しかなかった。鞆の浦に関して調べてみると『崖の上のポニョ』のモチーフだそう。

鞆の浦は水産業が中心で昔から残る古い街並みが都市景観100選に選ばれるなど隠れ名所としの人気もあるそう。読んでみて初めて気づく素晴らしさですね。

僕が探偵だった夏 / 内田康夫

今作はシリーズの旅情とはまた違う思い出に耽る話。永遠の33歳である浅見光彦がまだ小学生3年生の頃の夏の軽井沢の思い出。今では主要名ヒロインとなる野沢光子も目立たないものの登場してくるのはファンとして嬉しい。

ファンのためな一冊

佐用姫伝説殺人事件 / 内田康夫

万葉集の「松浦佐用姫の歌」として知られる佐用姫伝説。

山上憶良の作品で知られる詩であり、

「海原の沖行く船を帰れとか領布振らしけむ松浦佐用姫」

万葉集五(八七四)より引用

で知られている。簡単に概要を説明すると、佐用姫と呼ばれる人物は当時豪族であった大伴狭手彦の妾であった。その大伴氏が朝鮮遠征することとなり、その別れを悲しんだ詩である。もちろんこの時代に飛行機もジェット船は存在しない。まだ古墳時代で朝鮮というのは今よりも遠く道の世界であった。

さらに日本海の冷たい海は流れが早く朝鮮まで船が安全に航行できるとは断言できない。要は生死を分けた決断を大伴狭手彦はしたのである。

やはり愛する人と離れ離れになる悲痛は今も昔も変わらず妾であった佐用姫は鏡山から領布を振って見送った、というのが概要である。

そして鏡山は別名「領巾麾之嶺」と呼ばれるようになった。

この佐用姫伝説は能の舞台でも『松浦佐用姫』として舞われる。ラストには悲しみのあまり佐用姫が鏡を抱いて入水することになる。万葉集の方では悲しみのあまり石化してしまうのだが、ここが大きく違うので少し混乱する。

実は佐用姫というのが七福神で有名な弁財天のモデルになったのではないかとも考えられている。

天河伝説殺人事件 / 内田康夫

内田康夫作品の中でトップに入る名作。以前、角川映画15周年記念作品として榎木孝明が主人公を務めたのは記憶に残っている人も多いはず。(実は今もHuluでこの作品だけ見れる)

映画と書籍では内容が所々違っているだが、追善能として『道成寺』が舞われるのは共通。

道成寺は和歌山県日高町に存在する県内最古の寺で『安珍清姫伝説』で有名な地。この安珍清姫伝説というのは、寺の創建から230年後の事件である。

当時安珍は白河藩の僧(山伏)として紀伊国牟婁郡に訪れていた。その下宿先だった真砂の庄司清治・清次の娘清姫が安珍に一目惚れをし夜這いをかけるも僧の身だった安珍は山伏修行の帰りに必ず立ち寄ると約束をし去ってしまう。

しかし約束は守られず欺かれたと悟った清姫は安珍を追いかけて最終的に道成寺に辿り着く。そこでは逃げた安珍が道成寺の梵鐘の中で身を隠しているのだが清姫は蛇体となって梵鐘に巻きつき焼き殺してしまう。

実は5冊目で紹介した『熊野古道殺人事件』も和歌山県であり熊野古道や田辺市の中辺路といった紀伊国牟婁郡の土地が出てくる。

後鳥羽伝説殺人事件 / 内田康夫

浅見光彦という名探偵が生まれた作品。舞台は広島県尾道とその後の内田作品で度々出てくる。(浅見光彦シリーズ『鐘』を参照)

広島県の観光巡りと言えば福山から始まって尾道で終わるとスケジュールを立てやすい。そう思った矢先、作中の中で福山で殺された事件を辿って尾道に行くシーンが出てくる。

実は福山は山陽新幹線の停車駅でありアクセスが非常にいい。一方、尾道は向島の方ではなく、北にある利用者の少ない「新尾道」駅にしか新幹線は止まらない。その割に新尾道から尾道までのアクセスは悪くない。なぜなら広島県道363号栗原長江線を一直線に進めば10分足らずで到着する。

