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香港 Mid Night Story - See You Again

あの日、あれほど会いたくても会えなかった人と、こうして再会するなんて・・・。過ぎてしまった時間は元には戻らないけれど、今この時も二度とくることはないのです。
1997年、香港返還の直前に書いた小説です。


豪雨の後 METRO MANILA

1997年5月29日木曜日、メトロマニラ。
その日はフィリピンでも記録的な大雨だった。

サンタローザからマニラのマカティまで、普通ならスーパーハイウェイの渋滞を見込んでも1時間あれば十分なはずなのに、その日は所々で道路が冠水して通行できない状況で、マニラに入る前にすでに5時間を要していた。「ボス、こんなに時間がかかって申し訳ない。」
ドライバーのドニーは同乗の河村にスパニッシュ風の英語で言い訳をしていた。
「No problem. I don't care. いやね、こいつは首になりはしないかとびくびくしてるんですよ。」
河村は笑いながらそう言った。
「なんと娘ばかり5人もいるんだって。だからオーバータイムもいとわないでよく働くんですよ。」
そして、声をひそめて、
「でも、貧しさが行くところまで行けば、刃物で“金を出せ”とこないとも限らない、というのもこの国の一面なんですよ。富永さん。」
「そうなんですか・・・。」
私は今回の出張で出会った、人懐っこいフィリピン人達のことをぼんやりと思い出していた。
車がやっと流れはじめた。夕方になり天候がいっきに回復してきた。はやい速度で雲が切れて、そのあいだから黄色の光が斜めに差してきた。
FMラジオからは、ブラザーズジョンソン、チャカ・カーン、パティ・オースティンなどの懐かしいヒット曲が次々流れていた。少なくとも音楽に関してはとても自分の感覚にマッチしていて、心地よかった。
ほこりっぽかった町が激しい雨に洗われて、すこし涼やかな風が吹いているようだった。
マカティに着いたのは午後8時30分だった。出発後7時間が経過していた。
その日は現地駐在員の河村と、オフィスで待っていてくれたアカウンティングのマリア・サントスと一緒にペニンシュラホテルで夕食をとる事にした。ロビーの二階のバルコニーでは、弦楽四重奏がビートルズのイエスタディを演奏していた。その下を通りすぎて左手のメインダイニングは静かで落ち着いた雰囲気であった。
「よくわからないから、リコメンデイションでいいですよね。」
河村はコースディナーとサンミゲールのビールをオーダーした。
マリアはきれいな英語でゆっくりと話しをした。あまり遅いから事故にでも巻き込まれたのかと心配していたようだった。
マリアは肌は浅黒かったが、眉が濃く、鼻筋が通ったスペイン系の顔立ちの美女であった。その微笑みを見たとき、わたしは遠い昔に出会った恋人のことを 思い出した。


レス・ポール

1997年5月30日 金曜日の朝。
オフィスビルから外に出ると、強い日差しと熱い空気が待ち受けていた。濃い緑の椰子の葉の向こうに巨大なギブソンのエレキギター、レス・ポールを模った看板が見えた。
(レス・ポールか・・・。)
懐かしい思いと、看板に反射する光線に眼を細めて、迎えの車を待った。
マニラのニノイ・アキノ空港への道は(天候に恵まれていたものの)、ステンレスの流し台のような改造乗り合いジープ、ジプニーとオートバイにサイドカーをつけた簡易タクシーのトライシクルによって,ところどころ交通マヒとなっていた。さいわい、余裕を見て早めに出てきていたので、香港へのフライト時刻の45分前には空港へ到着することができた。
老朽化してきている建物の中で出発時刻を待った。このところキャセイパシフィックは欠陥機をフライトからはずしたため飛行機のやりくりがつかなくなっているそうだった。そのため、ときどき欠航がでていた。
結局、理由は良く分からなかったが30分遅れで搭乗口がオープンした。
1週間の出張だったので、荷物はキャビンサイズのキャリーバッグひとつだった。わたしは狭いエコノミーの座席の方へ入っていった。
離陸の後、窓の外にターコイズブルーの海とアイボリーホワイトの砂浜が斜めに見えた。水平線は空と溶け合って境が不確かだった。

