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2人の悪魔 #2

そのナイフは恋と呼べない



この世の理の化身とも言うべき彼女は、毛並みを整えるかのように手足や耳元の羽を撫でていた。茶系と灰白、薄茶の柔らかな色合いは彼女の人柄をも象徴するようで、一目その姿を見たならば、ほうとそのかんばせを見つめてしまうだろう。それは彼女の目元の痕を目立たせず、それすらも彼女の魅力として見てしまえるような雰囲気があった。

「珍しいな、イーヴァ?お前がここに来るなんて…どうせお説教だろう」
「まだ私は何も言ってないけれど?ということは、少なからず責を感じていると見ていいのかな」
「……卑怯だな」
「なんとでも。彼は貴方の大事なものを壊したりはしなかった?」

イーヴァの優しい笑みを、ハーゲルは鼻で笑い飛ばした。

「もしそんなことになってたら僕は今ここで貴方と話してなんかいないと思うが?」

ハーゲルの答えを予測していたかのように、イーヴァはその言葉に対してくすくすと声を溢しただけだった。

「そんなに好戦的な貴方も久しぶりに見たかもしれないね、随分と楽しそうだもの」
「ハッ、どうだか」

用が終わったんならお帰りくださいよ、と男はイーヴァの手を取り、木の枝から下ろすとそのまま湖畔の入り口まで連れていった。

「はは、やだな。やっぱり歓迎してはくれないか」
「貴方に逆らえる力なんて持っておりませんので。僕はただ帰り道がわからないでしょうからこうして見送って差し上げたまでです」
「ああ言えばこう言う」
「そういうタチなので」

じゃあお暇させてもらうよ、と彼女はその身を鮮やかに翻してふっと姿を消した。

予期せぬ来訪者の訪れによって、密かに内心焦燥感を抱えていたのだが、指摘されなかっただけよしとするべきだろう。

***

ハーゲルの所から命からがら(?)逃げ出(させてもらった?)したフェニはいつも日向ぼっこをする池の近くでうずくまって頭を抱えていた。正しくは、額から生えている両方のツノを握る形で。

「う"〜…………マージで…‥意味わかんねえンだけどォ……!!!」

考えれば考えるほどムカつく、ということだけしか直観的に理解することができない。
脳裏でチラつくのは薄氷のような透き通った薄青の髪と、生気に溢れた若草の瞳。首根っこを掴んだ酷く冷たい体温。

「戦いたいのは間違いないはずなのになんなんだよこのめんどくせえ気持ちは!クソッ、イライラしてきた!」

苛つきが一向に収まらず、勢いをつけて立ち上がれば視線の奥にひとつの人影を捉える。男はいつものようにすましていて、男の指の先では見慣れた鳥籠がだらりと垂れ下がっている。

「いつもはこんな所まで足伸ばせねえだろ、なんでこの早い時間にここにいる」
「…キミがそれを言うのかい?陽光が差しているならともかく、日が翳って…キミの身体にはあまり良くないんじゃないのか?第一、こんなことはあまり言いたくないが、じめじめして気分が悪くなるから向こうへ行ってくれないか」
「ハァ〜〜〜〜!?そりゃルキフェル、アンタの勝手だろうがよ」

ルキフェルと呼ばれた男はやれやれと言わんばかりに大袈裟に手を振ってみせると、再び足を組み直す。しなやかな足は彼の細さとスマートさをより一層際立たせ、一瞬でも惑わされたならその悪魔的な魅力に魅入られてしまっていたかもしれない。

「それはそうだろうな、私がそういう男だというのは心底その身に染み付いていると思っていたんだがそれはどうやら間違いだったらしい。まあその頭に余計なものが多くついている分考えるべきことにまで栄養が回っていないんだろうが」
「相変わらずどこで息継ぎしてんだよ」
「さあね」

的外れな感想を吐いたとわかっている。いつもならば鼻で笑われたり馬鹿にされたとわかった瞬間にルキフェルに牙を剥いている所だが、今日はそんな元気がなかった。ルキフェルの言う通り、考えるべきことに栄養が回っていないんじゃないかと思わせられる。そんな自分の反応にも合点がいっているのか、頓珍漢な感想にも温度のない雑な返答が返された。

「……ねぇ、貴方がいるとひどく騒がしいわ…」

その時、青の悪魔と赤の悪魔の間で鬱陶しさを全面に押し出した少女の声がした。声の主は人型を保っておらず、ぱたぱたと静かに籠の中で煌めいている。

「おや、起こしてしまったかな。すまないね、すぐに移動してしまうとしよう、キミに負担をかけてその美しさに翳りが見えたらさすがにこの私も黙ってはいられない」
「……目が笑ってないじゃない」

どうせ出られないんだから早くして、と少女はまた男を催促する。

「わかったって、オレが動くっての。それでいいだろ」
「そんな奇妙なことが起きるなんてな?明日はきっと雪が降るかもしれない」

雪、という言葉にどくんと胸が熱くなる。
冷たく降りしきる霙の中でその影を交わらせる薄氷のような男の影が目の前をよぎったような気がした。

「キミ、本当に今日は気味が悪いな?まるで、」

ルキフェルが眉間に皺を寄せて言葉を紡ぐ。

「まるで、愚かな人間のように恋慕を感じているように見える」

悪魔が恋なんてそんな甘ったるいものを理解する日がくるとは思わなかったよ、と青の悪魔が嘲るも、その誹りは耳を素通りしていく。顔の熱さは耳元の炎によるものだろうか。否、それよりもずっとずっと熱い気がする。どくどくと跳ねる心臓の音が頭に響き渡って息苦しい。

「………やだ、この人気を失っていない?」
「おや」

また一つ珍しいものを見た、と青の悪魔は微かに口の中で笑みを噛み殺した。

「あの戦闘喧嘩馬鹿が何にその脳を食い尽くされたのか…見ものだな」

行こうか、と青年はきらきらと鱗粉を散らす青い蝶を小脇に抱え、今度こそその場を後にした。残されたのは衣服から見える肌という肌の面積をほんのり赤く染め上げた暴力的な男だけである。そして、それを嘲笑うかのように冷えたそよ風が頬を掠めていった。

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