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2人の悪魔 #21⚠️

氷に触れる


⚠️若干の他殺表現を含みます



俺ってハーゲルのこと好き、らしい。

らしい、というのはフェニが「誰かを好きになる、気に入った特定の人物がいる」という状態を今まで経験したことがなかったためでもある。実例がなにぶん現在の地点しかないのだ。
ただ、あの男に名前を呼ばれて喉をくすぐられたり、エラを逆撫でされたり、頭を撫でられたりすると途端に甘えたくなってしまって仕方なくなってしまう。もっと言えば、この身の内を全てあの男に暴かれたいとさえ感じてしまう。ここだけを切り取れば中々情熱的だとも評されそうなものだが、あの男の普段の行いを考えるとそう素直に肯定するわけにはいかなくなる。

あるときは冬の川底に沈められたり。
あるときは雪崩に押し潰させられたり。
あるときはツノを折られるのではというくらいの力で乱暴に扱われたり。
またあるときは容赦なく背後から足蹴にされたりもしている。

けして愛情深く接しているわけではないな…と恋愛関係について詳しくない己でも冷静に判断できる。だが、時折見せる優しさに完全に呑まれてしまっているのだ。ハーゲルは飴と鞭の使い方が非常にうまい上に、鞭の中に微妙に練り込まれた飴がフェニに異常に効きすぎる。それゆえに、フェニはハーゲルの言うことを何でも聞いてしまっているのではないかと考えた。

「ま、でも俺ってそもそもあいつのモンだし……」
「なにごちゃごちゃ考えてやがる、出入りの邪魔だからどいてろ」

どいていろ、と言いながら容赦なく外へ背を蹴り出すのだから足癖の悪さに関しては誰が何と言おうと一番だと胸を張って言える。胸を張って言うことではないが。

「う……むぐ……」
「考え事するには頭も冷えてやりやすいんじゃねえのか?花を冷やすから暫くそこで転がってろ。作業が終わり次第呼んでやる」

はーやれやれ忙しい忙しい、と男はこちらを振り返ることもなく雪窟の中へ戻って行ってしまう。口の中に大量に入った雪をぺっぺと吐き出しながら「クソが…」と呟いてしまうも、かなりの距離を転ばされたためか、ハーゲルが穴から顔を出すことはなかった。

好きなやつ、というのが特定の気に入った相手を指すなら、フェニはあまり真っ正直に認めたくはないものの、ハーゲル相手にそう感じているのは間違いない。なにせ顔が元々好みなので。ではあの男はどう思っているのだろうか?可愛い、いい子と愛でられているのは否定しようがないが、あの男から直接好きだのなんだのは言われたことがない。それがなんとなく嫌だなと思った。

「……あいつ、好きなやつ俺以外に居んのかな」

口に出してから、その可能性を考えてしまってぷるぷるとかぶりを振った。あの面倒くさがりのことだ、特に気を引くようなものがあればそれが自らやってくるように仕向けているはず。フェニはかなりの頻度でハーゲルのもとを訪れているが、今のところ自分の力目当てにノコノコやってくる雑魚悪魔以外は来訪者の気配はない。第一、ハーゲルはかなりはっきりした性格をしているし、飽きたら飽きたと言うだろう。だから来るなと言わない内は心配すること自体が野暮かもしれない、とフェニは己を納得させた。

「さて…邪魔すると逆鱗に触れそうだし…何するかね」

伸びをしながらうーん、と頭をひねる。そしてそういえば、とこの前ハーゲルに連れられて赴いた彼の故郷の様子でも見に行ってみるかと雪山を麓に向かって降りていった。

湖畔はいつも通りしんとして静まり返っており、心なしか空気が透き通っているように感じられた。ハーゲル曰く、フェニには僅かに精気を感知する感性が備わっているらしく、それが関係しているのかもと思った。木々や水には触れないようにし、何か変わったことはないだろうかときょろきょろと周りを見渡すと、枯れた木々の向こうに微かに動く影を見つける。大きさをみるに、おそらく人間だろうと当たりをつける。面倒が多いからあまり人には近づくなとルキフェルには言われたことがあるが、この場所に人間を寄せ付けるなとハーゲルにきつく言い渡されているのもあり、人影が揺れた方へ少し早足で向かっていった。

「…子ども?」

フェニの姿を見たからか、怯えた顔でへなへなとその場に崩れ落ちて震えていたのは小さな子どもだった。手には桶のような物を持ち、それには僅かながらに水が入っている。その透き通る薄青は紛れもなくあの湖畔のものだった。汲んだそばから煌めきが損なわれていく、その煌めきこそが精気でもあるとハーゲルが以前話していたことが頭をよぎった。同じくらい、怒りに燃えるあの姿をも。

「ひ、ひっ……ばけもの…!」

殺さないでと泣きながら後ずさるも、すぐに近くの樹木に背が当たってしまう。目からも鼻からもありとあらゆる体液を流しながら怯える姿はフェニが力を奮ってきた悪魔たちと何ら変わらなかったが、初めて見るに近い人間の子どもに対してどうしていいかわからなかった。

「それは…あの湖から汲んだのか?」
「許して!ごめんなさい、お父さんにちょっとだけなら大丈夫って言われて、それで…!ごめんなさいもうしません、ごめんなさい…!!」
「それで許してもらえると思うな」

