『春陽会誕生100年 それぞれの闘い』展覧会記録(その2)

前回の続き。


萬鉄五郎

あの真っ赤な幾何学図形の『もたれて立つ人』は知ってた。
『裸体美人』は確か実物を見た気がする。ほぼ等身大レベルのデカさだったような。簡略化されてるのに生々しい、肌の汗のぬめりや脂の臭いを感じて、ちょっとヤバかった記憶が。
それなのに、ごく最近まで「まんてつごろう」って読んでました。そのレベルの鑑賞者であります。

今回展示されている、『羅布かつぐ人』『裸婦(ほお杖の人)』は、ぱっと見じゃあ『裸体美人』と『もたれて立つ人』の中間みたいなんだけれど、時期としては『裸体美人』の十三、四年後、『もたれて立つ人』の七、八年後。そして死ぬ五年前。
この時期、画業の集大成に入っていたんだろうか?
小さな『宙腰の人』など、祈っているようなポーズだ。
この赤い人体は、いったいなんだろう?
縄文時代、葬送には弁柄が使われていたというけれど。

この展覧会で大看板を張ってる、岸田劉生と木村荘八は、萬鉄五郎と同じフュウザン会なので、今回の展示も、本来はその流れで見るべきものなのかしら。
フュウザン会はマジ前衛的、でもバーナード・リーチとかもいるし、それこそ岸田劉生だもの、土の臭いがあるんだよなあ。萬鉄五郎の赤も、そう考えると、土の色に見えてくる。

小杉放菴

半分以上知らない画家で、この画家も知らなかったんだけど、なんとも素敵な作品でした。
『母子採果』『羅摩物語』、どちらも大きな作品。襖くらいある。大きさ、構図、題材、なにより淡い色調で、油彩画なのに日本画みたい。日本画みたいなんだけど、油彩画だから、その混ざり合った感じが、異界の空気みたい。

人物は仏画の観世音菩薩のようなんだけど、植物はアール・デコの匂いがして、細かい文様で埋め尽くされた衣装は、クリムトというか、表現主義というか。どれも好きなので、全部盛りっちゃあ、全部盛りなんだけど。
全部盛り特有の物足りなさ、というのも、もちろんあって。
本来なら、その物足りないところに、小杉放菴の個性が、そこにピタッとハマってドーンと来るところ。

小杉放菴に個性がないわけじゃない。むしろ個性的すぎるんだけど、私の方に、それを感じ取る受け皿がない。
当時の他の油彩画や、仏画も含めた日本画を、もっと見ていれば、たぶん分かったんだろうなあ。
小杉放菴の面白さを感じ取れるようになったら、このころの美術の鑑賞については、それなりに経験を積めたと思ってよいのかな。

岡鹿之助

岡鹿之助は、点描の画家ということだけど、スーラやシニャックみたいな、点だ点だって感じがしない。
もちろん点なんだけど、フワフワしていて、点描というよりステンシルとか、トールペイントとか、そんな手芸的な柔らかさを感じる。あるいは、古いフレスコ画も、こんなサラサラした画面の触感だったかな。

考えて見れば、印象派における点描というのはそもそも、混色を、絵具を混ぜずに隣り合わせにすることによって行う、という趣旨だったじゃないか。だから点は、隣りの点と溶け合わなくてはいけないはず。点が点として認識されたら、失敗だ。

だから、岡鹿之助の、筆先で一つ一つ描かれたはずの絵の具の点が、織物の布目、漆喰の砂目のようにトロリと溶ける画面こそが、点描の理想的な到達点のひとつなんだろう。
それは、印象派に学びながら、それを克服していく春陽会の活動の成果、ということかしら。

『魚』の静物を見る目は、まちがいなく岸田劉生と共通するものがあるし、『窓』の、近景・中景・遠景の分かりやすい構成、近景には窓枠カーテン植木鉢、なんていうのは、印象派の構図設計の王道。
『観測所』は建物の壁や屋根すら、膨らんだり撓んだりして、まっすぐな線が一つもない。直線が一切ない風景。
『山麓』では、科学と工業の象徴のような発電所の建物は、もちろん直線なんだけど、山肌や木々ですら直線。全て直線で描く風景。
屋根で埋め尽くされた『群落(A)』や、緑と建物が交互に重なった風景が、壁紙の絵柄のように平面的な『段丘』とか、こういったデザイン的な画面作りは、後世のイラストにどれだけ影響を与えたものか。間違いなく安野光雅に受け継がれている。

見返してみたら、『群落(A)』は1962年、『段丘』は1978年だ。安野光雅が絵本『ふしぎなえ』で一世を風靡したのは1968年。イラストに影響を与えた、安野光雅に受け継がれた、というより、当時のイラストや挿絵のデザイン性を、岡鹿之助の方が吸い込んでいたのかもしれない。

大澤鉦一郎

女の子たちが芋の子を洗うように海の中でバチャバチャやってる『少女海水浴』。楽しそうというより、なんだかみんなとぼけた顔。水が冷たいのかな?
無我夢中で遊んで、ちょっと疲れてるのか、笑う事さえ忘れてるみたい。跳ねる水しぶきに驚いたり、膨らませている浮き輪以外、目に入らない様子だったり。
あえて笑顔を描かないけれど、海水にまざる子供の汗の生暖かさが、画面から匂うみたい。歓声は聞こえずとも、子供らの肌が水面を打つ水音ははっきりわかる。
そんな不思議な視点の選択。

それが、1932年。三十代の終わりに、春陽会のホープとして上り調子だった時の作品。で、もう一枚が絶筆の『つり』。

黄ばみかけた白い古紙に、毛糸を貼ったみたいな、輪郭だけの舟、輪郭に目玉だけが申し訳程度についている人物。絵文字レベルの魚。どうしてこうなった。

軽く調べてみたら、画風をドンドン変えていった人らしい。
最初は岸田劉生に憧れて、それから点描になって、後期にはこんな抽象化に。面白いなあ。

愛知県の人で、地元の美術館にたくさん収蔵されているとのこと。今後も見る機会が多そう。できるだけ意識して見ることにしようかな。ちょっと楽しみ。

長谷川潔

油彩が多くて、次に愛知県にかかわりのある画家、なんていう印象が強かったので、いきなり長谷川潔のメゾチントにはちょっとビックリした。
若い頃大好きだったのに、いつの間にか見なくなったなあ。確か、美術の先生が激推ししてたんだ。

メゾチントは、いきなり板に彫るのではなくて、先に板に無数の切れ目を入れて、それを逆に潰していく事で版を作る、版画の技法。なので、何もない空間がない。何も描かれていない場所も、布のような細かな目があって、それが空気のように画面の向こうの世界を満たしている。
だから、真っ黒な部分にさえも、透き通っているみたいなかろやかさがあって。

その不思議さに、若かった自分は、ずいぶん心動かされたものだ。確か、真っ暗闇の静物画に光を感じて、少し泣いちゃった。そんな純真な時期が、自分にもありました。

そんな長谷川潔の作品に、再び出会ったというのに、今度は泣けませんでした。どこにいっちゃったんだあの頃の自分。

(その3)に続く。
短くまとめる方法を誰か教えて。

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