カイタック空港に降りるのはもしかしたらこれが最後かもしれない。)
滅多に香港に来ることのない私は漠然とそう思いながらタラップを降りて偏平な形をした送迎バスに乗り込んだ。きっと、次回来るときにはランタオ島の新空港ができていることだろう。そして、その時にはここは“中国”になっている。
空港には取引き先の担当者が迎えに来ているはずだった。
自動ドアをぬけて黄色いペイントで立ち入り禁止区域を描いてある通路のスロープを降りてゆくと、“WELCOME MR. S.TOMINAGA TAKESHITA ELECTRIC INC.”と書いてあるポスターを持った女性が眼に入った。
「Thank you for your coming. I'm Tominaga of Takeshita Electric. 」
私はその女性のところへ行き、挨拶をした。髪はポニーテイルにして、目鼻立ちのはっきりした背の高い女性だった。
「はじめまして。わたくし、サンコー電機香港支社の杉原比呂子と申します。・・・一応日本人です。」
彼女はさわやかな笑顔でそう告げて、名刺を両手で差し出した。
「あ、すみません。英語のメッセージだったから、顔立ちとか背格好からもしかしたら日本の方かな、とはおもったのですが・・・。あらためて、・・・竹下電機の富永といいます。あ、名刺はバッグの奥なので後程探し出してお渡しします。」
「すみません。本来であれば役職についている者がお迎えに上がらなければいけないところなのですが、本日はあいにく中国の方で会議がありまして、わたくしがご案内役をさせていただきます。」
「いえいえ、こちらこそ無理なお願いをして申し訳ありません。今回、フィリピンに工場進出するに当たって香港のソフトウェアベンダーから、サンコーさんでまったく同じ構成のシステムを導入されているという話しを伺って、ぜひ見させていただきたいなどと申しまして。本日はよろしくお願いします。」
私たちは空港を出ると、タクシーにのって、早速タイポーにある彼女のオフィスへと向かった。
頭上の青空を背景に、ボーイング747-400が轟音をとどろかせながら 飛び去っていった。


遠い記憶

「国際専用線経由で、日本のメインフレームのトランザクションを飛ばしてエージェントで随時こちらのローカルホストに取り込んでおります。」
「ということは完全なリアルタイムでデータベースを更新しているのではないのですね。」
「そうです。弊社の本支社間受発注システムは銀行の残高更新のようにリアルタイム性を要求される物ではないですから。そして万一回線障害があっても、再伝送すれば整合性が取れますし・・・。そこは、コストとパフォーマンスとの兼ね合いだと思います。」
杉原比呂子は私の眼をまっすぐ見つめてそう言った。
「なるほど。いや、たいへんよくわかりました。杉原さん、ほんとうにありがとうございました。参考になりました。」
「いいえ至らない説明で・・・。失礼いたししました。」
「いや、あなたみたいな方が現地法人にいらっしゃるというのは心強いですよね。なかなか最近は日本から男性でも海外赴任は拒否するケースが多くて・・・。ま、わたしも赴任となると考えてしまいますが。」
比呂子はすこし椅子を引き寄せると、それに腰掛けて足を組んだ。ミニスカートから少し覗いた太ももが大胆で眩しかった。
「ちょうど・・・大学に入ったときに愛媛から神奈川へ行って・・・。その時、最初はとても不安でしたけどしばらくして慣れてしまえば特に問題はなかった。・・・ちょうどそんな感じでした。」
比呂子は少し言葉を切ったが、つづけた。
「でも、生まれたところは後から変えることはできない。・・・そう、住むところは自分からいつでも変えることはできるのだけれど、生まれたところは変えられない・・・。そういう感覚かなあ、と思います。」
整然と話しをしていた比呂子ではあったが、最後は若い女性らしい言い方をした。
返還後も、こちらに?」
私は何気なく彼女に質問した。
「はい。当分居続けるつもりです。」
彼女は軽く微笑みながら答えた。
「体制が変化する不安とかはないんですか?」
「ええ、ここはもともと中国ですから。たまたま現在の体制が共産主義国ということで注目されていますけど・・・。長い歴史のうえで見れば香港が変わってしまうかどうかというのはあまり意味のない議論だと思います。華僑のネットワークって国境がないように思えるし・・・。きっと、これもひとつのチャンスにして、みんなしたたかに生き抜いてゆくんだろうって思います。」
「そうですか・・・。たまたま立ち寄ったエトランゼとしてはもっと抵抗感があるのかと思ったけど。・・・日本人の方も大勢日本に帰ってこられるのかな、と思ってました。」
「わたしがこちらにいる間に、日本では陰惨な考えられないような動機の事件が起こっているじゃないですか。今週だって信じられない殺人事件があったし・・・。金融、証券の大企業だってあんなことしているし、信じられないですよ。こちらから見ているとそれこそ日本こそ病んでいるんじゃないかなって思いますよ。恐くて帰れなくなりました。」
比呂子の言葉は痛烈だった。
「そうですか・・・。外から見て冷静に考えればそうかもしれないですね。」「私は自分の意志でここでしばらく暮らします。仕事や住むところは意志次第で変えることはできますから・・・。ただ、人との出会いとか・・・国の体制の変化っていうのは自分から変えることができませんよね。」
彼女はさりげなくその言葉を発したのだろうが・・・。

