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2025年の幕開けと内田康夫

「僕はあと何回、満月を見るのだろう」

これは「シェルタリング・スカイ」で原作者のポール・ボウルズがナレーターで語った一節。僕の好きな映画の言葉でもあるんだけど、なんと言っても坂本龍一ファンにとっても好きな一節だと思う。

年末は憧れの坂本龍一教授の著書『僕はあと何回、満月を見るのだろう』を開いて過ごす。時は2025年、寿命100年時代と言われる社会では満月は特別なものではなくなってきているのかもしれない。平安時代の人々の見る満月と現代の満月、それは同じものであって同じものではない。

もしあと80年生きれるならば満月は1000回見ることができる。だけど80年も生きれる保証はどこにもない。明日僕はこの世にいないかもしれない。そんな満月が毎回遠く、儚いようにも思えてしまう。

もしあと一回月が見れたなら。と思える日は来るのだろうか、今年も悔いのない一年にしたい。

小説

2025年が始まったが僕の読む本は変わらず浅見光彦シリーズ全巻読破まで疾走していく。年始に既に18冊を迎えているから予定では今年中には全巻読破になっている。

旅情に加え、ロマンスとミステリーが折り重なる内田康夫氏の作品は一度読めば虜になっていく。そして読んでいくにつれて地理知識は無双していく。

戸隠伝説殺人事件 / 内田康夫

長野県戸隠村、直ぐに想起されるのは一面雪景色のスキー日和だろうか。

東京からは車で関越自動車道と上信越自動車道を利用して4時間弱で行ける距離にある。日本海から吹く風が上質な雪を積もらせスキーなど観光で栄えている。一時期はバブル崩壊に伴い多くのスキー場が閉鎖に追い込まれたが昨今のインバウンド需要によってかつての栄光を取り戻しつつある。

そんな戸隠には天岩戸伝説で有名になった戸隠神社がある。伝説ではスサノオノミコトの粗暴を避けるようにアマテラスノオオミカミがこの地に隠れたとして知られる。その伝説がこの地の名前の由来になっている。

他にも戸隠では紅葉伝説で知られている。概要は紅葉という女性が嫉妬による呪いで源経基公の御台所を暗殺しようとした疑いをかけられ奥信濃に流刑されるところから始まる。

全く昔の史実には驚かされるが、当時の人々が水銀で死人が出ても神に安寧を祈るために仏像を作っていたことを考えると事実のように思えてくる。

その後、紅葉は都の文化を伝える一方で、人々の心を乱し、他村を荒らすことで「鬼女」という名前をつけられることになった。その脅威を恐れていた朝廷は平維茂を鬼女討伐を命じ、無事討伐することに成功した。より、その土地は「鬼無里」という名前をつけられることになる。というのが鬼女伝説の概要である。

各地の地名がその土地の伝説のゆかりを持っていることを知っていると少しばかり楽しく歩けると思う。そういう教養を求めるのも文学作品のいいところかな、、

上野谷中殺人事件 / 内田康夫

かつては下町としての情緒があった浅草はインバウンドの観光地となり浅草寺の周りには商業ビルが連立する。その浅草寺は聖観音宗の本山と知られているが、建て替えの機会に鉄筋コンクリートにしたことで木造建築ではなくなってしまった。神社仏閣のコンクリート化が進んでいることは知っていたが、原則のように知られていた完全木造建築が消えていく様には哀愁を感じる。

そんな中、上野は下町の情緒がそのまま残っている珍しい土地でもある。上野の東京都美術館や国立西洋美術館の存在はモダニズム建築の象徴的であり、

伊香保殺人事件 / 内田康夫

群馬の三代温泉産地と言えば「四万温泉」「草津温泉」「伊香保温泉」がある。この3つに関しては言わずもがなだが、草津に関してはレジャー施設に加え動物園といった温泉以外の施設が整っており家族連れに加えティーンの遊び場としても機能する。
一方、四万温泉と伊香保温泉は草津に比べレジャー施設の豊富さには劣るが昔ながらの情緒ある街並みを楽しむことができる。

