【霊能探偵怪奇譚】空っぽになる少女・4
白い光が消え、ミタマと瀬織の意識が現実世界に戻ってきた。二人は同時に目を開けた。
「うっ...」
瀬織が小さくうめいた。
『大丈夫か?』
ミタマが心配そうに尋ねる。
瀬織がゆっくりと周りを見回すと、そこは元いた場所、あの家の廊下だった。暗い廊下を、窓から差し込む月明かりが青白く照らしていた。
「大丈夫。ちょっと頭がぼんやりしてるだけ」
瀬織は弱々しく微笑む。
『よかった...本当に心配したぞ』
ミタマの声には明らかな安堵の色が伺えた。
『無事連れ戻せたようね』
泪もホッとした声をあげ、しかしさらに続けた。
『でもまだ終わりじゃない』
ハッとして階段の方へ目を向けると、着物の女性がこちらをじっと見ている。
先ほどまで見ていた女性の記憶が、彼女の瞳に宿るものが怨みだけではないと教えてくれた。
瀬織は女性を見据え、ゆっくりと立ち上がろうとした。しかし足に力が入らず、ふらりと膝から崩れ落ちそうになる。
ミタマと泪が慌てて支えようと瀬織に駆け寄った。泪は瀬織の身体に触れた瞬間、大きく美しい水色の狐のような姿になった。
『この姿は消耗が激しいから少ししかなれないけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないからね』
気にしないで、と小声で泪がそう囁いた。一瞬面食らったミタマだったが、すぐに切り替えて瀬織に声をかける。
『大丈夫か?』
「う、うん……ちょっと体が重くて」
瀬織は弱々しく答えた。
その時、水気を帯びた足音が聞こえた。
着物の女性がこちらに向かって歩みを進め始めたのか。ゆっくりと近付くその表情は先ほどよりも歪んでいて、青白い肌が月明かりに照らされて不気味に光っていた。
『まずいぞ!』
ミタマが叫んだ。
『瀬織、今は逃げるしかない!』
瀬織も状況を理解し、必死に後退ろうとするが、うまく足が動かない。
『泪!みんな!』
ミタマが叫ぶと、本来の大きさを取り戻した管狐達4体が瀬織と女性の間に集まる。紅い管狐だけが小さいまま、ふよふよと瀬織に近付いていった。
『ここは任せなさい!』
泪の声が響く。
『でも、これは一時的なもの。私達管狐は5体が完全に揃っていないと本領を発揮できないの……。だから、早く逃げて!』
『済まない……』
紅い管狐から、小さく謝罪の声がした。若い男性のような声だった。
『いいんだ、焔。意識の中にいるオレ達を守ってくれたんだろ?……とにかく今は逃げるから、それまで頼む……』
ミタマはそう言うと、なんとか瀬織を支えて歩かせようとする。瀬織も少しずつ足を動かせるようになってきた。泪達に守られながら、瀬織はよろよろと後退りしながら玄関へと向かった。
着物の女性は、ゆっくりと近づいてくる。じわり、じわりと濡れた足を進める。
その瞳は瀬織を捉えて離さず、口元からは聞き取れないつぶやきが漏れていた。
歩みが遅いのは、泪達のお陰なのだろう。
長くは保たないと言っていた泪を気にしつつ、ミタマは瀬織を支えた。
やっとの思いで玄関に辿り着き、扉を開けようとドアノブに手をかけた瞬間、瀬織はすぐ背後にしっとりとした冷気を感じ、思わず振り返った。
女性の姿が目の前にあった。
何かを瀬織に告げる。
瀬織は喉の奥で小さく悲鳴を上げ、ミタマはそんな瀬織の前に立ちはだかった。
女性の背後から、泪達が小さい姿でこちらに駆けつけようとしているのが見えた。
到底間に合わない。
(泪達が来るまで待てない……。オレが……オレが瀬織を守らないと!!)
