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東京五輪2020金メダルの重責を担う、全日本女子バレーの応援お願いします!土下座m(__)m

すべては、ここから始まった。

東洋の魔女

東洋の魔女とは、1961年のヨーロッパ遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールチーム(現強豪チーム、東レアローズがDNAを引き継ぐ)に、世界に恐れられてつけられ、全日本女子バレーチームに移行したものだ。
前回の1964年東京五輪では同チームのメンバーを主体とした全日本で出場した。5試合の中、全セット中落としたのは1セットだけという圧倒的な強さで、金メダルを獲得した。テレビ中継の視聴率も驚異の85%という、スポーツ中継としては歴代最高を叩きだした。
”お家芸”と言われるが、そんな生やさしい表現では収まらない。戦後焼け野原の状態から、まだ20年も経っていない日本で、karoshi(過労死)と言う世界を驚愕させた働きで、人類史上まれに見るレベルの高度成長をしている状態での、復興の象徴・拍車をかけての、日本でのオリンピック開催でのメインの種目だ。敗戦国と戦勝国・低身長と高身長・西洋人と東洋人など、全国民との親和性が合致し、たった6人の若い女性に全国民の思いと重責を負わせた。

感情が先に立ち#応援したいスポーツなのに、応援したいスポーツチームを書いてしまってルール違反なのかも知れないと思ったが、それでもこの一年だけでも、#火の鳥NIPPON(全日本女子バレー)を応援して欲しい。

重責を果たし後輩に引き継ぎしばらくは国民の関心が保ったまま、テレビ・マンガなどのメディアのサポートもあり人気が続いてた。だが、元々バレー競技自体が身長差(世界トップ平均身長のオランダは10cm以上高く、世界ランキングでは10位)で、全日本女子バレーに不利な条件の競技の中でルール変更(ネットが高くなる)・燃え尽き症候群・各国の追い上げ等、いろんな不利な条件が重なり、徐々に負けが漉し人気が落ちていく。

シドニーオリンピック2000の出場を賭けた、1999年シドニーオリンピック予選で、一大事が起こる。あの東洋の魔女・常勝国・お家芸のメダル取って当たり前の女子バレーで、オリンピック予選を敗退してしまったのだ。オリジナルの”東洋の魔女”並みの思いはもう無かっただろうが、記憶だけは残っていて、このどうしようもない思いを”誰か”に責任を取らせなければいけなかった。

それが、竹下佳江だ。

身長が159cmと、世界レベルではありえない低身長のチームの司令塔の竹下佳江に、この重責を果たせなかった責任を負わせた。”東洋の魔女はいなかった”など連日のように、まだ21歳という若い女性をなじりバッシングした。”人を殺めてしまった犯罪者のようでした”、レベルでバッシングをされた。

敗因の原因は、フロントの戦略ミスだ。命題である高身長化と若返りの戦略が失敗したためだ。センタープレイヤーとして日本一と言われていた吉原知子を”若返り”と言う理由で代表に選ばず、身長の高いアタッカーをポジション替えしてセッターにさせるも移行がうまくいかず、実際は控えだったセッターを起用するが不調なため、その控えの竹下佳江が出ただけのことだ。最初から葛和監督が信頼していた竹下を起用していれば、当然のごとくチームコンビもうまくいき、何も問題なかったのだ。

竹下佳江は二年後に一度引退し、地元福岡に戻り、ハローワークで介護の仕事を探している。そのさいに当時Vリーグの下位リーグだったJTマーヴェラスの一柳昇監督の三顧の礼により復帰する。すぐにその年のVリーグ昇格を果たし、その翌年には柳本 晶一監督に全日本代表に再招集され、ワールドカップでは最優秀敢闘賞受賞。翌2004年アテネオリンピックに出場し、5位入賞を果たす。
「彼女の能力の高さは知っていたけど、想像以上だった」と、その一柳昇監督を脅かせ、韓国で100年に一人の逸材と言われるエースアタッカーのキム=ヨンギョンに、テンさん(竹下の愛称)には特に多くのことを学んだ、自分のパフォーマンスはテンさんに生かしてもらっていたなど、JT時代は私の一生の宝とまで言わさせ、世界中のアタッカーが竹下のトスで打ちたいと思わせる糸を引くようなストレスのないトスワーク。MVP(最優秀選手)、世界最小・最強セッター、各国の強豪チームの監督が試合前に、マークしている選手はタケシタだと、言わさせ。アタッカーが助走が遅れても、その遅れに合わせてトスを上げることだけでなく、育ててくれるとまで言わしめるほど、竹下佳江は凄いのだ。
もちろん竹下佳江だけで勝つスポーツではない。2012年ロンドン五輪まで10年間、本業JTマーヴェラスと全日本女子バレーチームで、一年中休み無くバレーに集中し、世界大会・ワールドカップにオリンピックの常勝国にまでなり、28年ぶりと言うオリンピック銅メダルを獲得し、東洋の魔女を超える偉業を達成したチームの一員としてずっといたのだ。

コーチが選手の体調を一人ずつ聞いていく時も、竹下は反対にコーチに他の選手の体調を聞いていたくらいチームプレーヤーで、バレーボールはチームスポーツということを認識していた。キム=ヨンギョンも多くのことを学んだと語っているが、MVPの賞金を自分の力で取ったのではないと、チームの食事代に使っている。
ロンドン五輪を最後と捉えていた竹下佳江に最強の試練が立ちはだかる。直前のスイス合宿中に左人差し指骨折と言う、セッターとしての致命傷を負うのだ。筆舌に尽くし難い試練だ。
添え木をし、骨折した人差し指と中指を石膏で固め、”指を一本失っても”と、監督とテーピングをしてくれるコーチを説得し、みんなには怪我のことを知らせないようにして、骨折した指でトスを上げ続け、試合に挑んだ。「テンさんは口にしないけど、みんな薄々気づいていました。」いつもと違う乱れた竹下のトスを、必死になって打ち切っていった。
チームで28年ぶりのメダルを勝ち取ったのだ。

チームで監督・コーチにサポーターの力で、多くのファンの力で勝利を掴むチームスポーツなのだ。

東京五輪2020金メダルの重責を担う、全日本女子バレーの応援お願いします!土下座m(__)m

注;監督以外、親和性を高める意味と歴史上の偉人の慣用表現として尊敬の念を持ち、敬称を略しております。

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