( 運命か。意志次第で変えられる運命と、変えられない運命があるよね。 )
比呂子のひとことに、ふと、私はもう何年も忘れていた言葉を思い出した。「富永課長、今晩はどなたかとお約束があるんですか?」
比呂子は机の上の資料を片づけながらそう問い掛けた。
「いえ、こちらには現地法人はあるんですが、セールスオフィスなので知り合いはいないんです。8年前来たときの記憶をたどってぶらぶらしようかと思ってるんですけど。」
わたしは貰った資料をかばんに詰め込みながら答えた。
「もしよろしかったら、ご一緒に食事に行きませんか?上司からもおもてなしするように言われているんです。事業部は違いますけど、わたくしどものお得意先様ですから・・・失礼のないようにと。」
「いや、そんなとんでもない。・・・それじゃあこうしましょう。私がお礼といってはなんですけど、ご馳走させてください。実はひとりでどうしたものかと思っていたんです。」
「香港ではご心配なく・・・。ところでホテルはどちらでしたっけ?」
「チムサーチョイです。いちどチェックインさせてください。」
こうして、私たちは午後5時、KCRという鉄道に乗って尖沙咀(チムサーチョイ)のカオルーンホテルへ 向かったのだった。


5月の終わりの黄昏

1997年5月30日 金曜日 夕刻。
久しぶりの香港の夕方は、やはり蒸し暑く、ホテルの外にでると私の眼鏡は湿気で曇ってしまった。杉原比呂子と私は雑踏のネイザンロードを渡って、尖沙咀東(チムサァチョイイースト)の広東料理レストランへ向かった。
茹でた海老を剥きながら、比呂子は私に質問した。
「えっ。富永さんはむかしロックをやられていたんですか?」
「信じられないですか。でもね、その時はプロになろうかと思っていたんですよ。」
「じゃあ、本格的だったんですね。どんな曲を演奏されていたんです?」
私はサンミゲルビールのグラスを置いて。
「プログレ、って言ってわかりますか?そうだな。すこし前衛的な感じのロックですよ。バンドでいえば・・・キングクリムゾンとかエマーソンレイクアンドパーマーとか・・・イエスとか・・・。知っていますか?」
「えっ、もちろんですよ。わたしは結構その辺のロックは一時凝ってましたから。ELPのJust Take A Pebbleっていう曲を初めて聞いたときは、ものすごく感動しましたよ。ピアノとベースとドラムスだけで空間の広がりを感じさせてましたよね。イントロのところの真似をして、音楽室でグランドピアノのふたを開けて弦をつま弾いていたら、先生に見つかって叱られました…。それから、その次の・・・タルカスでしたっけ。あれも衝撃だったなあ。わたしが聞いたときの10年以上も前にこんなバンドがあったなんて、っていう感じでした。」
「そうか、もう20年以上も前なんだよね・・・。」
少しの沈黙の後、比呂子は微笑みながら私に言った。
「あ、いま、富永さん一瞬、昔に返っていましたね。・・・遠くを見つめるような眼をしてましたよ。きっと、素敵な思い出がたくさんあるんでしょうね。」
「そう・・・ですね。特にその辺の曲にはね・・・。」
「どうしてプロにならなかったんですか?」
「一緒にやっていた仲間で、ベースを弾いていた奴はプロになりました。今も時々フュージョンのセッションでは名前がでてますね。・・・どうしてプロにならなかったかって言えば、何をやるにも思い切ってやれない性格だったから・・・ってところでしょうかね。」
「ふうん。今は全然違って見えますけど・・・。きっと素敵な恋もあったんでしょうね。70年代の青春ってどんな感じだったのかなあ。」
「そう、恋もおんなじだった。実はね、家内にも言っていないんですけど、ものすごく好きになった人がいて・・・。きっと私次第でうまくいったんだろうけど・・・でも、そうそれこそソーダ水の泡のように終わってしまった。」
「そうですか・・・。あ、今日は週末だからもしよろしかったらライブの聞けるクラブへ行きませんか?ミュージシャンの方ならきっと楽しいと思いますよ。私の友達がベース弾いてるんです。」
彼女はそう言って少女のように 首をかしげた。


