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愛知県美術館『パウル・クレー展』その1
大好きなパウル・クレー。今回の展覧会は、良い評判ばかり聞こえてくる。期待がふくらみまくりで、最寄りの地下鉄駅を降りた時には、もうドキドキして倒れそうでした。
心を落ち着けるために、ちょっとカフェで一休み。本来なら予約が必要なお店でしたが、ちょうど空いていて入れたので糖分を補給して英気を養う。
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パウル・クレーってどんな人?
「クレーには『孤高の画家』というイメージがあるけれど、それは画商が販売戦略のために演出したもので、むしろ友達いっぱいいましたよ」
というのが今回の展覧会のテーマ。でも自分には、あんまり『孤高の画家』なんてイメージは無いなあ。むしろあんなに明るい色使いをして、可愛い天使も描くんだから、陽キャに決まってるじゃないか。
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向かって左側、中段のオデコの広いヒゲ男がクレー。
第一次世界大戦、兵隊に引っ張られた時の写真があった。
ド真ん中に堂々と立つ立派なヒゲの紳士は、一人だけ帽子が違うし、ベルトに弾薬盒もつけていない。隊長さんかな?
ちょっとピンボケ。ピントが合う範囲が狭いのか、だいたい他のみんなも、薄っすらピンボケ。
ピントがばっちし合ってるのは、隊長の真後ろで、オデコをテカテカさせているカメラ目線のヒゲ男だけだ。
これがパウル・クレーである。
写真を展示するためにレタッチしたのかな、と疑うレベルでピントが合っている。他のオッサンたちが、レンズの位置を誤解してるのか、少しズレた方を見てるのに、クレーだけが完璧にカメラ目線だ。
画家だったから、カメラの知識もあったのかしら?
「あのカメラであのレンズなら……ピントが合うのは……
ココだッ! よし、一発芸やっちゃえ。ナーマークービー」
そんな感じで、ワザと隊長さんの頭上に顔を出してるのかと疑いたくなる。笑ってるのか、歯まで見えてるんだもの。
他のオッサンたちは、ほとんど
「兵隊にされちゃったよぉ……生きて帰れるのかしら……」
なんて不安を隠しきれなくて、眉をハの字にして、遠い目をしてるのに。左側一番後ろのオッサンなんて、もう心霊写真になっている。気が早いにも程がある。
しかし、パウル・クレー……口元は歯まで覗いていて、笑っているように見えると言ったが、目つきはなんだか恐ろしい。目蓋が腫れぼったく膨れ、隙間から見える瞳にも光がない。それもそのはず。直前に盟友のフランツ・マルクが戦死しているのだ。
『ヴェルダンの戦い』は、第一次世界大戦の主な戦闘の一つで、死傷者七十万人を数える。フランツ・マルクはそのうちの一人だった。彼が頭を打ち抜かれて即死したのが1916年の3月4日、クレーが召集令状を受け取ったのが同年3月11日。同じ年に、同じドイツ軍の一兵卒となった者の中に、作家のエーリヒ・マリア・レマルクがいる。
彼は後に『西部戦線異状なし』を著し、彼らがどんな体験をしたのかを、今に伝えている。
フランツ・マルク、戦争とクレー。
フランツ・マルクは動物の絵が有名だという。『青い馬』はカンディンスキーともに立ち上げた『青騎士』という芸術家グループの元ネタにもなっているとか。
とはいえ自分が直接見たのは、黄色い牛の絵だけ。虎も見たかな? 白い馬の絵も見たはずなんだけど、思い出せない。36歳で戦死してるし、二度も結婚してて愛人もいたという、忙しい人生である。作品少ないのかしら?
フランツ・マルク『冬のバイソン(赤いバイソン)』
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今回も、展示されているのはこれ一枚だった。
動物画といっても、動物そのものの魅力を描くのではなく、何かの象徴として描かれている。赤い牛は戦争の象徴、とか言うのかなあ?
牡牛を暴力や破壊の象徴として描く事は、24年後にピカソが『ゲルニカ』でやってるのが有名だけど、あれはスペインという歴史風土も背景にあるので、一概には比べられない。
自分は、なぜかマルク・シャガールの作品を連想していた。自分の心の中にあるものを、目の前に存在しない風景を描くことで表現しているのは同じだから、そのせいかな。あとは色の感じのせい?
シャガールはマルクやクレーより7、8歳年下。『私と村』は1911年、『七本指の自画像』は1912年だけど、有名だったかどうかは微妙なところ。このころロシアにいるんだっけ? クレーの絵にも、こういうフェルト生地みたいな質感を出す塗り方は使われているので、源流はもっと前かもしれない。
パウル・クレー『破壊された村』
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例えば、この風景に見える布のような色面。シャガールのはフワフワして柔らかく暖かそうだけど、こちらは擦り切れたような、ささくれたような、毛羽立ちゴワゴワした感じだ。太陽は血だまりのように赤くて、村だった谷合には黒い闇がよどんでいる。その重みで教会の塔も押し曲げられて今にも落ちそうだ。十字架も闇に飲まれてほとんど見えない。
膝を曲げてうずくまった人物の頭のような燭台。消えて冷え切ったロウソクが、虚しく乗っている。
一つ残らず黒く塗りつぶされた窓に、生きている者の気配はないけれど、その奥から何かがこちらを見ているようだ。
パウル・クレー『破壊と希望』
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第一次世界大戦は1918年に終戦。前掲の『破壊された村』は1920年の制作。具体的な絵画は、終戦からかなり経ってからしか描けなかったのかな? ではその前はというと、こんな抽象的なイメージで、ストレスを吐き出していたらしい。
抽象的なイメージとは言え、先のとがった半円は砲弾型だなとか、束ねられた集中線は、降りそそぐ榴弾か飛び散る土礫か? 二重丸三重丸は爆発か? 交差する直線は鉄条網か、それとも塹壕か? であれば、真ん中に寄り集まっている、小さな汚れた丸は、兵隊たちの鉄兜か……などと、どうしても読み取りたくなってしまう。
薄い黄色の円は太陽、緑の半円は月、画面の上と下に、青と赤のダビデの星……?
