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おばあちゃんへの手紙 14-8


「だからママは、
ママのお母さんの分まで、
佳乃たちのママをしてくれるんだって。
とっても優しいんだよ。」

佳乃は愛の腕を掴んでいった。

愛はもう嗚咽をもらしながら
手で顔を覆っていた。


辺りはセミの鳴き声が真っ盛りな夏本番、
私の眼からもとうとう塩辛い汗が
流れてきたようだ。


「そうだったんですか…。」

有木さんは優しい眼差しで、
私たち夫婦を
静寂の中、しばし包み込んでくれていた。


ここでは裸のままでいていいような、
そんな安心感に包まれていた。


「止まない雨はない。明けない夜はない。」

有木さんの優しさに満ちた言葉が
積み上げられていく。

「今こうして、
ご夫婦と可愛らしいお子さんたちとで
家族遍路の道を歩いておられる。
ただ歩くことは誰でも出来る。
でも、それを幸せと深く深く噛み締めて
味わい尽くすことが出来るのは、
その苦難を乗り越えてこられた
というあなたの心があるからですよ。」


淡々とした口調で優しく放たれたその言葉は、
どこまでも含蓄に富み、
慈悲深いものであった。


有木さんはニコリと笑うと
子供たちの白札3枚を掲げ、
「私も大切にしますよ、この納め札を…」
と言って一礼し、
ゆっくりと背を向け杖をついた。

「チャリン」と1つ
年季の入った金剛杖の鈴の音が鳴ると、
「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛…」
と唱えながら有木さんは
もう振り返ることもなく、歩き出した。



不思議なものだ。


ほんの一時ではあるが、
人はこうして繋がるだけで力を得ることがある。

繋がっているという事実が、
その結び目そのものが、喜びであり、
次の一歩への勇気をくれる。


たった1人では
未熟で不安で孤独でも、
自分にあるその縁という結び目を
強く締め直すだけで、
にわかに歩むべき道筋が見えてくる。


理屈も理論もその動機すらも、
みんな後からついてくるような
後付けのものだと腑に落ちる。

愛も自分の身に降りかかった不幸を、
多くの結び目を大切にし、確認し、
締め直すことによって乗り越えてきた。


私が亡くなった者たちに振り向きもしない頃、
愛は幼いながら
せっせと母のお墓参りに1人でいっていたようだ。


たとえお母さんはいなくても、
お母さんとの結び目は、
繋がりは、そこにちゃんとあるのだから。

人は、その繋がっている
という結び目で強くなれる。

結び目は、結び目ゆえにどうしても
放っておくと弛んでしまう。


だから時折締め直す必要がある。


私たち夫婦も、そして家族も、
こうしたお遍路という機会を使って、
その絆を締め直しているのであろう。

ふと細君を返りみれば、
涙顔ではあるが、微笑んでいた。


まこと、細君の笑顔は私の活力である。


細君がしばしば
私の苦難の時に私を支えてくれるように、
私はこれからも、
ただただ細君の手を引いて歩めばよい。


遠ざかる有木さんの背中に書かれた
「南無大師遍照金剛」を見つめながら、
愛が囁いた。

「癌のおばあさんを看取ったという青年の話、
愛は有木さん自身の話なんだね。きっと…」


「うん、そうだね。」
私は小さく頷きながら
遠ざかる「南無大師遍照金剛」に向かって
合掌した。


「当たり前じゃない…」
有木さんの言葉をつぶやく。


こうしてこの霊場を巡ることはもちろん…
子供たちと一緒にいられることや
愛と夫婦であることも、

いわんや、ここで杖をつき地を踏み締め、
穏やかに呼吸をし、鼓動が脈打つことすらも、
きっと当たり前ではないのだろう。



ただそれが幸福という刹那の奇跡だと、
気づけるかどうか、それだけだ。



細君がハンカチで涙を拭いて私を見上げた。

「私たちも行きましょう、パパさん」
細君が笑った。


まこと、細君の笑顔は大輪の花である。


かけがえのない花が咲いた。

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