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おばあちゃんへの手紙10


翌年も夏休みを利用してお遍路の旅に出かけた。


日数にしておよそ五日間ほど、
ようやく作り出せた時間だ。


家族全員の予定を合わせるのは難しい。

それでもまだ、
三人の子供が小さいので融通が効きやすい。

佳乃が小学三年生、勇一が今年より小学一年生、
勇作が三歳。


八十八カ所の札所を
一度に全部回ることを「通し打ち」といい、
何カ所か小分けにして打つことを「区切り打ち」という。


また、徳島(阿波)・高知(土佐)・愛媛(伊予)・香川(讃岐)の
一県(一国)ずつ回って打つことを「一国打ち」という。


仕事や学校などで
まとまった時間が取れないという人は、
区切り打ちをする人が多い。


私たち家族はその「一国打ち」を目標にしている。


去年徳島(阿波)を終わらせた私たち家族、
今年の次なる一国は高知(土佐)だ。


私は坂本龍馬の大ファンであるため、
土佐はとても楽しみな一国なのである。


一日を有効に使いたいがため、
大変だったが、東京から四国までの移動を
夜中に行うこととし、
早朝には四国に着くように出発した。


徹夜の運転は少々堪えたが、
しかしやる気がそれを上回っており、
難なく日の出前には高知県の室戸岬に到着した。


「着いたよ。もうすぐ日の出だから海の方へ行ってみよう。」


我が細君をはじめ、ぐっすりと眠っていた子供たちは
各々に伸びをしたり、うめき声をあげたり、
己の覚醒のため勤め始めた。


まだ薄暗い中、家族は車を降りて岬へと向かう。

波の音が静かに聞こえてくる。

岬は土佐湾に突出した特異な地形で、
ゴツゴツとした岩場と遊歩道が
海に突き出している感じだ。


まだ暗くてよくわからないが、
音と香りで目の前が海だということがわかる。

海からの風が頬を打つ。
まさに太平洋に向かって飛び出したこの岬は、
ほぼ360°何の障害物もないまま、
縦横無尽に風がやってきて吹きつける。

遠い暗闇に目を凝らす。
海しかない世界の闇は漆黒そのものだった。


誰も何も言わず、ただ静かに夜明けを待っていた。


すると、遠く彼方に
ふわりと柔らかな色彩が広がった。

初めは小さなオレンジ色の点が
闇の中心にポツリと現れた、ただそれだけだった。

しかしそれは瞬く間に横一線に光のラインを放ち、
海と空とを切り分けた。

続いて一条の光が海上を駆け抜け、
まっしぐらに我々の身体を貫いた。


日の出だ。


即座に照らされたところが温もってくる。

自分の背の高さと同じ位置、同じ目線の朝日は、
とても親しげで少しはにかむように、
徐々にその全貌を現してくれる。

こちらも待ち焦がれた
友との再会に胸躍らせるような高揚感に包まれた。

濃いオレンジ色のビームが四方に照射され、
うっすらとした空の黒さが、
みるみると青さへと変貌し、
海の波の一つ一つがきらめきと影を作って姿を現わす。

きらきら、きらきらと、
まばゆいばかりに水面を乱反射し、
我々の顔を下から照らし返した。


日中、太陽が上空にある時は、
それが動いているなどと実感することは
なかなか難しいものだが、

日の出の朝日は、水平線がその位置を教え、
自身の光の色が緋色のスカーレットから
オレンジ、黄色へとみるみる変化することも手伝って、
紛れもなく動いていると実感することができる。


実際は地球の自転によるところなのだが、
それでも万物一切は
絶ゆることなく動き続けていくのだと、
進み続けなくてはならないのだと、
悠々と昇る太陽が眩しく諭してくれる。


私はふと傍らの妻と子供達に目を向けた。


朝日に照らされた家族は、
朝焼けのスカーレットに染められて、
まるでおばあちゃんの夢で見た
あの台所の裸電球が灯るオレンジ色の情景を
思い出させた。

私にとって安堵の光だ。

朱からオレンジへと
色を移すその光に包まれた家族は、海風に吹かれ、
一番幼い勇作ですら、みんな凛々しく見えた。

大海原を見据えて朝日に向かって立つその姿は、
どんな困難でも否定せず、受け入れ、
自分の中に取り込んで、友人のように自分の力に変えて、
多事多難なよの大海原を漕ぎ進んで行ってくれる、
そんな逞しさを感じさせてくれた。



「見事な日の出だね。言葉にならない…」

我が細君、愛に、
ため息交じりにそう呟くと、
愛はにっこり微笑んで頷き返した。

そのささやかな一動作が温かい。

朝の空気が芯まで澄み渡っていて、
光が物凄い純度で輝いている。


まさに至福の時間だった。



私はうっとりしながら、
なかば陶然と子供達に説明を始めた。

「この室戸岬は、
お大師様がまだ無名の青年だった頃、
荒磯修行に来た場所なんだ。」


「じゃあ、この綺麗な朝日を、お大師様も見たのかなぁ。」
と佳乃が感慨深げに呟いた。

「うん、きっとみんなと同じように
感動しながら手を合わせていただろうね。」

「ということは、
今、僕は夢中になって朝日と一つになっていたんだけど、
お大師様とも同じ気持ちになっていたってこと。」
勇一が目を細めて問いかけてきた。

「そうだね。一つになることは時も越えるんだね。」

「やっぱり、おじいちゃんが言っていたように、
時間の関係ない世界なんだね。」

それを受けて佳乃が答える。
「それにそれは、とっても静かな世界だった。
静かで落ち着いていてただ光が満ちている感じ。
それだけでいいって思えた。」

「佳乃も段々と何かを掴んできたみだいだね。」

「だって一番目のお寺の和尚様が教えてくれたもん。
自分の静かな心を拠り所としなさいって。
静まった心で周りと一つになるんだよって。」

「なるほど、ちゃんと実践したんだね。」


私が答えると、
それまで足元にいた勇作が突然一歩前に進み出て、
合掌しながら得意の宝号を唱え始めた。

「南無大師遍照金剛!南無大師遍照金剛!」

これには思わず、家族皆が吹き出した。

「勇作もちゃんと実践しているんだもんね。」

愛が笑いながら勇作の頭を撫でると、
誇らしげに胸を張った勇作がVサインならぬ、
三本指を立てて、”スリーピース”を突き出した。

なるほど、今年から勇作も3歳。
一味違うぞのアピールなのだった。

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