さらに東京から伊香保まで車で2時間足らずで行けるのも魅力的である。一時期は伊香保温泉の源泉が枯渇していることがニュースで明るみになり、週刊誌の「伊香保温泉の旅館で水道水を利用か」という事実が判明してからは一気に廃れていった。実際に伊香保温泉は草津などに比べると源泉量は少ない。そのためホテルは他の温泉からパイプラインを共有してもらうなどして対策を講じてきた。

現在も温泉における源泉量の減少は一途を辿るばかりである。テレビの評論家は地熱発電やホテルの建設により地下資源の掘削が原因であると述べるが何事にも限界は付きものである。
かつてプラントがイデアの世界には無限が存在すると言っていたが、昔も今も人が求めることに変わりはないなと実感させる。

しかし、日本の温泉文化は世界からも高い評価を得ているし、僕としても大好きな温泉が無くなってしまう危機はどうにか乗り越えることはどうにかできないものかと思う。

上海迷宮 / 内田康夫

かつての黄金期を描いた中国上海が舞台の作品。中国は文化大革命を乗り越え民主化に大きく舵を切っていく。それでもシステムには社会主義を残し世界に扉を開き経済で大きく成長していく。

中国の港地域には経済特区を設け、先のマカオは外貨獲得の地として中国政府から重宝される。さらには莫大な人口と莫大な土地を利用し「世界の工場」の名を馳せる。Appleの下請け企業としてフォックスコンが登場し、とにかく働く中国人を安価に、そして出来高性にすることで競争を起こさせた。

今の中国は誰もが理解するようにかつての栄光は廃れつつある。不動産バブルは崩壊し、各地で建築途中のビルが取り残されている。さらには中国政府による過剰な公共事業への投資も重荷になった。各地に高速道路が整備され、あちこちに鉄道を通し中国高速鉄道と言う名で中国の技術力を世界にアピールした。結果、過剰な設備事業はランニングコストの面で問題視されるようになった。実際に北京を含む中国国内には少なくとも26駅が建設後に使用停止になっているという。

日本でも同じように新倉敷駅が新幹線停車駅として地元の請願駅となったが実際は倉敷駅の数十分の一の利用者しかおらず、失敗している例があるが、中国ともなると失敗のスケールは大きい。

この作品の中で中国と日本は対立構造に近い因縁の相手として描かれている。日本が中国人を大量虐殺した過去は拭えない事実であり、今でも中国人の反日感情は表に出さずとも心のどこかでは抱いているのかもしれない。

江田島殺人事件 / 内田康夫

広島県江田島はかつて海軍の兵学校があった地で知られる。実は創設当初の兵学校は築地にあった。築地本願寺から目と鼻の先にあったのである。

しかし敷地面積の狭さや自然を想定した訓練が難しい事などを理由に明治21年に江田島に移築される。

かつてはアメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界三大兵学校の一つに数えられていた。
「帝大か江田島」の時代が実際にあったというから戦争が夢の舞台と考えられていた時代があったのも不思議ではない。

僕は江田島と聞くと自ずと佐久間艇長が思い浮かぶ。

事件が起こったのは1910年4月15日の訓練中のことだった。当時禁止されていたガソリンでの航行を実験するため岩国を出航していた第六潜水艇沈没が何らかの理由で煙突以上に沈んだ事により浸水が始まってしまったのだ。

沈む艦内で死を前に、佐久間艇長は天皇陛下と国への詫び、部下たちへの謝罪、そして事故の原因を遺書に綴った。
今後、同じような事故が決して起きないよう後世を思って最期まで書き続けた。
30歳という若さでその生涯を閉じた佐久間艇長の覚悟が自分にあるのかと考えると同じ人間としての生きる度量の違いを感じた。

