豊田市民芸館『或る賞鑑家の眼・大久保裕司の蒐集品』補遺
以前、三回も長々と書いた『或る賞鑑家の眼・大久保裕司の蒐集品』について。二十三日で終了ですが、いくつか書き損ねた事を拾っておこうかと。
第二民芸館の展示。
第一民芸館よりも広々とした展示スペースで、ちょっと変わった展示の仕方をしていました。
花を活けてみせた写真の展示。
材質はよく分からない。竹や藤蔓にしては柔らかそう。上から塗られているのも、渋か漆か。まるで自然に煤けたみたいに、籠の目をハッキリ見せながら、ふわりと色づいている。
少なくとも竹やら漆やら、コストのかかる素材や細工はないだろうなあ。おそらくは、生活の中で使い古される雑器。
それほど大切に扱われるものではない。
これを省みる想いは、野の花一輪ほど。
故事「黄粱一炊の夢」に出てくる「邯鄲の枕」というのは、陶器でできた枕で、その横に空いた穴が、夢の世界の入り口だったという話を、さてどこで聞いたやら。
陶器でできた枕というのは、昔はそれほど珍しくない。昔の人は髷を結っていたので、頭を高く持ち上げたままにできる固い枕を使っていたとか。木製も多かった。時代劇で殿様が使ってるみたいなヤツ。
それにしても小さい? 握りこぶしを倍に膨らませた程度。片手で握れるほどの大きさ。人が寝る用じゃなくて、何かを乗せるモノ、という意味での枕なのかな。表面がゴツゴツで痛そうだし。
だけど、その岩みたいな造形が、生けられた草花の、細くてしなやかな様子、みずみずしさを引き立てる。
小壺は口が欠けているし、偏壺は足がなくて、横に転がってしまう。何に使われていたのかな、と考える以前に、使いようが無かったのかなあ、と思ってしまう。
だけど、小壺の飴釉が煮えたような景色は、大物の茶壷にも匹敵する面白さだし、偏壺の白磁釉も、下地の赤をソバカスのように透かして可愛らしい。
写真とはいえ、展示品を実際に使って見せる、それも本来とは違うやり方で使った姿を見せるなんて展示方法は、初めて見たかもしれない。
京都現代美術館『何必館』でそんな展示があったけど、それは写真じゃなくて現物で、魯山人の花入に花を生け、水盤に水を張るという、本来の使い方をして見せてくれていた。
まるで部屋にいるような展示。
ここにも魯山人はあった。あの人のモノは、とにかく数があるから、どこで出くわすか分からんな。眼鏡はさすがに初見だけど……なぜここに? 大久保氏は名のある蒐集家だということだから、知己であってもおかしくないけど。
こんな風に盆で置かれると、今にも当人が現れるかのよう。
使われていた時の置かれ方で、ケースの中を、部屋の片隅のように見せる展示をしている。
本当は、和室に並べて見せたかったんだろうなあ。
ケースの床に畳を、後ろの壁に障子や砂壁を想像しながら、ゆっくりと歩いた。
普通の展示ケースらしい展示もある。なんといっても、数が多い。茶碗は水屋があれば、もっとそれらしかったかな。
どれにも、どこの誰がいつ作った、なんて説明は一切ない。それでいい。むしろ最低限のキャプションもいらないから、自分の実家の食器棚を覗くような気分で見るのが、彼らには正しい鑑賞法じゃないかと思われる。
これ親父の茶碗、これは爺ちゃんの、こっちは母の湯飲み、なんて思いながら。
こんな風に置かれちゃうともう、食卓だか展示室だか分からない。徳利の横に肴の皿がないのが不思議。ふりだしの横に薬味の豆皿、箸と箸置きがあれば完璧。そしてキャプションはいらない。
とりあえず一杯いただこうか、なんて心持なのに、白い札は水をさす。
すぐそばにお皿がありました、目跡が残るのは雑器数モノの印。それでも欠けたところを金継ぎされ、大切に使い続けられてきた様子。厚手で丈夫一辺倒、こういうのを五郎八茶碗とか、くらわんか碗とか言うのかな。ちょっと違うかも。
だけど、落語「たらちね」のアレなのは間違いない。
「ザークザクのバーリバリのガーラガラ」だ。
それなりに価値がありげな骨董も。
そういう雑器ばかりではなく、骨董らしい骨董もある。
特に肖像は名のある絵師のもので、ちょっとビックリしたけれど、誰のだったか、メモを失くして分からなくなった。
でも、たぶんこの絵師さんも、大久保氏も許してくれそう。なかなか価値がありそうな骨董なんだけど、そんな気やすい雰囲気で、雑器と並べられて、むしろニコニコ喜んでいそうなモノばかりなのでした。
古物と暮らす大久保氏。
入って奥、展示室の入り口の横にしつらえられた、大久保氏の居室の再現。
なんとも地味というか、ごく普通の昔の畳の居間って感じ。
什器や家具も当たり前のような顔をしている。
別に、名のある作家の作品でもない。ポットなんかブリキである。電気スタンドも渋い……なんといえばいいのか、大正時代の文豪でも座っていそうな座卓とか。
全部、骨董……というほどの美術的な価値はないから、古物と言った方がいいのかな?
見知らぬ人が大切に使ってきた物たちで、自分の居場所を、自分のスタイルに組み上げる。その感性。
それは大久保氏、唯一無二のもの……?
いや、そうではない。
落語から知る、古物との生活。
さて先日、KADOKAWAダ・ヴィンチWebに連載されている、儒烏風亭らでんさんの記事が更新されました。内容は、落語『火炎太鼓』について。主人公は古道具屋です。
古物を扱う商いをネタにした落語は他にもあって、そのものズバリの『道具屋』をはじめ『井戸の茶碗』『応挙の幽霊』など。
思うに、昔は暮らしに使う様々のモノは大切に扱い、不要になっても人に譲るなりして、滅多に捨てる事などなかったわけです。捨てる事がないならば、新しいものを仕立てるのも滅多になく、古物で自分の暮らしを賄っておりました。
それが当たり前だった。
そんな時代には誰もが、多少なりとも大久保氏のような眼を持っていたのではないか。
むしろそれが、自分と暮らしを共にする様々なモノたちと、自然な付き合い方だったのではないか。
つい先ほどまで、お茶の缶だの茶托だのを見て、なんでこんなものまで取っておいたのかと、首をかしげていた自分を、今さらながら恥ずかしく感じるのでした。
大久保氏ほどは無理としても、落語の人々くらいには、身の回りのモノに向ける眼を変えていきたい。それができれば、大久保氏の残したものを、少しでも受け継ぐことになるのでしょう。
……最近、ドンドン記事が長くなるので、今回は頑張って短くしてみました。これからもっと読みやすく書けるよう、精進いたしますので、よろしければ、このnoteや、Twitterのフォローなど、宜しくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?