刈谷市美術館『宇野亞吉良展』その1
見にいった順番は前後しますが、刈谷市美術館での会期終了が近いので、取り急ぎこちらのレポートを書きます。
それくらい、ぜひ見て欲しい展覧会。殊に、イラストやデザインに興味がある方ならば、必見の展示です。
この宇野亞吉良展は、今年の4月から東京オペラシティアートギャラリーに始まり、この刈谷市美術館で11月9日まで開催された後、群馬県立館林美術館で1月から4月、秋田市立千秋美術館にて9月から11月と、巡回いたしますので、該当地域に近しい方はぜひお運びください。
名古屋出身とは知りませんでした。
幼稚園児の頃に、ある大判の絵本のシリーズがありました。思い返せば、挿絵は藤城清治氏や安野光雅氏など、錚々たるメンバー。それがどれほど恵まれた状況だったかと、今さらながら気が遠くなりそう。
そんな中で……ギリシャ神話の挿絵だったかな?
「コレ、僕みたいな子供が見ていいの?」
と、幼稚園児の自分がもうドギマギしちゃって、ページを開くたびにクラクラしてた、そんな絵の作者が、宇野亞吉良氏でした。思えば、それが自分の性癖の始まりだったのかも。
オッサンの性癖の起源なんぞどうでもいいですね。
そんな風に多大な影響を与えられておきながら、その経歴を知ったのはこの展覧会が初めて。名古屋の人だったの?!
中学時代に、あの宮脇晴氏に師事されているなんてビックリだ。それでも美大ではなくて、デザインの方向に。高校が図案科だったとか。自分のための作品ではなく、人のための表現を志した、ということかな。高校時代に人形劇団を興したとか、演劇にも深く関わる。
人形劇のキャラクターデザインとか、観劇記録とかの私的なノートの展示、広告や出版を意識したドローイングの展示。上の絵は、喫茶店の内装。役者や作家に限らず、店舗や企業までも含めた、他者の文化的活動を助け、不特定多数にその魅力を届ける……人と人とを結びつけるような、そんな仕事を望んでいた、ということなのかな。
グラフィックデザイナーという職業の確立。
上京して所属したのが「日宣美(日本宣伝美術協会)」という団体。これも初めて知った。グラフィックデザイナーという職業が、まだ確立していなかった頃なのか。アニメだと、1963年にトキワ壮メンバーのアニメスタジオ「有限会社スタジオゼロ」が設立される、という時代。高度成長時代、東京オリンピック前夜。
劇団民芸のポスター、うっかり「カンディンスキーかよ」とツッコミを入れましたが、デザインは田中一光氏だった。
この後、1969年の大阪万博でブレイクして、西武グループのデザインを一手に引き受けてブイブイ言わせる人だ。
宇野氏は、田中氏のクールなデザインに張り合うみたいに、古い銅版画みたいに細密な線で描かれた鳥や、当時の最先端だったであろうベン・シャーンやベルナール・ビュッフェのような、ささくれて尖った描線の人物を描き込んでいる。
『母の友』出版元は福音館書店かな? 表紙のアオリ文は「若いおかあさんの相談あいて」……それにしちゃあ、表紙がセンシティブというかファンキーというか、サイケデリックだけどいいのか? 子育ての悩みをハーレィ・クインに相談するみたいな気分にならんか? いや人を見た目で判断するのはアカンけど、雑誌の表紙というのは、見た目で判断してもらうためのモンだしなあ。『新婦人』の実業文化社は……実業之日本社なのかしら。田辺聖子に曾野綾子に丸地文子とかが書いている。こっちは中身がファンキーだ。表紙は、実写の写真との合成なので、シュールではあるけれど、宇野氏の性癖がストレートに出るわけじゃない分、まだ多少はね?
