オトナになるということー「成人式」にplentyを思い出す
三連休が終わりました。世の中は成人式の話題で溢れていましたね。
晴れ姿と新成人の決意に溢れるニュースを見つめながら、「オトナ」になるということに対して何んとなーく想いを馳せていると、或るバンドのことを思い出しました。
2年前に解散しましたが、plentyです。
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plentyは僕と同じ年のバンドでした。今でこそ、フォーリミ、ワンオク、WANIMA、ビーバー……僕と同じ年のバンドはとても活躍してますが、ワンオク以外がシーンの中心に出てきたのはここ数年の話。plentyは僕が19~20歳に頃にはもう既にシーンにいました。CDJに出てから、沸々と名前を聴くようになりました。たぶん上京した時期も僕と同じ頃。
自分と同じ年のミュージシャンの活躍は当時まだ真新しくて。だからこそ、とても応援していました。
そして、「応援している」バンドが「好きなバンド」になったきっかけを明確に覚えていて。僕が社会人になったのは2012年春。その直前に或る作品がリリースされました。
このアルバムは、結果的にplentyの作品としては金字塔となる作品となりました。plentyらしさの詰まった「人が人として生きる」言葉の数々と、キャリア史上、明らかに最高のメロディのフックが全体に散りばめられています。つまり、とっても聴きやすい作品です。
この作品は前述したように、僕が社会人になる直前にリリースされました。大学生という、人生史上最高のモラトリアムと青春を投げ捨て、スーツを身に纏う前。悪あがきで鎖骨まで伸びた髪の毛はまだ伸びたままーー現実を否が応でも見据えつつある頃にこのアルバムを聴いて、なんだかとても嬉しかったことを憶えています。なんだか肩をポンポンと叩いてもらった気がするからです。
「そんな急に変われるもんじゃないないよね」って。
この作品を産んだplentyの江沼さん自身にも変化が表れていました。ただひたすらにモラトリアムを垂れ流していただけだった彼も、きっと周囲の変化(≒社会人となる友人達の変化)の中で、そのリアルに対して、自分自身を問うことが増えた。そのリアルを否定することも、自分自身を否定することもできないという狭間で、彼は代表曲を産み落としました。
蒼き日の少年が追いかけてた
「僕だけの世界」に果ては無い、果ては無いだろ
何処でも行けると信じてたなら
何処にも行けないはずはない
朝が来るまでは僕だけが正義。
蒼き日々だけが続いてゆく
今更何を怖がる?
独りきりでもいいだろう
僕自身の話をします。
僕は、就職活動が自分の中では思うようには上手くいかず、ただ「世間的に言うと良い」会社に入社することが決まっていました。要するに、希望していない業界の企業に内定をいただいていたのです。
「贅沢言うな!」なんて声もある中でモヤモヤを抱えていた頃、この曲を聴きました。ミュージックビデオで夜中イヤフォンをして散歩をする江沼さんの姿も、上記のように綴られた歌詞も、そして殴りつけるようなギターストロークも、すべてが鬱屈した気持ちに響いてきました。
ーー別にこれから先、自分の世界は諦めなきゃいけないものでもないし、夜中にその想いに馳せる事なんて、これからも自由だよな。
そんなふうに、思えました。
僕は社会人になりました。音楽を好きになり、音楽をメディアを通して伝える立場ーーその中でも音楽雑誌でのライターを目指していた僕は、結局大学を出てシステムエンジニアになりました。でも僕はその後、或る音楽雑誌を出版している会社に転職し、そこを辞め、違うメディアに入ってもまだ音楽に携わっていて、文章を書いています。
なんでも最初の段階で、上手くいかない人っていっぱいいると思うんです。僕もそう。高校もドロップアウト寸前だったし、大学も最初落ちたし、最初の就活はうまくいきませんでした。でも気づけば、まだまだ目指していた姿ではないけど、少しずつ当時の想像に近づいてきている自分がいます。
オトナになることって、きっと「諦める」ことではないと思っていて。オトナの条件は、「社会に対しての責任を負う」こと。その中で、自分の大切なものを自分の責任の中で大事にできる人。それが「カッコいい」オトナなんじゃないかなって思います。
「成人式」という、ある種「オトナ」という称号を得る日。そんな話題を見つめながら、こんなことを考えていました。
いつか「カッコいい」オトナになれるように、僕の“蒼き日々”はまだ終わってません。終わらせないために、進んでいたい。2019年が始まって2週間、そう改めて思いました。
あなたが望みさえすれば、あなたにとってもきっとそう。それではまた。
黒澤圭介
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plentyお気に入りの曲達です