【翻訳後編】コミュニティが創る未来の教育 〜コホート型コースの幕開け〜 (原題//The Future of Education is Community: The Rise of Cohort-Based Courses)
(元の投稿は2021年6月25日にMediumで行いました。Noteに引っ越してきました。)
どうも、シリコンバレーで起業中の真田です。前編からの続きで、翻訳しました!
原題投稿日:2021年3月8日
筆者:Tiago Forte
なぜコホート型コースなのか
コホート型のオンラインコースには、それまでのオンラインコースとは一線を画す4つの要素があります。
・コミュニティ
・説明責任
・インタラクション
・インパクト
それぞれの要素を見てみましょう。
コミュニティ
人間はどのように学ぶかというと、ほとんどの場合、コミュニティの中で学びます。弟が師匠の巧みな技を横で見て学びます。グループディスカッションでは、ひとつの問題をさまざまな角度から検討します。バスケットボールチームの選手たちは、お互いを励まし、刺激しあいながら成長していきます。ライティングのような孤独なスキルであっても、ライティンググループで集まってお互いにフィードバックを与えたりしながら、上達していきます。
MOOCsが勃興した頃から、オンラインの掲示板(フォーラム)はMOOCsの一部として常に一体的に機能してきましたが、そのほとんどが “コミュニティ “と呼ぶには無理がありました。フォーラムは単なるカスタマーサクセスやお役たち情報のリストであることが多く、その多くはほとんど誰も参加しないゴーストタウンであることが指摘されてきました。お互いの顔を見て、声を聞き、同じ経験を共有することができなければ、フォーラム上での知人は、ウェブサイト上の匿名の赤の他人でしかありませんでした。
コホートの集中的な環境は、友情をあっという間に作り上げてしまう圧力鍋のようなものです。友人関係だけでなく、メンター、壁打ち相手、思考のパートナー、コーチ、アドバイザー、さらにはクライアントや就職先、恋愛相手など、あらゆる種類の人間関係が生まれます。実名でビデオに登場する人たちとの関係は、コースの枠を超えて、「現実」の世界へと広がっていきます。
コミュニティには形がありません。完全に計画したり予測したりすることはできません。内輪ネタやあだ名、由来、暗黙の価値観など、さまざまなものが生まれてきます。しかし、私たちはコミュニティが生まれる条件を意図的に作り出すことができます。そういう積み重ねによって、真のコミュニティが生まれてくるのです。
説明責任
コホートベースの学びの場は、進路相談の教師、勉強会、ティーチングアシスタント、ホームルーム、ゼミやラボなど、従来の学校で見られる説明責任が求められる境遇をオンライン環境で再現したものと考えてもらえると良いでしょう。
このような説明責任は、学び続けることに挫折しがちな学習者の継続性を支援すると同時に、関係者全員が高みを目指そうとする雰囲気を生み出します。これは、さまざまなバックグラウンドを持つ学習者が、自分の申し込んだプログラムを無事に修了するために欠かせないものです。この励まし合いと挑戦のバランスによって、CBCはMOOCsよりも遥かに高い修了率を記録するに至っています。業界全体の数字を把握するのは難しいですが、感覚値としては、トップのCBCでは修了率が70〜90%に達することも珍しくなく、最近私が運営したコホートでは、世界で最も人気のあるブランドに匹敵するネット・プロモーター・スコア(NPS)を記録しました。
真の説明責任は、関係性の中から生まれます。サッカーチームの練習に参加したり、会議の準備をしたり、仕事の後に友人の誕生日パーティーに参加したりするのは、人間関係があるからこそ生まれてくるものです。このような関係は、自分が尊敬する人たちとの直接的で有意義な交流を通してのみ自然と築かれていきます。そして、このような関係は、困難な状況下で、皆が共通の目標に向かって結集しているときに、最も自然に形成される傾向があります。
また、説明責任は、コホートのような時限性のある環境下ではより一層強い形で現れてきます。ビデオ会議は録画できますが、リアルタイムで参加する会議で得られる体験には及ばないものがあります。リアルタイムの会議でしか得られない体験を作り出すことにより、希少性が生まれ、参加しなければならない「言い訳」が生まれます。CBCは、著作権侵害に強い点も特徴です。誰かがビデオ会議の録画データを悪用サイトにアップロードしても、そこにはリアルタイムでしか得られない体験は含まれていません。しかも、そこで触れられている情報はすぐに古いものになってしまいます。