蘭桂坊(ランカイフォン)

午後8時過ぎ、私たちは香港島側の地下鉄MTRのセントラル駅に到着した。「ランカイフォンはここから出ると近いんです。」
彼女は素早い動きで私を先導した。磁気カードチケットを差込み、回転式のバーを押して改札口を出ると、赤いタイルの壁の階段を上って表にでた。カオルーンサイドとは異なった雰囲気のオフィスビルの合間の通りを抜けて、急な坂道を登ってゆくと右手には、これも香港のイメージとは違ったヨーロッパの繁華街を思わせる英語のネオンサインの溢れる狭い路地が見えた。「このあたりは香港でも“不良欧米人”の溜まり場?といわれている場所なんですよ。ちょっと雰囲気違いますよね。」
比呂子は最近(世界的に)流行っている“アップトーク”で文末を疑問形のようにあげて喋った。
その“Reminiscence Club”は坂を上りきった角にあった。石畳の歩道とレンガづくりの壁、そして朽ちた木のドアプレイトがその名前にとても合っていた。
「ここです。」
ドアを開けるとカランとベルが鳴った。すぐに急なのぼり階段だった。
短いスカートの彼女に気を使って、私が先にのぼっていった。

店の中はやはり欧米人がほとんどだった。店の奥にカウンターがあり、ビールのサーバー、各種リキュール類とグラスが並んでいた。いわゆるキャシュオンデリバリーのショットバーといったシステムのようだった。それぞれが少し高い椅子と狭いテーブルに紙のコースターの上にグラスを置いて熱心に話しをしている。カウンターと逆のサイドは小さな舞台となっていて、ピアノ、ドラムスが設置してあった。
比呂子はふたつだけあいていた席を見つけた。
「じゃあ、私が飲み物を買ってきましょう。カクテルがいいですか?」
レッドアイをお願いします。」
私は泳ぐように背の高い人々の間をすり抜けて、カウンターへ行き、レッドアイをふたつオーダーした。
「もうすぐ、来ると思うんだけど。」
と彼女が言ってからまもなく、背の高い、ラフな格好はしているものの、いかにもビジネスマン風の端然とした顔つきの男性が声をかけてきた。
「比呂子、今日はお客さんが来るって言っていたから、来ないかと思っていたよ。」
話しをするまでは国籍が不確かだったが、間違いなく日本人のようだった。
「こちらがそのお客様よ。竹下電気の富永課長。元本格派ロックギタリストだって聞いて、無理に連れてきたの。」
「どうも、はじめまして、富永です。」
「よく来て下さいました。西谷建設の小林といいます。バンドの中ではラリーで通っていますけど。」
「今日の出演者はみんな日本人で香港の駐在員や、住み着いてしまった人たちで編成しているジャズバンドなんです。あ、もし良かったらギターでセッションやったらいかがです?」
と比呂子が目を輝かせて提案した。
「そうですよ。今日はギターも来るんで用意できますよ。」
「え、でもジャズはあまり勉強してないからなあ。ブルースならいけますけど。」
「そりゃあいい。あとでやりましょう。」
私は思いもかけない展開に戸惑いながらも、ずっと昔に感じたコンサート前の緊張を少し 思い出していた。


