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気づいたら冬が終わりかけていて、久しぶりにバイクでも乗ろうかなと思った。東京の自宅からGoogleマップをどんどん縮小していって、国道6号線が目についた。震災と原発事故以来、通行禁止とされていた6号線。一昨年くらいからバイクで走れるようになったのは知っていた。東京から千葉・茨城・福島を経由して仙台へ抜けられる大きな国道。いわきあたりまで電車で行ってバイクを借りれば、1日で往復してお釣りがくるくらいの距離であった。いわき駅の近くにレンタルできるバイクショップを見つけ何の予定を考えずにひとまず予約を入れた。

朝、眠い目を擦り、なんでこんな朝早くから動かねばならんのだという気持ちを制して、ヘルメット片手に特急ひたちに乗り込み、一路いわきと向かった。東京駅から乗り込む人は予想していたよりもはるかに多く、全席指定の列車は満員御礼だった。ただ満席だった席の多くは、道中、水戸の手前の梅の名所で空席へと変わっていった。窓越しから見える梅の花々はすごく綺麗でもう春ですねと言わんばかりに咲き誇っていた。ガラガラになった列車はそのまま水戸を過ぎ、しばらくしていわきへと到着した。

適当に時間を潰し、予約の時間にバイク屋に向かう。東北訛りのあたたかいお出迎えとともにどこまで行くんだと聞かれ、かっこつけてとりあえず北を目指しますといったらかなり訝しげな顔をされたので、慌てて仙台までですと言い直して走り出す。日差しには春の兆しを感じるけれども、身体に当たる風はまだまだ冷たかった。

バイク屋からはすぐ6号線に出ることができ、そのまま快調に走り続けた。道中のあちこちには津波浸水区間の標識が立っている。道路も新しいし交通量も少ないからやけに走りやすいかった。

街を抜け、徐々に山間に入っていくと、ニュースでよく聞いたことがある地名とともに「ここから帰還困難地域」の文字。沿道にはバリケードが至る所に掲げてある。崩壊した家々。おそらく土壌を詰め込んでいるであろう黒い袋の山。ガラスが割れたまま閉鎖してロードサイド型の飲食店やコンビニ。屋根が剥がれ落ちたままの衣料品店。ラインナップが昔のままの車のディーラー。抜け殻みたいなガソリンスタンド。完全に活動がストップした空間だけがただただ残っていた。街と呼ぶにはあまりにも人の生活の匂いがしない空間だった。どの空間にもただただ乱雑に草木が生い茂っており、アップデートの跡が見えるのは工事情報と線量の情報で、日常の循環の一片も感じることができなかった。想像していた以上の実情を目の当たりにして、ヘルメット越しに息を呑みながらアクセルをひねり続けた。駐停車禁止の標識があったのも事実だが、この場所で止まってみたとして自分に何ができるのかという無力感に苛まれ、ただ駆け抜けることしかできなかった。非現実のような紛れもない異様な現実が道路の両脇に広がり続けていた。

走り進めると、徐々に生活の色が道に戻り始めてきた。安堵とともにコンビニで休憩をとる。どこまで行こうかなと思っていたが、仙台まで行く気力も湧かず、県道の先にある大洲海岸を一応の目的地とし、南相馬に宿をとることにした。

県道に抜け、海近くの道をただひたすらに走る。ヘルメット越しに見える海は、ここらいったいを飲み込んでしまったとは思えないくらい穏やかにきらめいていた。ただ、対照的に陸地の殺風景は相変わらず続いていてその爪痕をまざまざと感じさせた。陸地と海の間に整備されている滑らかなコンクリート舗装もその輪郭をいっそう濃くしていた。

本当に何もかも飲み込まれてしまったんだなと実感しながら走っていると、突然、とてつもなく大きな風車が視界に飛び込んできた。あまりの大きさに本当に眼前に飛び込んできたような衝撃だった。青空をバックにして極めて周期的に動く姿に、一種の不気味さや恐怖まで覚え、直視することはできなかった。このまま違う世界に行ってしまうのではないかという不安がぐるぐると体の中を駆け巡り、風車を横目にそそくさと道を進めていった。人生で味わったことのなかったような感覚であった。海辺に吹き付ける風は相変わらず冷たかった。

その後もバイクを進め、浜風に煽られながら結局大須海岸まで到達したのち、来た道を引き返す形で夕暮れ前には南相馬の宿に到着した。明日はどうしようかなと思いながら、脳内にこびりついた風車の衝撃を忘れることはできなかった。もう一度見てみたいと思い、調べてみると風車のすぐ近くまでバイクで行けるようであった。疲れ切っていたので、予定を決めるとすぐに眠りに落ちてしまった。

翌日、快晴。宿の駐車場から景気良く出発して、さくさくと昨日と同じ道を走った。風車は昨日と全く同じ場所に相変わらず立っていて、冷たい海風も変わらず吹き付けていた。視界に飛び込んでくるその無機質な姿に、同じ恐怖をおぼえながらもさらに近づいていく。間近に視認できるところまで近づき、バイクを止める。改めて対峙するその姿はあっけないほど大きく、そしてどこまでも無表情であった。海に飲み込まれ、何も無くなった空間にでんと真っ白く聳え立ち、ただひたすらにそのプロペラを回し続けていた。それは、周りに広がる殺風景な土地や海に対しても、帰宅困難地域に広がる退廃的な空間に対しても、あまりにも整っていて人工的であった。押し寄せる波の音を聞きながら、ぐるぐると動くその風車の活動を、ぼおっと見つめている自分の背後では、火力発電所の煙がこちらも無表情にもくもくと立ち上がっていた。本当に違う世界に迷い込んでしまったような心持ちであった。

しばらくは自分を見失い、立ちすくんでいたが、バイクを返す時間が迫っていることに気づき、慌てて帰路についた。バイク屋にはどこまで行ったかと問われ、適当に相馬の辺りですとだけ答え、春も近いですねと世間話をして店を後にした。疲れて面倒くさかったからというのもあるが、この2日間で感じたことを素直に話すべきなのかわからなかった。

いわき駅からバスにのり、東京駅に戻るころには夜になっていた。風車と同じくらい大きなビルが煌々と乱立している。駅前には人が溢れかえっていて、バスを降りるとぬるい風が吹いていた。ほっとしている自分に気づいてよくわからない嫌気が差した。


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