インタラクション
リアルタイムでビデオ会議に参加することでしか得られない体験は、さまざまな学習効果をもたらします。弱みをさらけ出したり、笑ったり驚いたり、話の脱線をしたり冗談を挟んでみたり、笑ったり泣いたり、勝利や失望を味わったりと、こうした体験は、事前に定義されたコンテンツやチャットベースのフォーラムからは生み出されることはありません。こうした体験は、心理的安全性が担保された場所で、自分の内面と向き合い、自分自身に厳しい現実を受け止め、ぬるま湯から飛び出してみる中で、自然に生まれてきます。
リアルタイムでのビデオ会議を行うことで、実に様々な形のコミュニケーションをデザインすることができます。講師は事前に講義を撮影・配信し、重要なコンセプトを会議中に長々と一方通行的に話すことなく受講生に伝えることができます。分科会を並行して設けることで、受講生たちが分かれて特定の分野のトピックに集中することができます。受講生にスポットライトを当てて、大勢の受講生の目の前で、講師やティーチングアシスタントからフィードバックやコーチングを受けることだってできます。また、物理的に教室に足を運ぶことが普段であれば難しい大物のゲストが飛び入りで参加してきて、魅力あふれる話を披露することもできます。また、チャットでは、お勧めのオンライン記事やウェブサイトの情報、フォローアップの質問、建設的な意見交換が飛び交う、アクティブな場ができあがります。
このようにして生まれた学習体験は、大学の教室、ビデオゲーム、仮想空間に似ています。投票、インタラクティブなホワイトボード、絵文字を使ったリアクションなどにより、多対多のコミュニケーションが可能になり、数百人(数千人)が一度に参加できるようになりました。学生たちは、Twitter、Clubhouse、Slack、Discordでお互いを見つけ、特定のプラットフォームを超えたネットワークを形成していきます。長い間、オンライン教育が語られる際には、いつも技術面ばかりに焦点が当てられてきました。ようやく、技術面以外のソフトな部分の重要性も認識されはじめ、学ぶことの興奮、喜び、楽しさが、これまで以上に輝きを増してきているのです。
インパクト
コンテンツの中には、読み物やハウツーものなど、一人で消費しやすいものが多くあります。しかし、教育の最大の価値はそのようなコンテンツにあるわけではありません。そのようなコンテンツは、Googleで検索すればすぐに出てきます。
教育の真の価値は、人を変える力にあります。コホート型のコースが適しているのは、変革のための学習です。短期間で人々のアイデンティティを大きく変えてしまうことから、受講後自分がどんな状態になっているのか想像すらつかないことが多々です。
このようなレベルの変化は、心理的安全性が担保された環境下(と同時に厳しさも存在する)で、深いレベルの実践を行う中で起こってきます。私たちは、困難な課題を一緒に克服するために、あらゆる可能性に挑戦し、努力する場が必要です。
オンラインでの学習者たちは、知ってか知らずか、「通過儀礼」を求めています。これは、私たちがオンラインに求める摩擦のない利便性とは正反対のものです。インターネットで過ごす時間が長くなるにつれ、より深く、より意味のある体験が求められるようになっています。
事業としての教育
コホート型コースが有する仕組みと説明責任により、これまで不可能だったことが可能になりました。例えば、コーディングブートキャンプのように、高収入の仕事に就くためのスキル獲得の機会を提供したり、ISA(インカム・シェア・アグリーメント/出世払い)を提供して、学生が仕事を見つけた後にコースの費用を支払うことができるようにしたり(ラムダスクールが提唱したモデル)、さまざまな可能性が広がります。
品質基準が高まるにつれ、オンライン講師が請求できる受講料の上限も高くなっています。その結果、オンライン講師は、認知度の高いブランドを作るためにデザイナーを雇い、的を射たフィードバックを与えるためにコーチを訓練し、技術的な専門家と協力してウェブインターフェイスをカスタマイズし、新たな受講生を獲得するためにマーケティング担当者にインセンティブを与えるなど、体験の向上のために投資を惜しまなくなります。
さらにはバーチャルなイベントや、受講生同士が直接知り合える地域別のオフ会などのイベントを開催する余裕ができています。また、講師を雇うこともでき、個人のブランドや個性を超えたコースを提供することができます。このような投資の好循環により、オンラインコースは、気軽な趣味から、具体的な成果を何度も約束して提供できる実業へと変化しています。