トス、と風を切りながら何かを貫く音がした。

「あ………ぅ……?ぇ……」
「じきに死ぬ、お前の父を恨め」

子の心臓から氷柱が生えていた。バキバキと次第に本数が増えていき、あっという間にそれは子の形をした氷像になった。

「砕け」
「え」
「今すぐ」
「わ、わかった」

有無を言わせずに淡々と話す男の言葉通りにたった数秒前まで言葉を話していた氷の塊に向かって拳を振り上げ、叩き壊した。氷塊は粉々に砕け、元の形など何もわからなくなった。

「……状態が良くなってきたと思ったらこれだ、世話ないな」

苛立ちが目に見えてわかる。先ほどまではそこまで機嫌が悪くなかったのが嘘みたいだった。だが、ハーゲルの生い立ちを知り、この土地のあらましを知ってしまった今ではその行いを糾弾できなくなっていた。

「これどうするんだ?まさかそのまま置いていくのか」
「これに同情でもしてるのか?それとも幼い子までも手にかける非情な奴だとでも?」
「違…、アンタの大事な場所に嫌なモン置いていっていいのかってことだよ…」
「……ああ、成程」

気を遣ってくれるのか、と男の声色に若干の変化が見られた。

「ここをもう少し下ると村がある。そこにこの空の桶と氷の残り滓を山にしておけば勝手に回収してくれるさ」

土に染みた水のあとに手をやり、「守ってやれなくてごめんな」と声をかける仕草は幼い子を慰める親のように見えた。

「ハーゲルは行かねえだろ。俺が代わりに行くから先戻ってろよ、それかもう少しこの場にいるか?それならそれで俺は勝手に戻るし」
「いい、好きにしろ」

いつからここへ来ていたのか聞こうと思っていたのだが、そんな猶予も与えてくれぬまま、薄青の男は姿を消してしまった。その場には、砕かれた氷の破片と桶だけが転がっている。フェニはしばらくそこへ立ち尽くしていたが、桶の中にかき集められるだけの氷を入れ、子どもが後ずさっていった方角へ向けてさらに下山していった。人間の濃い匂いが漂ってきた頃、奥の方に幾つもの家屋が見え出した。フェニはルキフェルのように人間に紛れる姿を練習していないため、己の姿がギリギリ隠れるくらいの場所に桶の中身をざらりと空け、その脇に桶を置いた。そうして人に気づかせるための火種を作るために、その辺の枯れ草を何本か束ねて耳元の炎で火をつける。それ燃え尽きるまでの間に民家の方へ向かって放り投げると、放られた草木は酸素を取り込んでカッと燃え、その場をたちまち炎で包み込んだ。その騒ぎに気づいて人々が民家から顔を出したのを見届けると、フェニはそっとその場を離れてハーゲルの元へと戻っていった。

「…ただいま、先に帰ってたのか」
「ここはお前の家じゃねえだろうが」

心なしか、言い返してくる声に覇気がない。それも当然かと声がする方に向かって雪窟の中へ足を進める。ハーゲルは入り口からでは見えづらい奥の方の部屋で、フェニに背を向ける形で椅子に座り込んでいた。

「大丈夫か…とは聞かねえけど。イライラしてんなら体動かすのくらいは付き合う」
「要らねえ、どっか行ってろ…」
「行かねえって、」

なあ、と回り込むようにして男の眼下へ座り込む。案の定、男は悲痛な面持ちで項垂れていた。

「……図々しく育ちやがって」
「アンタが俺をそうしたんだろ」

触れてもいいか、と伺いを立てると勝手にしろ、とぶっきらぼうな許しが返ってくる。恐る恐る手を伸ばし、男の冷たい肌へ熱を這わせる。その熱さにか、ハーゲルの眉間に少しばかり皺が寄った。

「アンタが世話してるんだからあの場所があれ以上穢れることなんてない、今日だってすぐに原因を無くしたじゃねえか。アンタの力なら敵討ちにきた奴だってすぐに返り討ちに出来ちまうんだからそんなに気落ちすることなんてないだろ。嫌なら全部壊して破壊し尽くしちまえばいい、いつだってそうしてきたんだろ」

なぁ、と再び声をかけると若草がぱちりと閉じる。

「…フェニ」
「なんだよ」

僕がいつもやってるの、できるか。
小さな声だった。呟くように吐き出された小さな言葉は今にも泣き出しそうにも思えて、ドッと血の気が引いた。今から己がすることは間違っていないだろうかとばくばくする鼓動に鎮まれと願いながら、フェニは立ち上がって少しだけ膝を折り、いつもハーゲルがフェニを『いい子』と宥める時のように、彼の額にそっと口付けを落とした。フェニがハーゲルの許しを貰った上とはいえ、これが初めてのフェニからの口付けだった。

「……ハハ、下手くそ」
「ばっ……!仕方ねえだろうが!慣れてないんだよ…!」

そうだろうな、と笑う男の声に少しだけ喜色が見える。己がしたことはどうやら間違っていなかったらしい。張り詰めていた緊張の糸がふつりと途切れ、そっと内心溜息をついた。

「こういうのもたまにはいいな、気分良い」

もっと上手くなれよ、とぽんぽんと背を叩かれ、改めて結構恥ずかしいことしたかもと頭を抱えたのである。


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