スウイング

演奏が始まった。曲名はわからなかったが聞いたことのある曲だった。
編成はアルトサックス、ピアノ、ギター、ドラムス、そして比呂子の友人の小林の弾くベースのクインテットだった。ピアノは女性のようだったが、わたしの座っている席からは見えなかった。プレイヤーは全員香港滞在の日本人で、それぞれが仕事を持っているアマチュアバンドであった。
とはいえ、演奏は申し分ない素晴らしいスィング感のスタンダードジャズだ。
比呂子も私も気づいたら足でリズムを取っていた。
(ね、来てよかったでしょう?) と私より前に座っていた比呂子は振り替えると表情でそう言っていた。
サックスのソロが終わって、ギターのソロに入った。ギターは渋い赤のギブソン335だった。独特の甘いトーンでジャズギター特有のパッセージが休みなく続いた。このように間近にライブを見ることは久しぶりだったのでなにか自分が弾いているような緊張感を感じてしまった。
ギターのソロが終わり、ギタリストがピアノに眼で合図を送った。
壁の陰に隠れて見えないピアニストのソロが始まった。
流れるような素晴らしい展開だった。そしてそのうち・・・。

(あ、・・・このフレーズは・・・。)

忘れるはずもないピアノのフレーズだった。(もしかしたら、万が一・・・。)
私は席を立ち、舞台の正面、何組かのカップルがダンスしている中央のフロアへ人々をかき分けるようにして行った。
私はピアニストを見た。顔を鍵盤に向けているため表情をうかがうことはできなかったが。
明るい色のウェーブのかかった髪。はっきりとした眉。
彼女は64小節のアドリブを弾きおわると顔を上げてベーシストに目で合図を送った。
そして、私と視線が合った。
間違いはなかった。
20年ぶりに会う、みずき、そう忘れられない淡い思い出の恋人、佐島みずきだった。
私たちはしばらく見詰め合っていた。ベースソロは聞こえなくなっていた。彼女は真剣な表情だった。
しばらくの間そうしていたが、彼女はやがて優しく眼を細めて微笑んだ。そして、右手の人差し指と中指の2本の指で素早く敬礼と、ウィンクをした。

そして演奏は続いた。


キャンドルの向こうの追憶

「そうなんだ。今はジャパニーズビジネスマンやってるんだ。」
彼女はむかしのままに魅惑的な瞳に輝きを浮かべて、私に問い掛けた。
「そう。結局、ぼくはプロにならなかった。自分が心底その気になればなっていたのかもしれない。ベースのジュンはポップスからフュージョンまで枠を広げていろいろなバンドに参加してなんとか今でも音楽で食って行けるようになったんだけど・・・。」
わたしは言い訳をするように言葉を切って、続けた。
「それは、みずきに対してもおなじだったような気がする。」
みずきは少し陰のある笑みを浮かべて、
「でもね、そういうふうに迷うような人だったから、きっと好きになったんだよ。」
と言った。
場所は変わってカオルーンホテルのラウンジだった。
ライブの後、午後11時半頃比呂子と小林に別れを告げ、わたしはみずきとここへ来たのだった。
彼女の表情がキャンドルの炎に揺れた。
真夜中を過ぎてもガラスの靴はまだ夢から醒めていなかった。
「すっかり、茂樹は立派になっちゃたわ。でもね、見た目全然違うようなんだけど、どこかにあの時とおんなじ雰囲気を持っているね。」
「みずきだって・・・。敬礼の仕方が最後にしてくれたのと同じだったよ。」「目尻とかあごの下とかだいぶくたびれてきてるけどね。」
「ぼくも歯ががたがたになってきた。」
「世間の荒波を歯を食いしばって乗り切ってきているんだもの・・・。おたがい当然よ。」
わたしたちは心の底から笑った。
「20年か・・・。そのあいだにいろいろあったわ。」
「みずきはてっきり世界でも通用するピアニストになるかと思っていた。」
「でも、世界はそんなに甘くはなかったわ。このクラスはいくらでもいるし、やっぱり抜群のセンスの人が残っていったわ。」
「でも、今日みたいに素敵なライブを続けているじゃないか?」
「何かやっていないと・・・。」
彼女はそこで視線を床に落とした。ホールのすみではやはりピアノトリオと女性ボーカルがスローなジャズの生演奏をやっていた。