ここで重要なのは、オンライン教育の歴史における新しい波は、前の波を消し去るものではないということです。その上に成り立っているのです。EdX(第1の波)では、現在3,300万人の学生が3,000以上のコースを受講しています。Udemy(第2の波)は、毎年数百億ドル(数百億円)の収益を上げています。Teachable(第3の波)は、Hotmartに250億ドル(250億円)で買収されたと言われています。初期の波で作られたコースが再構築され、後の波の一部になっているケースもあります。例えば、ハーバード大学のDavid Malan教授のコンピュータサイエンスのコース「CS50」は、Zoomを使ったリアルタイム授業のような側面を持っています。
新しい波が来るたびに、それまでの波に新たな可能性と価値が加わります。ウェブがハードウェア、ファームウェア、ソフトウェア、ウェブサイトなどの何層にもわたって構成されているのと同じように、オンライン教育のそれぞれの波は、これまでの時代に開発された機能を利用し、それらの上に立って新しい体験を提供しています。層を重ねるごとに、できること、巻き込める人、提供できる成果の範囲が広がっていきます。
しかし、イノベーションの先端が移動していることは明らかであり、コンピュータの前に座って一人でビデオを見るというモデルは、もはや私たちができる最善の方法ではなくなってきています。録画された自習用のコンテンツには常に役割がありますが、急速に変化する世界に対応できるような教育のあり方として、コホート型コースは、なくてはならない存在となってきているのです。
学びが民主化された世界
初期のMOOCsでは、世界レベルの教育を世界中の誰もが受けられるようにすることが約束されていました。
予想以上に時間はかかりましたが、ようやくその約束を果たすことができるようになってきたと思います。コホート型コースはエリート主義で値段が高く、排他的であると批判する声もあります。しかし私は、この新しいタイプの教育によって、オンライン学習はこれまでよりもはるかにオープンでアクセスしやすく、民主的なものになると考えています。
それはどういうことか。
まず、教えるにはコストがかかります。講師がきちんとした生活を送れるようになって初めて、長期的に優秀な人材を集めることができます。講師が経済的に安定していれば、最も優秀な学生に割引や奨学金を提供することができます。物理的な教室がなければ、誰も旅費や宿泊費、設備費などにお金をかける必要がありません。
次に、CBCによって、大学レベル(あるいはそれ以上)の学びの質を担保しつつ、大学での経験の最良の部分を、大学に行けずにアラカルトで購入できるようになります。講師には教えるために博士号が必要なくなり、受講生にも入学するために高いテストの点数が必要なくなります。官僚主義、形式主義、間接費などが重くのしかかる伝統的な大学を強くしていくのではなく、バーチャルな環境で教育をテコに、誰もが自分の興味のある部分のみを切り出して学べる環境を作っていくことができます。
そうした観点をまとめて、「コホート型コースはオンライン教育を民主化する」と上記した次第です。恵まれない環境にいる受講生は、そのようなサポートを最も必要としています。コホートによるリアルタイムでのインタラクションは、はるかにパーソナライズされた(人数が増えれば増えるほど学びが薄まっていくという常識とは真逆の効果)、濃密なコミュニケーションを生み出す、人間味溢れる学びを可能とします。
私たちは20年以上かけて、人々の人生を変えるオンラインコースを確実に提供する方法を考えてきました。私たちはようやく、収益性と持続性のあるビジネスモデルを確立し、変革をもたらす教育を渇望するユーザー層を獲得しました。
さぁ、これまでに学んだことを結集して、たった1つの問いに答える時がやってきました。
「どうすれば受講生に対し、人生のターニングポイントとなるようなインパクトに満ちた体験を提供できるか?」
この記事へのご意見、ご感想をお寄せいただいたBilly Broas氏、Monica Rysavy博士、Will Mannon氏、Nasos Papadopoulos氏、Aditi Parekh氏、Armchair Traveller氏、Roshan Mishra氏、Bhavani Ravi氏、Chance McAllister氏、Parth Goyanka氏、Spencer Kier氏、Adia Sowho氏、Todd Beane氏に感謝いたします。