ダビデの星は、偶然とは言えないだろうなあ……そういえば、ポツポツ見える、横倒しになったゆるい曲線に、へばりつくような小さな丸。これは麦の穂なのか?
麦の穂、月と太陽、そしてダビデの星となると、どうしても旧約聖書のヨセフの物語を連想してしまう。
創世記37章から始まる、死と再生の物語。飢餓を克服して、憎悪を捨て、平和を手に入れる話だ。
意識していたのかなあ。それとも自分の考えすぎ?
パウル・クレー『日傘のあるヒエログリフ』
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前線送りは免れたけど、兵隊暮らしでも吐き出したいものは溜まってゆく。でも、見たまんま描いてしまうには、現実はあまりに凄惨だ。とても描けない……だから抽象化したいんだけど、どうしよう? そんな感じかしら。
抽象と具象の間を行き来するのに『文字』は、非常に強力な武器だ。文字でもあり、絵でもあるヒエログリフ。
文字だけじゃない。この絵には音符も描かれているようだ。
風船かと思ったら、上下ひっくりかえっている。旗竿も旗も黒い球をつけて、四分音符や八分音符のフリをしている。
渦巻きは、ヘ音記号だろうか?
絵が記号のフリをするように、文字も絵になりたがっているみたいに、その意味を曖昧にしていく。
「12」か「L?」か? 「13」か「B」か「R」か?
パウル・クレー『アフロディテの解剖学』
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ALI PROJECTの曲名みたいなタイトル。
描かれたのは兵隊に行く前だけど、戦争の惨禍は伝えられていた。それに影響を受けたのか、この時期、一旦描いた絵を切り刻んで別の紙に貼り、別の作品にする、などという事をしていた。これはその一枚。切り落とされた部分は別の作品になっているが、それは来ていない。
黒や焦げ茶色の槍が降りそそぎ、地面からは赤い花が咲くように、いくつもの円や円柱が生えている、大きく見開かれた青い瞳がこちらを見ていて、一つはベンガラ色の涙を、滝のように流している。
この少し前にチュニジアを旅していて、そのアフリカ体験はクレーの色彩に大きな影響を与えたという。
確かにこの絵に使われている色彩は、アフリカの美術工芸でよく見かけるような気がする……
パウル・クレー『インテリア』
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戦争では整備員として働いていたとのこと。これは、そこで使っていた飛行機に貼るための布の端切れに描かれている。やはりヒスイ、緑青、ベンガラ、草木染を連想させる色彩。荒い布に描かれているので、いっそう民族芸術っぽい。
大ぶりの形を並べていくデザインもそれっぽい。
パウル・クレー『紫と黄色の運命の響きと二つの球』
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ただ、アフリカに限らず、様々な文化を取り入れようとしていたのではないか、とも思う。根拠はコレ一点だけど。
中央に大きく描かれている人物は、仮面を被っているのか、顔の色が塗り分けられ、頭の上から顔の周りまで、羽根飾りが広がっている。胸元に飾り布が垂れ、膝下までの腰巻には小さな玉がちりばめられて、その全体を、蛇の群れのような文様がとりまいている。
これ、マヤとかアステカとか、メソアメリカ文明の遺跡とか書物に出てくる人物像に似ていないか?
タイトルにある、二つの球は人物の腰のあたりに。古代メソアメリカの球技というと、文明によっても違うようだけど、腰で石や天然ゴムのボールを打つもので、捕虜にやらせて、負けた奴を生贄にしていたとかなんとか。
生贄の儀式で社会を維持していた文明では、捕虜を供給するための戦争が行われていたとかなんとか。
この作品は「戦時下芸術展」に出品され、美術館に買い取られたという。
もしコレが、戦争捕虜を生贄にする神の絵だったとしたら、とんでもない皮肉だなあ。
パウル・クレー『都市の描写』
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クレーは決して内省的ではなかった。
というか、当時のヨーロッパにおいて、内省的であることは許されなかったのだろう。国同士の戦争もあれば、芸術家の集団だって、結成されたり解散したりを繰り返している。
この作品も、ダダイズムのメンバーから優れた抽象画としてラブコールを受けたとか。
でもコレ、本当に抽象画かなあ? ある程度は実際の風景を基にしているようにも見える。
「これは『都市の描写』だ、これは『都市の描写』だ……」
と思いながら見れば、並んだ家の切妻屋根や、そこに生える煙突、直角に曲がる道路と歩道とその縁石とか、ジワジワと見えてくる。セザンヌが過激になったみたい。まあそれは、この後でカンディンスキーがやるんだけど。
その一方で、この前年に第一次世界大戦が始まっている事を思うと、狭い画面の中に、何枚もの国旗が押し合いへし合いしているようにも見えてくる。少しでも広い面積を占めようとして、血や泥で染まり、黒焦げになっている国旗たち。
その2へ続く。
長くなりそうなので、ここで一旦切ります。
今週中に最後まで書けるかなあ?
たまには会期中に仕上げたい。
この後のタイトルは、
「マックス・エルンスト、機械とクレー。」
「ワシリー・カンディンスキー、色彩とクレー。」
「ハンス・アルプ、そこにあるクレー。」
なんてのを予定しています。