すぐそばに原画が展示されていて、合成される部分は描いていないのがよくわかる。こういうタネ明かしも、この展覧会ならではで嬉しい。
そんな女性向けの雑誌やってる同じ頃に、こういう仕事もしている。宇野氏の引き出しが多いのか、この時代のフトコロが深いのか。日本中がイケイケだったんだなあ。ちょこっとビアズリーやベルメールの影響もあるのかな? 金子国義氏は同時代だっけ。このころ澁澤龍彦とか寺山修司とか、ブイブイ言わせてたから、そういう流行りもあったか。
他にも「絵本千夜一夜物語」というのの挿絵もあったんだけど、ソレ写真に撮ってココに載せたら垢バン必至なレベル。イヤ上の画像もかなりダメそうだけど。現場には、もっととんでもない作品もモリモリあったので、ちょっと感覚が鈍くなってるかもしれない。
で、子供向けの絵本も出している。だけど宇野氏、子供向けだからと言って、自分の性癖をぶちまけるのに躊躇がない。馬の前脚と後ろ脚が、全裸の少年少女とか……誰も止める人、いなかったんですか? 最初に書いた通り、そんな宇野氏のせいで、自分もごらんの有様ですよ。今この時勢でも、イラストレーターが、自分の性癖を作品にぶちまける事が許容されてるのは、ひょっとして宇野亞喜良氏のおかげなのかもしれない。
……ちょっと前までは、子供向けの絵本の絵は、ちゃんと子供向けに描いていたんだけどなあ……東京に出て変わっちまったのかなあ……東京てゃあ、おそぎゃートコだがね。
さて。
そんな風に、個性を大爆発させていても、画家ではない。
デザインもバリバリやる。最終的なヴィジュアルをキメる。そこには写真家も参加するし、他のデザイナーもいる。
そもそも本なら文章、ポスターならお店やイベントが主役なんだけど、宇野亞喜良氏の個性を歓迎して受け入れる。
1960年代、本人も働き盛りだし、ジャンルとしても成長期、すべてが手探り。ちょうど世の中でも、コンテンツに対する需要がグングン伸びてるわけで、現在の日本のヴィジュアルコンテンツの隆盛は、まさにこの時期の、宇野氏をはじめとする開拓者たちのおかげだろう。
技あり! なデザインたち。
日本パルプ工業(現材の日本製紙)のカレンダー。
樹木と人が、同じ命を共有している。木から紙を作る企業のアピールに相応しい。色彩が、一部分にだけ入っているのも効果的。モノクロは精神性、抽象性、メッセージ性を強調するけれど、色彩は感情・感覚・感性への訴求力が強いという話を聞いた事があるようなないような。
まあ、モノクロはクッキリ、カラーは鮮やかに印刷できる、良い紙ですよーというアピールなんだろう。
各月の英名が、全て違うフォントなのも、印刷を意識してるんだろうなあ。
色彩を部分のみで使用するのは、この後もずっと使っていく技法。ドンドン洗練されていく。さらに応用で、色彩のみでなく、描法や、画材まで変えていく。9号10号を示す数字もオリジナルの字体を創作している。これも、文字をデザインに溶け込ませていく技法として発達していく。
パートカラーの使い方、画面内に入れる文字の使い方など、画面を舞台のように演出する指向は、これからずっと、一貫して続いていく。
フォトコラージュというのか、写真を合成してるんだけど、それ以外にも、色々な要素をあちこちから持ってきている。ボッティチェルリの『春』の女神フローラが覗いていたり、っこには写っていないけど、逆に『春』の中に写真のモデルが入り込んでいたり。奥の、スマホ画面のような縦の枠は、アール・ヌーヴォーでよく使われる構図。
ここにも、画面を舞台のように演出したいという思いが表れている。
「もうひとつの顔をよそおうのではありません
ねむっているあなたの新しい魅力をひきだすのです」
というアオリ文から発想した絵なんだろうなあ。
自分が鈍かっただけかもしれんが、スカートにも顔があったんだなあと。いや、コレ等身大近いデカいポスターなので、スカートは本当にひざ下目線になる……間違いなく、ポスターの大きさまで考えに入れてデザインしている。
ぶら下がってるお面に視線を誘導して、視界に入らない下の方で、大きさも向きも極端に違う顔。シルエットに絡まるような白く太い帯は、一見では、螺旋の模様と見えるはず。
こんなふうに、すぐに顔と気付かないようにする工夫がたくさん。異質なオブジェクトを組み合わせたり、立体的な描写と平面的な描写を絡ませるなど、だまし絵風の画面演出も、宇野氏の作品の面白さだ。
次は、このオリエンタル中村のポスターとカレンダー。
今はなき名古屋の百貨店。思い出にふけるのはさておき。
黒背景と白背景の天使、何か微妙に違いますね。
背景色の違いで、そう見えるのかな。それとも、印刷手段の違いか、経年劣化のせいかと、最初は悩んだけれど、やはり最初からちゃんと色の調整してるっぽい。解像度というか、輪郭や色の境目のクッキリ感が違うのも、故意にやっている事なのかな? 紙の質の違い? でも紙質の違いなら、紙を選択する際に意図してやってる事だなあ。
なにより寒気がしたのは、原画とポスターとカレンダーで、絵の角度が微妙に違う……なんとなく分かりますか?
真ん中の白背景のポスターのみ、反時計回りに、10度か15度くらい回転してるんです。
この細かい調整によって、白背景のポスターの天使は、元気に上に向かっていくような、黒背景のカレンダーの天使は、うつむいて静かに寛いでいるみたいな、そんな印象を与える事に成功しています。
おそろしく細かい工夫。オレでなきゃ見逃しちゃうね。
……ちょっと長くなったのでここで一旦切ります。
続きが書けたら、またTwitterにて報告いたします。
10月31日追記
続き書けました。
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