そう考えると尾道に山陽新幹線の停車駅を作ればいいのに、と思ってしまう。実際に新尾道駅の利用者は年中1日平均数千人に対して、尾道の方は観光シーズンになると一日に数万人単位で推移する。

やはり設置理由には尾道市による請願駅であることが挙げられ、過去に類を見ない失敗駅となってしまった。

話が大きく脱線してしまったが、この『後鳥羽伝説殺人事件』で一番重要なキーになるのが電車の時刻表になっている。かなり頭を使うことになるが時刻表を理解した瞬間、名作になる。

ル・コルビュジエ / 八束はじめ

建築に一度でも興味を持った人は知っているであろうル・コルビュジエという巨匠の名を。

多くの人はモダニズム建築の巨匠と呼び1926年の「クック邸」がモダニズムを象徴することになる。そこには5つの原則があり「ピロティ」「自由な平面」「自由な立体」「水平連続窓」「屋上庭園」といった閉鎖的な空間コミュニティの形成と梁と柱によるドミノ・システムの構築によって外と内の空間を一体化させる。

多くの人は一種の建築技法のように捉えるが、その範疇に留めるべきではない。このル・コルビュジエとい巨匠は建築家であり、画家であり、詩人であり、哲学者でもあった。

要は、このル・コルビュジエの提唱す5原則は哲学的な意味を持っていることを示す。ここではこれ以上の説明は省略して違う場所で語りたい、、、、それほどル・コルビュジエという人物を語るためには文字と時間が必要になるのである。

中国行きのスロウ・ボート/ 村上春樹

稀に見る奇作と感じる。僕の想像が及ばないせいなのか、それとも頭が硬くなりすぎているのか。読み終わって感じるものの実態が掴めずただ傍観者として迫害されたような感覚に陥る。

場面ごとに出現する風光明媚な景色。憧憬の意すら感じる想像に加えられるストーリー。

サラッと流してしまったが、作中に出てくる人物には村上春樹の面影を感じさせる。桂冠詩人として評価され文学界ではマエストロとしての道を歩んでいた自分を作品として投影させたような渦を感じた。

完本 清原和博 / スポーツ・グラフィックナンバー編

幼少期からずっと憧れであり、常に目標としていた人物。僕自身は中学校2年生から野球を始めることになり、部活と地元の野球チームでプレーする日々を送っていた。

いつかは、、、、と何度思っていたが現実はそう甘くない提灯に釣鐘とはよく言ったものだが、チームメイトからずればそう思われていたに違いない。定まらない制球にボールに逃げられるバット。本当に滑稽名姿だった。だが、常に目標がいて頑張れることは最高の幸せだった。

新書・文庫本

「本を読む」という行為に対して明確な目的を持っていない僕は読むジャンルが決まっていなければ拘りがない。書店に行ってめぼしい所で止まり本を見渡す。その時にスッと目に入ってきたタイトルで買う。哲学書、ファッション雑誌、自己啓発本、芸術、憧れのアーティスト、、、、

とにかく読みたいという欲望に逆らわず流されてきたので本を意識的に人生に役立てようという気力が生まれない。自然体と言えば聞こえはいいが要するに何も考えてないプータロウみたいなことだ。暇さえあれば頁をめくる。今もnoteを書くことに意識を向けているつもりが既に4回は本を開いて時間だけが過ぎている。

そりゃ何もが終わらないわけだ。

印象派で「近代」を読む / 中野京子

毎年のように開催される「モネ展」。クロード・モネという人物は何故ここまで人々を魅了するのだろうか。

16世紀、イタリアでジョルジョ・ヴァザーリがフィレンツェ設「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(Accademia delle Arti del Disegno)」と呼ばれる美術学校を設立してからアカデミズム美術が繁栄していく。この学校では解剖学や幾何学といった学問も学ぶ。

