2人の悪魔 #19
赤に誓い、復讐に燃ゆ
ハーゲルが自発的にフェニを住処へ呼び寄せることは非常に稀であり、大体そういう時は用事を言いつけられることが多かった。だから今回も何か頼まれごとだと思っていたのだが。
「出かけるのか?俺は留守番しとけばいいのか?」
「馬鹿言うな、僕の持ち物になったんだったらお前もそのうち関わることになる。来い」
どこにいくだとか、何をしに行くだとか、聞きたいことは沢山あったが、フェニは大人しくハーゲルの後をついて行った。主人の足が止まったところは住処からそう遠くない開けた場所で、少しばかり寂しさの漂う湖であった。大きさはそこまで大きくはないが、人間たちが生活用水として使用するには十分なほどの大きさだろうかと思った。
「ここは本来の僕の住処だったところだ。今は昔の状態に戻すために精気を注ぎながら再生を促している最中だが…僕が精霊でなくなってしまったからか中々上手くはいっていないな」
「俺のことを見ると思い出すって言ってなかったか!?ここに…ハーゲルの大事なところなんだろ、俺なんか招き入れていいのかよ…!」
「それはそれ、これはこれだ。お前に言ったことも嘘じゃないが…八つ当たりだったのも確かだからな。己のことは己で始末をつけるさ」
ハーゲルが薄青の水面にそっと触れると、触れた先を支点にパキパキと硬い音を立てて凍っていく。それを見てため息をつき、差し込んでいた指を水面から離すと次第に元通りの波がさざめく状態へと紐解けていく。
「……先月よりはマシだな」
水際に咲いている微かな草木や花にふうっと息をかけると、微細な氷の破片にコーティングされていった。
「これで少しは精気の漏れ出る量がコントロールできる。今はとにかく、この地から精気が少しでも漏れ出るのを防がなくては」
せめて大樹が息を吹き返してくれればいいんだが、と自嘲めいた笑みを浮かべて木々の幹を撫でる姿はフェニが今まで見たハーゲルのどの面とも似つかなかった。
「それは?」
「この湖と直結していて…精気を多く含んでいた長生きの木だったんだが。愚かな人間達がこの地諸共殺してしまった」
まだ若い木々の精霊も皆死んでしまった、と溢す声は震えていて、強い悲しみと怒りを感じた。
「僕はあの一晩で仲間と主人と故郷を喪った。全てだ!全て…未来ある子供たちの人生まで…ああ憎い、憎い憎い憎い!この地に手を出した人間全てを根絶やしにするまで決して果てられぬ……!!!」
ゴォ、と強い憎悪と殺意がハーゲルの体から噴出する。自分がついぞ向けられたいと思って叶わなかったそれが、見たこともない人間へと向けられていることが悔しかった。
「はぁ…何が精霊信仰の村だ、精霊が治める土地を奪おうと考えるだなんてどんな罰当たりな奴なんだか…」
己が信ずる神に焼かれて殺されてしまえ、と笑みを浮かべる男に恐怖と同じくらいの羨望を抱いた。強者の悪魔を殺して回っていたフェニをいともあっけなくこてんぱんにするほどの力を持ち、それでいて余力をかなり残していたこの男が殺してやると誓うほどだ。この男がやると言ったら必ず確実にやる。それを心底知らしめられているからか、まだ見ぬ彼の戦闘に思いを馳せた。
「フェニ」
ハーゲルが振り返り、己を呼ぶ。その姿には先ほどまでの不穏な雰囲気は一切なく、フェニが知るいつもの男の姿であった。
「昔話をしてやる。一度しか言わないが、覚えていても忘れてもいい」
「……わかった」
フェニは物覚えが決してよいわけではなかったが、この男が語るであろう故郷の話は全て覚えていようと強く思った。男は淡々と話す。それが歴史書の一部であるかのように、鮮明に事細かく、情景が思い返されるくらいに。
*
昔々、冬を司る精霊がいました。精霊は自然に湧き出た泉を住処に、次第に仲間を増やしていきました。仲間が増えていくにつれて泉はどんどん大きくなり、ついには大きな湖になりました。精霊の宿る土地は自然豊かで木々の覆い茂る豊かな土地となり、人間たちの良い資源の場所として扱われるようになりました。