紅藍の女殺人事件 / 内田康夫

舞台は松尾芭蕉の奥の細道行脚で有名な山形県。行脚一行は岩手県の平泉から「蚤虱馬ノミシラミ尿しとする枕もと」の知られる「尿前の関」を通って最上町に入った。
山形県最上町と聞くと誰もが最上川を連想し松尾芭蕉の有名な「五月雨をあつめて早し最上川」が出てくるが実は最上町には最上川が通っていない。
ネームバリュー以上にスキー場だったり義経ゆかり瀬見温泉があるなど観光資源に恵まれている土地でもあるが、最上川が通っていないことには驚いた。
小説の中ではさらに南下して尾花沢に到達する流れであり「尾花沢にて」から始まる文章も紹介されている

尾花沢にて清風という者を尋ぬ。かれは富める者なれども志卑しからず。都にもをりをり通ひてさすがに旅の情けをも知りたれば、日ごろとどめて、長途ちょうとのいたはり、さまざまにもてなしはべる。

涼しさをわが宿にしてねまるなり
這ひ出でよ飼屋かひやが下のひきの声
眉掃まゆはきをおもかげにして紅粉の花
蚕飼ひする人は古代の姿かな 曾良そら

松尾芭蕉『奥の細道』抜粋

ユタが愛した探偵 / 内田康夫

まず、特徴的な題名に目がいくが「ユタ」とは沖縄地方の霊媒師を指す。東北の方にも似た「イタコ」という巫女がいるが、成り立ちが全く違う。イタコはまず弟子入りから入り数年間の修行を経てその地位を獲得する。いわば技能者なのである。一方でユタは年齢を重ねて急に霊が憑依するのである。そのためユタは人によって評価はまちまちである。そしてユタは40代以降の出産や病気、悲しみを経験した女性がなる。その上位にはサーダカウマリと呼ばれる性高生まれもいる。エトランゼからすれば、こっちは超能力者の感覚に近い。

そんな霊的な文化が残る沖縄は薩摩の島津藩に侵攻され徳川家に従属するまで尚氏が400年あまり沖縄を統治していた。元々沖縄は「按司あじ」と呼ばれる3つの勢力によって統治されていた歴史がある。それぞれ「北山」「中山」「南山」と言われ、尚氏は「中山」の支配者だった。

「北山」「南山」の支配者を滅ぼし沖縄を統一した尚氏は実はすぐに降ろされてしまう。1470年に「金丸」がクーデターを起こし、なんと即位してしまうのだ。そして自らを「尚円」と名乗り第二尚氏の時代が始まる。

日本の中の話であるはずなのに何処か遠い国のような話であると感じる。全く違う信仰形態と文化を持ち、長い間独立していた地域であるために「御嶽」の存在だったり「拝所」には信仰の違いに戸惑いすらも感じたが人の良さは格段に沖縄の方が良さそうである。

鳥取雛送り殺人事件 / 内田康夫

3月3日と言えば昔から桃の節句と呼ばれ家の中には煌びやかな雛壇が飾られる。僕は子供の頃から雛祭りが羨ましかった。雛祭りに男女の性別は関係ないそうだが一般論として雛祭りは女の子の日で男の子は鯉のぼりのような概念が根底に住み着いていた。僕も親にそう教えられてきたせいか煌びやかで特別扱いされているように感じて雛祭りの日はいい印象を持っていない。
子供の頃に一度雛祭りの菱台に触れて落としたことがあった。その時に菱餅の角の部分を削ってしまい叱られてからというもの雛祭りに対し意味は無い嫌悪感がある。

そんな苦い思い出のある雛祭りだが、成り立ちには驚く。実は雛祭りは淡島信仰と密接な関係を持っている。和歌山市の淡島信仰では女性の婦人病の治癒や安産、子育ての神様が成り立ちとなってるわけだから、勿論女の子の日には当てはまるのだろうが、なんとも生々しい話である。

