一丸となって

ここ最近のコロナウイルス騒動の中、自分が勤めている会社でも在宅勤務など、感染拡大防止策の実行指示が出た。社内では上層部からの通達とともに、その基となった厚生労働省の発信(以下引用)が読まれた。

新型コロナウイルス感染症については、これまで水際での対策を講じてきていますが、ここに来て国内の複数地域で、感染経路が明らかではない患者が散発的に発生しており、一部地域には小規模の患者クラスター(集団)が把握されている状態になっています。しかし、現時点では、まだ大規模な感染拡大が認められている地域があるわけではありません。

感染の流行を早期に終息させるためには、クラスター(集団)が次のクラスター(集団)を生み出すことを防止することが極めて重要であり、徹底した対策を講じていく必要があります。また、こうした感染拡大防止策により、患者の増加のスピードを可能な限り抑制することは、今後の国内での流行を抑える上で、重要な意味を持ちます。さらに、この時期は、今後、国内で患者数が大幅に増えた時に備え、重症者対策を中心とした医療提供体制などの必要な体制を整える準備期間にも当たります。

このような新型コロナウイルスをめぐる現在の状況を的確に把握し、国や地方自治体、医療関係者、事業者、そして国民の皆さまと一丸となって、新型コロナウイルス感染症対策を更に進めていく必要があります。(厚生労働省HPより)

この文章を偉い人が読んでいるのををぼーっと聴きながら、

最後の文章で何か引っかかる言葉があった。

「一丸となって」

そんなことをしたらウイルスがさらに蔓延してしまうのではないか。

もちろん、文字通り一丸となるわけではなく、気持ちの面で力を合わせてという意味であることはわかっている。しかし、みんなで力を合わせてという意識と、ウイルスというものの特性があまりにもミスマッチすぎて、思わずふふっと笑ってしまった。文字通り一丸となることと、意識として一丸となることが、結果として皮肉にも同じ悲劇的な未来を描くことに繋がるかもしれないことを想像して、厭世的な気分になった。

通達が出た後、不要不急の会議とは何かについての会議が開かれ、大規模な集会禁止などの言葉尻をつかまえては、あれはダメだこれはダメだと騒ぎ立てて1日が終わってしまっていた。明らかに浮き足立って、お祭り気分である。本来の目的とはなんなのだろうかと疑問を持たざるを得ない。だれもウイルスについての対策はせず、ウイルスの蔓延防止によって出た司令に対する対策をまさしく一丸となって講じているようにしか見えない。

上からの司令を守ろうと、皆確かに一丸となっていたように見える。でもそうした意識ではウイルスの蔓延は確実に防げないだろう。文字通り一丸となって、集団で擬似的に感染しているのと同じことのように思える。ひとりひとりが冷静な目で何をすべきか考えなければ、この図式は延々に続いていくだろう。

”全員”で”一丸”ではなく、”各々”が”主体的に”という意識にスライドさせないと、このような擬似的感染は続いていく。そうして擬似的感染はいつの間にかウイルスそのものへの感染拡大へと繋がっていくような気がしてならない。

そんなことを考えていたら1日が終わってしまった。仕事もあまり手につかず、結果として自分が一番惑わされ、本来の目的を見失っていることに気が付いた。周りに惑わされず冷静に仕事をこなそうと思う。それが一番難しいのだけれども。

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