現在の美術でアカデミズムと呼ばれる作品にはジェローム作『ピグマリオンとガラテア』がある。(著書で取り上げられている)

アカデミックな作品というのはエドゥアール・マネの『オランピア』のような低俗なエロティシズムではなくもっと格式の高い上品なエロティシズムであり正された遠近法といった格式の高さが評価されるものだった。

実際に当時のサロン(展覧会)ではジェロームといったアカデミック作品を手がける美術家が権力を持っており、印象派といった明確な人物背景や自由な描写、色彩は評価されるどころか低俗な作品として展覧会に展示することすら制限をしていた。

その中で印象派を描く画家たちは各地で印象派の展覧会を行い支持を集めていく。時代は流れ20世紀になるとアメリカンドリームが流行しアメリカは世界の貿易の中心であり文化の中心として世界各地から美術作品を集めていく。その中で最も評価を得たのが印象派の作品であった。

この印象派ブームはアメリカだけでなく世界中を巻き込んでブームを起こしイタリアやフランスは半ば逆輸入という形で印象派を再評価することになる。

ここまでの話をまとめると印象派は「プロレタリアートのための美術」であったと言える。従来の美術がブルジョワ向けの格式が高く背景の情報を知らないと美術的解釈ができず一般人には遠い存在だった美術を印象派は「皆の美術」にすることに成功した。

現在の印象派を評価するとゴッホやモネといった有名画家によるオークションでビジネス的な価値が見出され認知度で印象派は大きく左右されることになった。感覚的な色彩、タッチ、光を駆使した作品の価値を我々は何を基に素晴らしいと言うのか。

つながり過ぎた世界の先に / マルクス・ガブリエル

2020年のコロナ禍で顕在化したのは政治の責任であった。民主主義における統治システムとリーダーシップの重要性という目線で評価されるならば「誰に対して責任があるのか」「私の権利とは何か」「私の義務とは何か」「我々はいかにしてパンデミックと戦うことができるのか」「他の天災についてどう向き合うのか」といった国家の存在そのものを問うことになった。

ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクは「今は民主主義のエクササイズの時期だ」と述べたが民主主義の解釈は国によって異なっていたし民族的な差もあったはずである。一方で共通していたのは如何にして国民を守り死者は出さずに経済成長するか。という問題だった。

日本はオーストラリア、ドイツ、フランスのようにロックダウンは行わず比較的緩和な措置を繰り返した。異論はあったものの死者数を考えれば措置は的確だったと評価できる。アメリカのニューヨークの自由の女神像の下に山積みにされた棺桶を見た時は世界の終焉を感じざるを得なかった。

中国は早い段階で州規模、地域での完全ロックダウンを実施し世界中から評価を得ていたが完全に失敗している。何故ならば感染源を特定することも感染拡大も止めることはできなかったからだ。ここには中国の経済成長の影が見えた。

世界の工場として21世紀の晴々としたスタートは嘘であり虚構極まりない。実際の社会生活では一日の食事を得ることもままならず、一日中製品の製造に駆り出され雀の涙程度の賃金で働かせられる。

Appleの下請け企業として力を発揮していたフォックスコンの工場現場は劣悪であり、従業員が度々飛び降り自殺することで世界中から非難に遭った。

世界の工場として有名企業の下請けを請け負っていた中国の実情は技術大国でもなんでもない。

この著書の中でも中国人は食べるものならば何でも食べるという中国人の解釈は全く見当はずれでもない。然りとは言えないが、何でも食べるというのは文化でも宗教的価値観でもなくただ食べ物を求めた結果なのではないだろうか。

それが実際にコロナという病の源になった可能性がある。

生成AIで世界はこう変わる / 今井翔太

技術的な面で見れば人工知能は表面的な出力だけでは理解できないブラックボックスと化したシステムで構成されている。しかし人に影響を与えるという面だけで見れば人工知能以前の「人工無能」も匹敵する。