この淡島信仰における淡島明神の立場は住吉明神の后神だったが下の病を患ったことで住吉明神に嫌われ、この地に流されてきたのだという。

中々の内容だが、未だ雛壇が家に置かれると雛人形の蠱惑的な雰囲気には圧倒される。十二単を纏った内裏雛の美しさに引き込まれていく。

日光殺人事件 / 内田康夫

都内の小学生の遠足先は必ずとも言っていいほど日光が選ばれる。なぜそこまで日光にこだわるのか全くわかないが、昭和世代から小学生は日光へ行くと言っているのだから固執する歴史は長いのかもしれない。
日光に行かずとも横浜の外人墓地に行けばそれなりの学びはありそうなのだが長いものには巻かれろと昔から言われる通りあと数十年、下手したら僕が墓に行くまで変わらないかもしれない。

当の僕は幼い頃から海外で暮らしていたこともあって日光とは無縁であった。日光にはいろは坂があって、建立の立役者が天海僧正といった知識しか持ち合わせていない。

そんな乏しい知識しか持っていなかったが天海僧正と明智光秀が同一人物という噂があったと知った時には一気に日光が好きになっていた。

確かに、明智光秀の人物像を知っている人にとって竹藪から出てきた農民によってあっけなく生涯を閉じてしまうことは疑問が残る。常に冷静沈着で完璧を演じてきた光秀が、山崎の戦いで敗れることにすら疑問を感じる。なぜ負けると分かっていた戦に手を出したのか、老いによる狂気にすら感じてくる。
しかし天海明智同一伝説によれば、光秀は家康に仕え、長い年月を寺で隠れて過ごし存在を消していたとされる。確かに一理ある説ではある。この天海僧正に関しても出生は明らかになっておらず徳川家の人間として地位を上げていき日光東照宮の建設に携わるまで長い空間がある。

そこで十分といっていいほどの時間を寺で過ごし徳川が統一した瞬間に我物顔で世に出てたのかもしれない。

すると日光東照宮の道のりに存在する明智通りにも納得がいく。なんともドラマチックな話だ。

長崎殺人事件 / 内田康夫

僕が長崎に行った時の感想は何とも言えない異質な空間だった。まず、街の作りは山に囲まれているため市街地と港が直結しているような構造になっている。三角州を囲むように形成され港では戦時中の軍艦製造に大きな貢献をした。

この軍艦製造の破壊を目的とした米国の核爆弾の実験場に使われたのは確かである。今では原爆近くに博物館や平和記念公園を配置し、平和記念公園から浦上天主堂が見えるようになっている。

正直、この光景を見た時の僕は複雑な心境だった。かつての戦争の悲惨さは観光地となれ変わり悲劇の地とは思えないほど当時の現状は無くなっている。東浩紀氏がいつしかチェルノブイリの観光地化を評論していたが、今の長崎はチェルノブイリ以上に観光地と化している。
長崎が祭りの地と呼ばれるような文化的な面が戦争の跡を消し去る原因になっているのかもしれないとも思える。

いつしかのベトナムの旅行ではホーチミンに行った際にベトナム戦争の観光地化には驚いた。実に忠実に戦争の悲惨さを伝えるビデオや実際に枯葉剤の影響を受けた目のない人や手足のない子供が楽器を吹いていたり工芸品を作っている。その場を動物園かのように皆が視線を向けカメラのシャッターを切る。これほど残酷な光景は見たことがなかった。
同時に日本との文化の大きな違いを思い知る。

オブラージュに包まれた日本の戦争の実情とリアリスティックにオープン化するベトナム戦争では与える影響も大きく変わってくる。今の長崎の原爆記念館を見れば容易に表面化したイデオロギーの中で原爆保有論を誰でも語れるようになるわけである。

追分殺人事件 / 内田康夫

津々浦々に在る追分。何となく記憶にあるのが江差追分と信濃追分だった。この二つは有名という理由もあるが、江差に関しては炭鉱事件を調べていたときに炭鉱へ行く道と市街地へ仕事を探しに行く道という生死を分けた道として存在していたそう。
炭鉱へ行けば高い賃金を手に入れられるが同時に命の危険を伴う。市街地に行けば命の安全は守られるが賃金の保証はなく自分で店を開くか雇われないと食べていけない。