その一心で、ミタマは全身全霊叫んだ。
『くるな!!』
ミタマの叫びと共に、彼の体から青白い光が放たれ、少しだけ女性の姿を押し戻した。
青白い光は女性を包み、拘束している。
その隙に、瀬織は玄関を開け、外へと飛び出した。
夏の夜の湿気を帯びた熱気が、冷えていた彼女の頬を撫でる。
少し離れてから振り返ると、開け放たれた玄関の中には青白い光が満ちていて、着物の女性はその光に包まれていた。
女性を包んだ光はしばらく青白く光っていたが、やがてそれが薄れ完全に消えると、女性の姿が顕になった。
しかし、外に出てくる様子はない。ただじっと、こちらを見つめていた。
『大丈夫か?』
ミタマが心配そうに尋ねる。
「うん...なんとか」
瀬織は息を整えながら答え、続けた。
「あの人、自分では家から出られないみたいだね」
『ん?どういうことだ?』
「あの人、さっき私にこう言ったの。『やっと出られる』って」
瀬織に何か告げたのはそれだったのか。
『つまり女性は、瀬織を乗っ取り外へ出ようとしていた……ってことか?そのために意識ごと取り込んで?』
沈黙が流れる。
あの記憶を見せて、瀬織を捉え、体を使おうとしていたと考えると、ミタマは震えが止まらなかった。
『と・に・か・く!今は退散よ!温かいものでも飲んで、少し考えましょ』
泪の明るい声を聞いて、ようやく瀬織とミタマは緊張を解いた。
「そうだね……。近くのファミレスで何か飲みましょ。ついでに何か食べたい……」
きゅるりとお腹が鳴り、瀬織は恥ずかしそうに言った。
泪を残して他の管狐は瀬織の腰元にある竹筒にそれぞれ帰っていった。
瀬織、ミタマ、泪は近くのファミレスを目指し歩き始めた。
ファミレスに入り、瀬織は温かいココアとサンドイッチを注文した。ミタマと泪のために、ココアを2つ多く頼んだ為、店員からは少し不思議そうな顔をされてしまったが。
3人はココアでゆっくりと体を温めながら、これからについて話し始めた。
『あの女性、ただの怨霊じゃないような気がしたんだ』
ポツリと呟くミタマに、瀬織は驚いて顔を上げた。
「どういうこと?」
『あの女性の目……オレには怨みだけじゃなくて、深い悲しみと……何か訴えかけるようなものを感じたんだ』
瀬織は黙って考え込んだ。確かに、女性の目に何かを感じていた。怨念と悲しみだけではない、何か切実なメッセージがあるような……。
「あの女性……もしかして、私たちに何かを伝えようとしているんじゃないかな?意識を取り込んで、私を使って家から出るためだけなら、もっと酷い手が使えるのに。襲いかかって怪我をさせるようなこと、しなかったから……。だから……」
思い返せばあの女性は近付いて来るだけで手出しはしていなかった。
瀬織の言葉に同調し、泪は言った。
『アンタ達が意識の中で彼女と対峙してた時、アタシ達は外であの女と向かい合っていたけど、直接何かして来ることはなかったわね。邪魔されたくないって感じの圧は凄かったから、焔が消耗しちゃったけど、怪我はしてないわね……』
さらに考えるように俯き、瀬織は言った。
「もし私達がこのまま逃げ出してしまったら、彼女はずっとあの家に囚われたままになってしまう……私は……あの人を助けたい」
『そんな!確かに襲うようなこと、やってなかったけど……でも危険すぎる!また意識を取り込まれたら、今度こそ瀬織、お前が空っぽになって消えてしまう』
「わかってる。でも……」
瀬織は窓の外に目を向けた。夜明け前の空には、まだキラキラと星が輝いていた。
「私達にしか、彼女を救えないんじゃないかな」
ミタマは黙って瀬織を見つめていた。彼女の決意が固いことは分かっている。
いつだってそうだった。
優しさに加えて、一度決めたことを曲げない強さ。瀬織のいいところだと、ミタマは知っていた。
『……はぁ……分かったよ』
ミタマはため息をつき、笑いながら言った。
『瀬織のそういうとこ、オレ好きだし。それをサポートしてこそパートナーだしな!でも、今すぐってわけにはいかないぞ。お前の体も回復させないといけないし、もっと準備が必要だ』
瀬織は頷いた。
「うん、そうだね。ちゃんと準備しよう」
テーブルに届いたサンドイッチを手に取り、美味しそうに頬張る瀬織。
それを見ながら泪は記憶を辿っていた。
『あの家に行った理由は、あの依頼のせいよね?確か、1週間くらい前の』
「うん、そうだよ。あれは確か」
梅雨明けしたての暑い日。
一通のメールが届いた。そのメールは『必要としている人にしか見えないホームページ』に届いて、内容はこんな感じだった。
2週間ほど前から2階の廊下で足音が聞こえるようになった。
水に濡れたようなペタペタとした足音で、歩く距離が日毎に伸びていて、数日前から階段を降り始めた。
数段降りると消えるから、実害はないのだが気持ち悪い。
『ふぅん……これは依頼主にもう少し話を聞きたいわね。何がきっかけで足音が聞こえ始めたのか、なぜあんなに活性化が早かったのか、ちゃんと調べないと』
泪の言葉にミタマも頷いた。
本来霊は臆病で、調査初日に何かがあることは稀だった。心霊現象がよく起こる場所に調査に行っても何も起こらない、なんてことはよくあること。そう思っていたから、急激な反応に瀬織も驚いたのだった。
「今まで貰った資料には、どこかに旅行してきた後から始まったとあるから、その旅行に何かあるかもしれないね。朝一番に連絡してみるよ」
『よし!まずは情報収集だ!オレ達なら出来る。あの人、助けようぜ』
悲しい想いを秘めた女性。
彼女を助けるという決意を胸に、瀬織達は調査を開始するのだった。