湖の側には村が二つありました。どちらも精霊を信仰しており、自然に巨大化して豊かになっていった湖には精霊がいるからと祀りあげて大層大事にしておりました。そして誰も立ち入ることのないよう取り決めをしていました。それが長年守られていましたが、人間たちの数が増え、元々村で確保していた資源だけでは村民たちを賄えなくなっていきました。そうして両方の村の総意のもと、少しだけなら恩恵を貰っても構わないだろうと取り決めが改められ、湖の敷地へ人間が立ち入るようになったのです。
木を一本切り倒すだけ、水を汲むだけ、そう言って何度も何度も人間が精霊の住処を食い荒らしていきました。木々を倒され木霊は儚く絶えていき、水から生まれる精霊たちは生活排水が混じった影響で成長する前に壊れてしまいました。そうして、みるみる湖は元の泉ほどの大きさに縮小していってしまいました。そんな姿になってしまってから、村同士は互いに罪を押し付け合いました。そして誰かが考えたのです。争いを生む土地を奪って仕舞えばいいのでは、と。そうして事件は起きました。投じられたのは一本の篝火。それを引き金に、全てが赤に染まってしまいました。仲間を失い乾燥して燃えやすくなった木々は容易く酸素を取り込みその身を赤に染め、幼い水霊達は炎から立ち上る熱に灼かれて泣きながら蒸発していきます。
湖に投じられた火は何故か消えることなく、一日中燃え続けました。仲間達が腕の中で泣きながら助けてと言う。熱いの、痛いよ、怖いよと言いながらその形を失っていく。ついに冬を司る大精霊と、氷や雹を司る精霊が残されました。大精霊は1人でも多く仲間を残すためにその力の殆どを使い切ってしまい、もう後がありませんでした。
「…そうして彼女は言った。『後を頼む、あなたに全てを託すから』と。『ただ一つの故郷を守れ』と。だがこの身はあまりの喪失感と人間への憎悪で悪に堕ちてしまった。彼女から引き継いだ全ての権能を持ったまま…この身体は不均衡な状態のまま生き続けている。だから僕は悪魔の身でありながら精気を摂取しなければ死んでしまうし、精霊の時の力がそのまま悪魔としての力に反映されている」
絶大な忠誠心は巨大な憎悪へ。
赦しの心は殺戮の意志へ。
変わらぬものと言えば、仲間を悼む心だけ。
「僕は…この場所に手を出した全ての人間を殺して殺し尽くして1人たりとも逃さずに息絶えさせたい。全てをなかったことにはできないのなら、せめてその存在だけでも無かったことにしたい」
「………まだ、復讐は続いてるんだろ」
「終わりがない。終わらないでくれと思っている、胎の子1人たりとも逃してやるものか、耳にこびりついて離れないんだ、あの子達の泣き声が………」
ぎゅうと男の眉間に深く皺が寄る。ここまで感情を露わにする彼を見たことがなく、同じくらい己の力では彼をこのラインに立たせることはできないのだと悟った。彼が殺意を向けることはない、その価値がないと言った時は強く憤慨したものだが、今ならその言葉に納得できる。『これは、超えられない』と。超えてはならないのだ、そもそも。
不眠症だとは聞いていたが、何度か寝床へ出入りするようになってそのうわごとを聞いてしまっては簡単に揶揄えなくなった。逝くな、まだ逝かないでくれ、憎い、殺してやる、足が灼ける、赤い、赤い、熱い……!ただでさえ真っ白な肌に大粒の脂汗をかいてうなされている姿はあまりにも痛々しかった。その度に川の水に浸した布を彼の額に乗せたり汗を拭ってやったりしていたのだが、一向に良くなる兆しが見えず、そのまま何日か泊まり込んでいることも増えた。
「僕の犬、僕の手足、お前には僕の復讐に死ぬまで付き合ってもらう」
「……好きに使えよ、お前が望むままに」
この男の苦しみが少しでも癒えるなら。
この男が苦しまずに眠れるようになるのなら。
いつまでも赤い悪夢に囚われずに生きて欲しくて。
…もし彼が悪夢から解き放たれたなら、己の目も真っ直ぐに見てくれるだろうかという淡い期待も抱きつつ。
「仲間のために…己のために。必ず元の美しい姿に戻してみせる」
その呟きは誰に聞かせるともなく、まるで騎士が宣誓をするかのような、そんな意志を感じるものだった。
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