さらに有名なのが江差追分の追分節。馬子が発祥とされる追分だが江差では馬子以上に漁師だったり炭鉱で働く人を鼓舞する労働歌として時代を彩っていた。追分というのは華やかで旅情溢れる民謡を想像していたから江差の炭鉱を照らし合わせて考えると面食らった感じになる。
追分節と言っても一概には文化でまとめられない、それぞれに土地の重要な文化が、価値があるのだと知る。

このような悲しい過去も存在するが、大体は道の分かれ道という言葉通りの意味合いである。東京の白山にも本郷追分という徳川家の日光東照宮参りに使われた道がある。今では聞きなれない言葉になってしまった追分だが、その時代を支え、人々の人生を大きく変えたのが追分の存在であった。

新書

今月、読んだ新書の中で新書の位置付けを「教養を身につける手がかり」と評価されている点があり、深く共感した。やはりより深くアカデミックな内容を学ぶためには新書では物足りない。そういう時は古本屋に立ち寄り古書を漁るのが一番いいのだが唯一の欠点が値段である。

古書はその名の通り今では絶版となっているものが多い。そのため評価が高いものだと定価以上の値段がつけられることがある。昔のヴィンテージジーンズがボロボロでもあり得ない値段で取引されているとの同じである。

そこには人のロマンも少なからず混じっているのだろう。だから興味があるだけで古書を手に取るのは少し気が引ける。そこで便利なのが新書の存在である。値段は1,000円前後でとにかく安い。興味のある分野に飛び込む判断材料にはもってこいなのである。

さらに本はその人の哲学、印象、性格などが実に鮮明に描かれる。新書の中でも名著もあれば誰にも目をつけられず本屋の棚卸廃棄損の勘定に入れられるのがオチのものもある。

メタバースと経済の未来 / 井上智洋

著書の中で意思決定における縦構造がなくなったDAOのシステムが紹介されている。実は日本では実証済みでニートだけが集まったNEET株式会社がある。会社の中には上下の関係はなく全員が取締役となって決定権を持っている。

しかし、今の世の中が縦構造であるようにDAOのシステムは流行らなかった。

この著書ではDAOのシステムは仮想世界では有効ではないかという問いがある。仮想世界でのフラットなビット世界では上下関係は勿論、容姿やサイズを問わないキャラクターを作ることができる。

『レディ・プレイヤー』を見た人なら想像しやすいが、食事や睡眠、トイレ以外はずっと仮想世界で生活するのである。半分身体を手放した世界がある。

今、Appleのvision proはアプリの少なさや価格が天井にあるが、今後コモディティ化していく。価格の減少と技術の向上が加速し、ゴーグル以外にも身体接触による感度感知センサーの搭載したスーツが出れば人間は本当に身体から解放される時がくるかもしれない。(勿論実世界は存在する)

忘れる読書 / 落合陽一

(アートを鑑賞する時は)自分の知識やコンテクストを照らし合わせながら、その作品を見たときにど感じたかを言葉で説明することが大事

『忘れる読書』より著者の言葉を引用

アカデミックな作品を問わず、全ての作品に触れるときに必要になるのは自分の持つ感覚と作品に対する自分の知識の衝突である。

かつてサロンによる美術のアカデミック化は印象派との対立を生むことになる。サロンは美術作品のコンテクストと表現方法の定式化を尊重し“正しい画法“というものを重要視していた。

アカデミックの権威であったジェロームの作品を見ればよくわかるようにエロティシズムに対する極端な平凡さ、神話に基づいた作品のコンテクストは知識人にしか伝わらない美しさがある。

その中で一般のプロレタリアートのための美術が印象派の登場であり美術革命であった。今までがブルジョワジーのための古典作品がモダンに変化する時だった。

しかし現代における知識人の生態というのは曖昧になってきた。それもそのはず、紙から得られる知識はコモディティ化していき古書は数千円から数万円で手に入り、新書に関しては1,000円で手に入る時代である。