この人工無能は聞きなれない言葉だと思うが、システムは単純であらかじめ用意されているパターンに対し重みづけされたパターンと入力を比較し近似値のパターンを出力するというもの。

要は「おはよう」という入力に対して「こんばんわ」「さようなら」「おはよう」というパターンを用意し出力とパターンに重み付けをするのである。「おはよう」を0.9、上記3パターンをそれぞれ0.46、0.25、0.91とした場合「おはよう」の重みに一番近いパターン3の「おはよう」を出力として選択する。これが人工無能のシステムである。

人工無能の名称は実際に会話内容を理解せずシステム的に動作していることから命名されている。

現在は人工知能が使われているわけだから人工知能が間接的に我々の生活だったり文化、宗教観念に影響を与えているわけであり、音声対話型AIの「cotomo」といったサービスを使ってみると人間の存在価値に関して再考してしまう。

CotomoやChatGPTといったAIサービスの出力の解像度は

出力の解像度=データ×機械の処理の能力

という方程式が成り立ち、機械の処理能力はシステム論以上に金銭的投資がものを言う。既に世界はAI戦争の渦に飲み込まれる中でAIから影響を受けている我々はどう生きていくべきなのか。

AIの出力解像度が指数関数的に向上し自分よりも気が利けて優秀な存在になった時、自分の存在価値はどこで見出せばいいのか、

Nishiguchi’s Closet 10 items for 100 looks / 西口修平

ずっと気になっていた一冊。BeamsFのファッショニスタ西口修平氏によるコーデ。

クラシックなアイテムを使いながらモダンにまとめ上げる。そしてとにかく色の使い方が美しい。初心者がアズーロ・エ・マローネを参考にネイビーのコートにグレーのスラックス、そしてスエードのブラウンブーツでまとめると様になってカッコいいんですが、アイテム一つ一つの素材や縫い方を見ると案外まとまっていなかったりするもの。

全体がドレッシーなまとまり方でオックスフォードのシャツを着用すれば一気にカジュアルになるように自分の目的に合わせたアイテム選びは本当に難しい。

2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ / ピーター・ディアマンディス _ スティーブン・コトラー

2025年を迎える今、2030年の世界はどうなっているのだろうか。

今思うと5年前の2019年と2024年は世界が大きく変わっている。ちょうど2019年にコロナ禍に見舞われ2020年はステイホームになった。その際にビジネスは大きく変化し多くの会社が自宅で仕事をするシステムを導入し、今も定型となっている会社がある。要は常識が変化したのだ。

会社はスーツを着る場所であり毎日通勤する。という常識、概念が崩壊しラクなカジュアルワークが流行った。

2022年になるとChatGPTが出現する。会社というコミュニティの常識が変わったのに加えビジネスの在り方も変わることになった。今までは業者に外注していた会社のPRポスターはMidjourneyで5秒で作れるようになり自分だけのオリジナル音楽やキャラクターも作れるようになった。

さらには自分が求めているサービスを搭載したアプリケーションのコードをAIが書くこともできるようになった。従来の膨大な時間をかけて作成した創作物は10秒もあれば作れる、もしかしたらさらに良い作品が作れるようになった。

19世紀の写真革命以来の驚きが世間を圧倒させた。そう考えると2019年と2024年の世界は全く違う。

実は2019年はiPhone11の発売年だったのだが、既にiPhone11は去年には既に現役を引退しているレベルの性能になっていたに違いない。

5年前の最新は1年あれば更新されていく。

20世紀に熱中したノストラダムスの大予言は画期的であった。なぜなら実現はしないであろう空想のコンティネントに人々は一人のファンのように熱狂したからである。

しかし今では空飛ぶ車も東京にある自宅から大阪まで一才ハンドルを握らずに行くことも癌が100%治る病気になることも夢ではない世界に生きている。

その世界の住民である我々は2030年をどう考えるのか。

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