しばらくの沈黙の後、わたしは質問した。
「結婚は・・・してるんだよね?」
「うん。イギリス人とね。10年前に向こうで知り合って・・・。彼は役人だったの。それで7年前返還の処理の関係で香港総督府にくることになって・・・。でもそれももうすぐ終わりよ。7月1日の前に私はイギリスへ帰るわ。」
「・・・そうか。ところであの洗足池のそばのすごい家はどうしたの?」
彼女はウォッカのグラスを呷って言った。
「ちょうど5年前にパパとママがベルギーで事故で亡くなって・・・。お葬式をやったあと・・・取り壊したわ。きっと、今ではあの家を懐かしく思い出してくれるのは、あなただけよ。」
「そうだったんだ。・・・ごめんね、変な事聞いてしまって。」
「ううん。気にしないで。その質問をしてくれなかったら・・・さびしいわ。」
20年前のたった一晩の思い出を少しの間二人は共有していた。
時刻は午前2時になっていた。もうこのラウンジも営業終了の時間だった。
運命のいたずらによる再会も終わりの時を迎えてようとしているのだろうか?
「まだ、飲み足りないわ。・・・そうだ、あなたのお部屋のミニバーのお酒みんな飲んじゃおう?」
みずきはそういって立ち上がると、まるで昔のまま、私の手を取ってエレベータホールへと 向かっていった。


See You Again

カードキーを差し込んで部屋の扉を開け、入り口のライトをつけた。
みずきを招き入れると、わたしはドアを閉めた。そして振り返ったとき、ライトが消えて暗闇が訪れた。
その瞬間、みずきはわたしに抱きついてきた。
「もっと、早く、会いたかった・・・。」
どちらからともなく、キスをしていた。
すこし呆然としながら、部屋の中のウェルカムフルーツの匂いと微かなみずきのプワゾンの香りを鼻孔に感じていた。


空港へは昨晩固辞したにもかかわらず、杉原比呂子と小林が見送りに来てくれた。
「でも、ものすごい偶然でしたよね。こんなことってあるんですね。」
比呂子は眼を輝かせながらそう言った。
「フィリピンからたまたま立ち寄った富永さんと、香港にこれからも居る僕達と、イギリスへ帰るみずきさんと・・・。考えてみれば、ほんの一瞬タイミングが違ったら、絶対に出会うことはなかったんだよね。」
いかにも明るい性格の小林が比呂子に向かって応えていた。
「でも、とても香港らしい出来事だわ。こういうことが起こる都市(まち)なんですよ。」
比呂子はそう言うと、あたりを見回して、
「みずきさんは、来られないんですか?」
と聞いてきた。「引っ越しの準備で忙しいらしいよ。山の上の邸宅に住んでいるからね。きっと大変なんじゃない?」
と、小林が答えてくれた。

「昨晩は遅くまでゆっくり話しができたから・・・。」
と、私も付け加えたのだが・・・。


「今度はまた20年後かな?」
「僕達60歳になってしまうよ。」
「でも、明かりを消せば、こういう風にあのときのまま・・・よ、きっと。」彼女はふふっと笑いながら、シャワールームへ消えていった・・・。


私は比呂子と小林に丁寧に別れを告げると、キャビンサイズのバッグを引きながらイミグレーションの入り口に入ろうとしていた。
その時、30メートルほど離れたところに、みずきは立っていた。
(See You!)
口が確かにそう動いた。彼女は薄手の生地の長めのワンピースを着ていた。右手の人差し指と中指で敬礼をすると、スカートを翻してくるっとむこうを向いて出口へ向かって歩き出した。

一瞬立ち止まって再びこちらを向いた。
(Again!)
と彼女が言ったように見えた。彼女はふたたび振り返ってゆっくり歩いていった。
通路に立ち尽くしていた私は、係官に促されてイミグレーションカウンタへと向かった。

END



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