知識を手に入れる扉は限りなくコモディティ化した。インターネットが世間で一般的な存在になってからは質量のない文章が好きなだけ読めるようになり、論文、ニュース、知識人の意見(note、、、)といったナレッジは無償で提供される。

この時代に必要なことは作品に対する印象以上にアカデミックな要素ではないだろうか。

印象派といっても、その時代のコンテクストを理解しなければモネの作品もルノワールの作品も感想は似たり寄ったりになってしまう。

まさに現代に必要な作品への向き合い方は

『印象派』×『サロン』である

『ガウディの遺言』 / 外尾悦郎

前述した落合陽一氏の著書『忘れる読書』の中でこの『ガウディの伝言』が紹介されているところから興味が湧いて読んでみた。

日本でも度々ガウディの生涯と作品を展示した展覧会が行われるが、毎度ガウディという人物の想像する建築、哲学には驚かされるばかり。

ガウディ展にいった際の写真

中がくり抜かれた聖堂の構造は全体が柱に支えられ、頂点の部分はヴォールトのようにカテナリー曲線で制作される。外見を見ただけでも圧倒される建築だが、柱をよく見ると四角形、八角形、一六角形と場所によって構造が変化している。

このねじれの構造をかつては職人が一つ一つ丁寧に造形していったと考えるとサグラダ・ファミリアの存在が如何にバルセロナの人々の意匠に基づき建築として新しいアゴラを作り出しているのかが感じられる。

さらに著書の中でサグラダ・ファミリアが巨大な楽器として機能している点には驚かされる。鐘楼の下部部分はマフラーの機能を果たし、模型を利用して完璧な伝導性を作り上げた。それにより鐘から繰り出される音色と聖堂で歌われる合唱が素晴らしいほどの伝播を行う。

サグラダ・ファミリアが石工たちの意匠とバルセロナの人々の意匠を持ち、ガウディが実現させたと考えると何とも美しい建築なのだろうかと思う。ここでは説明できない素晴らしさがサグラダ・ファミリアにある。

単行本

[クリティカル・ワード]現代建築 / 橋本仁 山崎 泰寛

1920年から10年ごとに日本の建築を振り返っていく。読み進めていくと徐々に政治的な意匠が加わっていくことが捉えられる。特にC・A・ペリーの「近隣住論」なんかは戦後の日本社会の復興に大きな影響を与えることになる。実際に千里ニュータウン計画で採用されることになり、今までの祖父母を含める各大家族形態や男尊女卑といった古来の儒教観が敗戦を経験した日本は崩壊することとなる。
戦後復興において政治的意匠における住宅不足問題の解消は圧倒的でオープンハウス形式はアメリカで発明され日本で完成したような雰囲気も感じる。

例えば「住宅政策の三本柱」があり、それぞれ「住宅金融公庫」「公営住宅法」「日本住宅公団」と政府による住宅購入システムの改良によって大黒柱は家を持つことが夢という典型的なイメージを作り上げることに成功する。

しかし、家というのは大工の技量による世界に一つだけの作品が通常であり、低賃金で働く者にとって家は夢のまた夢である。そこで登場したのがイームズハウス以降のオープンシステムである。市場に存在する部品が規格化され他会社の製品に互換性が生まれ住宅建築におけるコモディティ革命を起こすことに成功する。

工場で部品を生産し、現地で組み立て作業を行うことで圧倒的なコストパフォーマンスとRC構造を加えた耐震性の向上により狭空間における縦長の住宅建築も可能となっていく。

住宅に対する意識というのは時代変遷を追っていくと面白い。住宅哲学と考えるならば過去の印象派によるアカデミック作品の批判のようなモダニズムの登場を感じる。

加えてこの本が面白いと思う評価できるのが本書の題名でもあるクリティカルにある。タワーマンションの存在を「資産運用によって翻弄されてきた存在」と的確に指摘してくれる点には関心すら感じる。

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